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【回想録】 内側から見た経営コンサルティング(MC)の歴史 (後編) ~世界を巻き込んだリーマンショック フリーランスを経て、再びファームへ
2010年前後、リーマンショックなど、世界を巻き込む大きな出来事があいついだ。そのような中、コンサルティング業界はどう変遷してきたのか、前回に引き続き語っていきたい。
前回同様、個人的所感であることを理由として、ファーム名等の固有名詞の使用は、極力避けさせていただいた。
「冬の時代」到来、鮮明になる“勝ち組”と“負け組”
時代は進み、2010年前後に大きな事象が起こった。
米国「サブプライムローン」の破綻による証券会社「リーマンブラザーズ倒産」(2008年秋)、「連鎖倒産」「世界金融危機」、更に続く「東日本大震災」。国内のみならず全世界が飲み込まれた「冬の時代」「暗黒の時代」である。
ちなみに、私が創設したアドバイザリーサービス(フリーランス)事業の屋号(商号)は、この“冬”の天空に燦然と輝く希望の星を模して、一等星の名称を冠づけた。
リーマンショックによるコンサルティングファームへの大打撃はその年ではなく、1年後の2009年に本格化する。すなわち、IT企業も含め、“バックログ”と呼ばれる“受注残”で辛うじて生存してきたわけだが、いよいよ“食い扶持(ぶち)”が底をつくことになる。
多くのファームでシニアクラスを中心に大量の“解雇”や“会社都合退職”が言い渡された。労働市場に多くのコンサルタントが吐き出されることとなった。これが後の、フリーランス紹介エージェントの設立へつながっていく。
旧マザーズ(現、東証グロース)へ上場した某エージェント(社長は、総合系トップファーム出身)にも私は登録していたが、よく利用させていただいたのは、再生系コンサルティングファーム出身の起業家社長が起こしたエージェントである。
設立はこちらの方が早かった。同エージェントは、新規事業戦略立案や投資実行を行う戦略ブティックファームの一投資先として、2010年代後半に一旦傘下に入る。
その関係で、同ファーム顧客企業の戦略案件や事業デューデリジェンス(BDD)案件をプロジェクトマネジャー(PM)として、私は何度も執行させていただいた。このエージェントは、IT系同業他社が全株式の引受を行い、この2024年1月より吸収合併(元の運営企業名は消滅)となっている。
2010年代中盤までには、大規模な(大企業の)事業再生は終息し、中堅・中小企業、地理的には地方都市にその市場が遷移していった。企業経営または業界内においては、“勝ち組”と“負け組”が鮮明となっていく。
中には、“創業以来、増収増益”、“過去最高益”といった企業も数多く現れる。海外市場を主戦場(製造拠点としてではなく、販売・消費市場)と捉えるか、オーガニックな成長に見切りをつけ、「時間的価値(Time to Market)を重視」、経営戦略の要諦として、M&Aを上手く取り込むことがその“分水嶺”となったのかもしれない。
FASやTAS、DXコンサルティングの拡大
1990~2000年代初盤、日本企業(売上の2/3が海外取引である大手自動車完成車メーカーや電機メーカーを除く)の主戦場・商圏は、明らかに国内市場であった。
イン・アウトという国内企業による海外企業の買収や経営統合(クロスボーダー)が2010年代以降、一般的となっていた。
事実、「MARR Online」の統計記事によると、2010年のイン・アウト件数は年間500件未満であったが、2018年には1,700件以上へ増加している。
従って、デューデリジェンス(DD)やM&Aディールを専門またはコアビジネスとする、総合系ファームグループのFASやTAS(トランザクション・アドバイザリーサービス)が勢力を拡大していったとみられる。グループとしては総合系が、ソリューションとしてはIT・業務系から財務系が主軸となってくるのだ。
これら総合系グループの稼ぎ柱は、ひと頃、SAP等の統合パッケージソフト導入であったが、IT業界の主流も、大企業向けで高価なこれらERPではなく、SaaS(Software as a Service)やクラウド上のシステム、今でいうサブスクのようなサービスへ“政権交代”となっていた。
