経済インテリジェンスの強化

経済インテリジェンスの強化

経済安全保障は戦略技術・物資、機微な技術情報の管理、サプライチェーン、外資による投資規制など扱う範囲は広い。

自民党の選挙公約の「政策BANK」には、「経済安全保障を強化する」という項目がある。その中でうたわれている公約の一つが、経済安全保障分野におけるインテリジェンスの強化だ。その動きの一部は既に関係機関の方針や取り組みに現れている。

警察によるコンサルティング

警察庁は2022年春、「経済安全保障対策室」を新設し、民間企業や大学向けに先端技術の海外流出防止対策に関する説明会や意見交換といった”コンサルティング”業務に取り組む(注1)。

注1:日本経済新聞「経済安保、警察が指南」2021年10月10日付朝刊

既に2021年1月から、警察庁内に「専門班」を設置し経済団体に啓発をしていた。

人員と活動を拡充し、個別の相談に応じる。内容によっては、相談企業からの情報を掘り下げ、所管の都道府県警が不正競争防止法違反などの刑事事件にすることもあり得るだろう。経済安全保障に関わる情報(=インテリジェンス)の収集と刑事手続きによる摘発で、抑止を図ると見て間違いない。

公安と検察・警察の連携はうまくいくか?

公安と検察・警察の連携はうまくいくか?

政府の情報機関の一つ、公安調査庁はすでに2021年4月から経済安全保障に関する情報提供窓口を設置し、国の安全保障を脅かす技術やデータ、製品の流出等に関する相談や問い合わせ、情報提供を募っている。公安調査庁が把握した情報は、国家安全保障局経済班などと共有されるのだろうが、情報機関である公安調査庁と法執行機関である検察・警察との情報共有と捜査はうまく機能するだろうか。

縦割り行政の弊害

コロナ禍で国民は永田町・霞が関の縦割り行政による情報の分散、対応の遅さ、執行の目詰まり、予算の無駄遣いなどの弊害を見せつけられた。経済安全保障においては、こうした弊害を除去しなければ、危機は国の安全保障を揺るがしかねない。

「産業スパイ防止法」に踏み込めるか

「産業スパイ防止法」に踏み込めるか

技術・情報漏洩をより強く抑止するには、産業スパイ防止法の制定と施行が効果的だと筆者は考えるが、第二次岸田内閣はそこまで踏み込めるか。

元経済産業省貿易管理部長の細川昌彦氏は、経済安全保障と外為法による輸出規制、投資スクリーニングに関する論考の中で、「日本は諜報機能を海外に依存する中で、安全保障の深刻さを実感できずにいる。そうした構造が日本特有の問題を招いている」(注2)と述べている。

注2:細川昌彦「外為法論議『感覚の欠如』露呈」日本経済新聞 2021年8月4日付朝刊

経済インテリジェンスの強化は政府機関の人員を増やせば済む課題ではない。先端技術の漏洩・海外流出に対し国を挙げて防御策を講じていけるよう、民間企業からの理解と協力、実行を得る。それが政治のリーダーシップだろう。

研究者の育成と保護は不可欠

研究者の育成と保護は不可欠

自民党政策BANKでは、先端分野における重要技術を育成することも掲げていた。その分野とは、宇宙、量子、AI(人工知能)、HPC(ハイパフォーマンス・コンピューティング)、原子力、先端材料、バイオ、海洋などだ。実際、政府は2021年度の補正予算で1000億円基金、AIや量子分野、5G、ビッグデータ、半導体など先端技術開発のための基金を創設する方針を明らかにしている(注3)。

注3:日本経済新聞「経済安保へ技術育成基金」2021年10月17日付朝刊

研究者の保護には触れられず

しかし、公約では研究者の保護にはほとんど触れられていない。政策BANKの「科学技術」の項目で、環境・エネルギー分野、防災・減災、原子力、素粒子物理分野などについて、研究開発を推進するとともに、「人材の育成・確保を行います」と記しているくらいだ。