更には、IoT(Internet of Things)やセンサーを利用して取得した“ビッグデータ”と呼ばれる大量データを解析し、分析結果を役立てようという潮流が、コロナ禍直前の2018年頃まで続く。
ビッグデータ解析の手段としての、AI(人工知能)が“第三次ブーム”を迎え、機械学習に代わる深層学習(Deep Learning)が注目されたのもこの頃である。
職種としては、データ・サイエンティスト、企業としては同職種やAIプログラマーを抱えるITコンサルティングサービスも出現した。大学発のベンチャーキャピタルから派生した研究所のような企業、同様の起源を持ち、大手企業からの出資を集めたIT企業が、東証マザーズ(現、東証グロース)へ上場を果たす。デジタル・トランスフォーメーション(DX)を主とするITコンサルティングファームも次々と出現し始めた。
2024年1月には、ITコンサルティング企業/SIerにおいて、社名変更の動きが現れた。真意は不明であるが、親会社社名を付し“総研”として商号変更した。
日本の総合研究所は金融系や財閥系などが多く、元々は、海外で言うシンクタンク・経済研究を事業内容としていたが、時代の流れに沿い、経営コンサルティングやシステム開発を事業として拡大していった模様だ。
某総研の業績公開資料に基づくと、経営コンサルティング売上高比率は全体の7%程度であり、それ以外はIT関連サービスとなっている。総研においても、ITの位置づけが大きくなっていると見受けられる。
戦略コンサルティングファームの系譜
戦略コンサルティングファームの歴史は、独特な動きである。かなり遡り、米国での動きが中心となる。ファクトベース思考で有名な某ファームは金融に強いとされる戦略ファームと系譜を同じくし、元々2つの個人名を冠したファーム名であった(その後分離)。
この個人名を用いる辺りは、会計事務所系ファームや法律事務所も同様だ。日本で言うと、さながら、〇〇商会や□□組となる。
そこへ、個人名を用いない戦略ファームが、経験曲線やプロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)の理論で、1970年代一躍有名となった(設立は1960年代)。
同名のファンドが存在する戦略ファームは、このPPMの戦略ファーム出身者が立ち上げている(設立は1970年代初頭、ファーム名は個人名)。このように、戦略ファームは分離や独立を繰り返し発展してきた。
国内における戦略ファームの系譜は、日本法人設立がきっかけとなる。前述のPPMで有名なファームから分離、または独立する傾向がなぜか強い。
国内独立系に区分される老舗の戦略ファームも、もともとは1980年代中盤に外資系の日本法人から分離独立。その日本法人の元代表は、事業インキュベーションを目的としたファームを2000年に創設し、翌年東証マザーズ上場。現在は投資事業から撤退している。
また、ブティック系として成長戦略に舵を切るファーム(2001年設立、現在40~50名体制)の社長も、同ファームの出身である。
その他、海外では有名であるが、日本法人が非常に小規模であり金融やPEに強いとされる外資戦略ファーム(2010年代前後、人事・組織系ファームと経営統合、ファーム名変更)もあるのだが、詳しい説明は割愛させていただく。
MBBと呼称されるトップクラスは現在でも統合されずに残っている。しかしながら、世界に眼を向けると、2000~2010年代中盤にかけて再編が進んだ。
古くは、2000年代初頭に、日本で民事再生法に該当するChapter 11を米国で申請した、世界最古かつ製造業に強いと言われる外資系戦略ファーム。日本法人を中心に再興した模様だ(社名にジャパンが付く背景か)。
競争優位戦略で有名な某ビジネススクール教授陣が創設した戦略ファームは、会計事務所系が2010年代初めに買収した。母体が政府系や公共系、事業再生に強いとされた戦略ファーム(途中、社名変更)も同様に、2010年代中盤、会計事務所系が買収。日本法人・事務所は設立されなかったものの、海外ではM&Aや組織戦略に強いとされた戦略ファームも、2010年代中盤に買収される。これら3社の戦略ファームは、各々別の会計事務所系と言われるファームの傘下となってしまっている。
戦略コンサルティングが、“MCに近い”と私が身をもって言えるのは、取り扱う経営テーマ・内容にも依存するのだが、スキルとして必須となる、全体俯瞰、視座の高さ、先見力、そして様々な領域や業界における執行力(エグゼキューション)が、経営陣(マネジメント)の必須スキルと一致しているためである。
このような事実を認知し語れるようになったのは、つい最近のような気がしている。
その一方で……フリーランスの実態
リーマンショックや世界金融危機、東日本大震災の影響で、日本経済はなかなか復活しなかった。新卒就職も、「氷河期」と呼ばれる時代が長く続いた。
この私も、強制的に2009年、この「フリーランス市場」へ吐き出されたわけだが、ファームへ戻ることがなかなか叶わなかった。企業経営ニーズが“ガラっと”変わってしまったことが大きな理由であると考えている。
前述のように、国内外でM&Aを行うことが当然となり(シナジー創出を含めた成功はかなり低いと言われもするが)、そのためのデューデリジェンスや PMI(経営統合、Post Merger Integration)も増えたことである。
企業自ら執行はできず、そのため、コンサルティング、アドバイザリーという周辺サービスが急拡大したのではないかとみられる。
リーマンショック後の景気回復には結局、5年程度を要した。
企業は社外への出費を、特に長期にわたる情報システム開発を除いて抑えたため、コンサルティングの仕事も全く増えなかった。従い、フリーとなったものの定常的な仕事は全くなく、ファームへ戻ることもできず、非常に苦労したことを覚えている。
私が取った手段は、自身のスキルセットを変化させることであった。事業デューデリジェンス(BDD)やM&A、そして、事業再生、CFOなどであった。それ以外、術がなかった。もう少し若ければ、公認会計士資格を取得しようとも考えたくらいである。
戦略コンサルティングでは、とかくP/L(損益計算書)止まりである財務知識も、FASのように、B/S(貸借対照表)やC/F(キャッシュフロー計算書)に至るまで、財務三表の関係性を知ることなど知識や経験を蓄積するため、独学で、あるいは民間資格の取得を通じてなど、数カ年かけあらゆる手を尽くした。
関連するコンサルティングの仕事も、鋭意、積極的に獲得するようにした。最初は未経験のため参画率も低いのだが、一つ経験するとそれが糧となり、次の仕事につながっていく。
業種は関係なく(様々な業種経験をすることが経営コンサルティング=MC=や、戦略コンサルティングの“本質”とも考えていた)、同領域の、いわゆる“ソリューション” に注力したのである。
確かに、フリーランスのコンサル市場において、戦略やFAS領域の案件比率は、全体の1~2割程度。大半は、ITやSESと呼ばれるカテゴリーの案件である。
BDDについては、巷では“調査”と揶揄されていることも多いが、個人的には“戦略策定”そのものであり、この経験がその後、非常に役立ったと思っている。
外部環境(3Cのうちの2C、SWOT、競争五要因など)分析、内部環境分析(業績分析、施策出し)、PLモデリング(中期経営計画、5カ年計画策定)である。
その結果、戦略ファーム(大手・ブティックともに)の中には、BDDを主力サービスとして位置付けているところもあるし、事業ドメインとして適用しやすかったことが背景にあるのではないかと思料される。
近年、こうした戦略ファームからスピンオフし、BDD専業型ファームも増えている印象がある。私は、主にこうした専業型や戦略系からのBDD案件の経験を重ねていった。
これは余談になるのだが。
経営学は殆どが米国発であり、日本発の戦略論の書籍は、これまで業界人受けするものは稀有であった。この時期、“戦コン”の仲間内で、珍しく話題になった書籍がある。
「ストーリーとしての競争戦略―優れた戦略の条件」(楠木健著、2010年4月刊)である。