現実には、十分な研究費・待遇を得られないと判断した日本の研究者が海外の大学、研究機関に転じるケースが後を絶たない。

民間企業においては、大手自動車メーカーの複数のエンジニアが、新興国の競合他社に転職したことも報じられるご時世だ。研究者やエンジニアの頭の中に先端技術に関する情報や営業秘密があろうとなかろうと、日本で得るより高い報酬と大きなやりがいを期待して、海外に渡っている。

待遇改善と研究環境整備が不可欠

待遇改善と研究環境整備が不可欠

米国では2018年から司法省とFBIが中心の”China Initiative”として、大学・研究機関や民間企業に技術情報・営業秘密の窃取、産業スパイに関する情報提供と訴追を強化している。しかし、東京大学先端科学技術研究センターの玉井克哉教授はChina Initiativeのような厳罰路線が、かえって中国への頭脳流出を促進する危険性があると警鐘を鳴らしている。

玉井教授は日本の政策として、国家と社会にとって必要な戦略分野を認定し、それに従事する研究者を思い切って優遇、加えて、若手研究者が安心して研究に推進できる環境を整備することが望ましいと提言している(注4)。

それと同時に、国内の大学・研究機関における情報管理と漏洩防止を徹底させることは言うまでもない。

注4:玉井克哉「『千人計画』とわが国のとるべき対応——国の経験に照らして」2021年6月10日、東京大学先端科学技術研究センター 経済安全保障プログラム Report Vol.1)

研究者、技術者の育成と保護は、国の将来を左右する国家の大計と言って過言ではない。

自民党政調会の新国際秩序想像戦略本部が2021年5月27日にまとめた提言でも「研究インテグリティ」と「外国資金等の受入等」について言及している。研究・開発分野における経済安全保障政策は10年先、20年先、30年先を見据えた政策と執行が期待される分野であり、新内閣がどう布石を打っていくか注目している。

サプライチェーンの強靱化

サプライチェーンの強靱化

最後はサプライチェーンの強靭化について。台湾積体電路製造(TSMC)がソニーと共同で熊本県内に半導体製造工場を建設することが明らかになった。

熊本で生産されるのは最先端の半導体ではなく、一世代前のものとなるという。しかし、台湾有事が想定される一方、半導体不足で新車の納入が半年以上も遅れる事態となっている日本で、国内に半導体製造工場ができる意味は経済安全保障上、大きいだろう。

危機下に物資を調達できない悲哀は、日本国内に住む人ならほとんどが医療用の不織布マスクの不足で経験したはずだ。

2020年春頃、薬局等にマスクが入荷するとなると、店先には朝から行列ができた。どこからか調達してきたマスクを、SNSを通じて高価格で売りつける“転売ヤー”なる輩も多く跋扈した。

あの悲しき現実である。

データセンター、レアアースのサプライチェーンを多元化

自民党は経済安全保障の観点から、先端半導体技術のみならず、医薬品、電池等の開発・製造立地の推進と並んで、次世代データセンター、レアアースを含む重要鉱物などを対象に、国内生産能力の強化を含むサプライチェーンの多元化を図る、と公約に掲げた。

価格上昇への理解を

対象となる製品・物資は、基幹インフラ産業や経済安全保障上の「戦略的不可欠性」を有する技術・物資となるだろうが、一般的に従来の調達先を分散化、あるいは第三国か国内に移すとことは、現在よりコスト・価格が上昇する可能性をはらむ。

中国製の不織布マスクと日本製の価格を比べれば分かるように、経済安全保障の観点からサプライチェーンを再構築することによるコストの上昇を、企業や国民に受け入れてもらう説得力が、政治には求められる。

今度の政策に注視

経済安全保障を含む国の安全保障は、経済合理性だけでは維持できない。価格の上昇のように、時に不合理なコストを求められる。また、中長期的な視点に立った投資も多額になるだろう。

先の自民党総裁選期間中、イギリスのThe Economist誌は岸田氏について”amenable”であり”pliable”な政治家と評していた。前者は「(指示などを)逆らわずに受け入れる」、後者は「(他者の)言いなりになる、影響を受けやすい」という意味だ。国民にとって”reliable”(信頼に足る)な宰相となるか。経済安全保障政策で真価が問われる。

(了)

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