簡単に言うと、フロー図のように論理関係を図式化して描く手法。私も、実際の案件の中で活用させていただいた。
PESTといった外部環境並びに企業内の戦略や競争優位性等、内部環境双方の因果関係を“全体俯瞰図”として視覚化。顧客企業からの“受け”も良かったと記憶している。
良い人材が“売れ筋”
2010年代の初・中盤から、フリーランスコンサルタント(個人事業主)を“元請ファーム”とマッチング(すなわち紹介)するエージェント数が急激に増加した。コンサルティングファーム勤務経験者、特に若手が、一攫千金を夢見てか、マッチング業経営や運営へ進出することが増えたのである。
マッチングのみではなく、自ら一部の(高額か、専門領域か)案件を遂行するコンサルティング機能を有する、またはコンサル業を主力とするエージェント、戦略案件に特化したエージェントも増えた。中には、ミドル以上の人員のみを正社員とし、ジュニアクラスをフリーランスで運用するといった珍しいコンサルティングモデルも登場している。
また、一般企業と(独自の営業力に欠ける)コンサルティングファームをネット上でマッチングするサービスも登場している。局所的に価格破壊が進んでいるとも推察される。
この新たなマッチングという業態。初期、黎明期は良かったが、フリーコンサル市場としては2020年前後から、飽和に向かっているように感じ始めた。
統計がないため正確な数値はわからないが、エージェントの話では、国内のフリーコンサル登録者数は、若手を中心に2~3千人。個人間の競争も激化し、フィー(“月単価”) も低下傾向の流れという。ファームに在籍していても同じだが、結局は実力主義。良い人材が“売れ筋”なのだ。
契約期間に関していうと、IT・システム系を中心に長期の契約(更新含む)となるが、戦略系、BDD系は、ご存じのように短期・超短期の契約となり、繰り返し受注していくことが必須となってくる。
更には、ファーム自体が景気回復に伴い人員拡充し始めたため、外注(すなわち、フリーランスへ案件として降って来る)案件がかなり減少したようにも感じていた。
大量採用により良い人材はファームへ回帰する一方、ファームの大量解雇や個々人がQOLを重視するようにもなったことも手伝い、フリー市場へも人材が流出しているのが現状ではないかと推察される。
コロナ禍に突入すると、世界の景気後退が深刻化、外食や旅行・レジャー関係の企業は大打撃を被る。フリーコンサル市場への影響は思いのほか、リーマンショック程の影響は感じなかった。
かえって、“リモートワーク”が主流となり、「こんなにも生産性が高まるのか!」と感動、再認識した次第である。
さまざまな経験が糧に
フリーコンサル経験の利点は、(私の場合)様々な経験を積めたことである。
大手企業直(元請ファームを介さず)で、ほとんどコンサルティングを利用しない(市場に出回らない)グローバルで有名な、制御装置・駆動装置を得意とするFA・産業機械メーカーのコマーシャルDD(CDD、外部環境分析)を複数件手掛けた。
さらには、食品・飲料製造業や外食チェーンのBDDを複数件、年商数十億円規模のSIerのBDD、食品大手製造業のM&A支援、外資ヘルスケア企業の日本市場参入、米国遺伝子解析+デジタルヘルス、BSC(バランス・スコア・カード)/戦略マップを活用した重電機メーカー社長直下の中期経営計画策定支援、医薬品・製薬企業におけるライセンス導出・導入事業のモデリング(複数件)、某業界におけるAI戦略やDX戦略策定、某携帯キャリアにおける新規事業立案・デジタル事業見直し・若手層取込みの販促、ロボット事業見直し、グローバルブランド(健康食品)製品の日本市場参入、ヘルスケア・アンチエイジング市場、EVプラットフォーム、次世代通信のグローバル標準規格などの分析、経営者派遣のようなITベンチャー企業の経営企画部長や外資ブランド戦略コンサルティングファーム日本法人CSO(最高戦略責任者)などの代行である。
変わり種としては、国内経営大学院(MBA)進学予備校のバイト講師。競争戦略論、マーケティング・ブランド戦略の講義用レジュメも作成した。
フリーランスは “軽く”見られがちであり、“大手顧客とは仕事ができない”、“元請直下の下請け業務”などネガティブな印象を持たれがち、というのが一般的な見解だろう。
こうした一般的な“偏見”を私は胸を張って否定したい(無論、総体としてその偏見の通り、パフォーマンス・質への疑義がある人材もいなくはない)。
見ず知らずのフリーランス同士のチームを組成し、そのPMを果たしたことも何度もある。優れたオーナー系経営者による飲料メーカー(現在、見事にイグジット)のBDD。全国20カ所以上の“居抜き”物件であった製造拠点を、投資ファンドメンバーを“アテンド”し、1カ月で行脚(サイトビジット)、オペレーショナルDDを執り仕切ったこともある。
そして、フロンティア・マネジメント(FMI)へ
その私が、「なぜファームへ戻ったか?」である。
一番大きな理由は、「自らの市場価値を毀損している」と気付いたためである。欧米ならばいざ知らず、日本の労働市場は、とかく「正社員」であることを高く評価する。「非正規就労者」は待遇も、社会的地位、各種保障も非常に低いと感じたためである。
「なぜ、10年以上も?」と、聞かれることも多い。確かにやや長過ぎた感もある。戻ろうにも正規雇用へ戻れなかったことも大きいが、自己の“スキルセット変革”は、想像以上に大変であったことも。それだけ、必死であったこと、我武者羅に、時が経つのも忘れ働いてきた、ということなのである。
フロンティア・マネジメントの存在は、例の“再生機構”出身者が創設した時代から知っていた。入社のきっかけは、社外メンバーとして案件参画させていただいた、とあるBDD案件(2年前の冬)だ。
同社においてもBDD案件を多く手掛けていたこと、シニアクラスの経験者を求めていたことを知り、社員紹介制度(いわゆる“リファラル”制度)を活用させていただいた。1年半前の夏のことである。
職務経歴書や履歴書を提出した。志望理由書の提出は求められなかったが、作成しておいた。その中で、「なぜ、フロンティア・マネジメントなのか?」は、次の通りである。
「経営コンサルティング(MC)から、M&Aアドバイザリー、更には、投資ファンドまで有する、世界的に見ても唯一無二のファーム」だからである。
私が長年貫いてきた理念・ミッション、プロフェッショナル意識とも共通、一致していたこともある。
「MCとしての軸を振らすことなく、経営者視点・全体俯瞰の視座を持ち、生涯の仕事、ライフ・ワークとして、経営者支援を執行していく」
実は、成長基調にある戦略ブティックファームからも高い評価をいただき、オファーも頂戴したのだが、一足早く当社よりオファーをいただいており、この“唯一無二の存在”の魅力を陵駕できなかった。
旧コーポレート・ストラテジー(CS)部門を経て、私自身の理念・ミッションを果たしていくべく、日本の様々な企業に対しCFOやCSOなどCXOを派遣していく“経営執行支援部門(MES)”に、現在は所属している。
こうしたMC部門を社内に内包していることも、他ファームには決して見られない大きな差別化要因、競争優位性ではなかろうか。
Frontier Eyes Online(FEO)の他の論考記事には、同部門の特徴として、ハンズ・オンを超えた“ボディ・オン”も唱えられている。
個人的な勝手な解釈ではあるが、“ボディ・オン” with “パッション”または“ハート”を以て「心身ともに」、また前述した「孤独な経営者に寄り添う」べく、このライフ・ワークに身を捧げていきたい、と考えている。
「内側から見た経営コンサルティング(MC)の歴史」と銘打った回想録だが、このテーマはここまでとなる。長々、3回にわたる個人的な所感・回想にお付き合いいただき、至極、恐縮である。
特別編として次回は、現在、取り上げられることも少なくなった「海外ビジネススクール留学/MBA」について、私の経験を語っていくこととしたい。
(特別編へ続く)
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【回想録】 内側から見た経営コンサルティング(MC)の歴史 (特別編・上) ~海外ビジネススクール、当時の動向と現在の差
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