読了目安:10分
地方百貨店の生き残りへの道
2020年からのコロナ禍により百貨店業界は大きな打撃を受けたものの、都市部を中心に売上高は回復傾向を示しており、一部百貨店は過去最高の売上高を計上している。しかし、地方百貨店の多くは未だ回復に至っていない。本記事においては、地方百貨店の抱える課題を整理し、今後の生き残りの道について探っていく。
なお、本記事の「百貨店」は日本百貨店協会加盟の店舗を対象とする。また、売上高については「収益認識に関する会計基準」適用前の総売上高を対象としている。
百貨店の回復傾向
百貨店業界は1991年のピーク時には約9.7兆円の売上を計上していたが、その後は長期低落傾向を歩んでいる。特に2020年からのコロナ禍により急激な売上減少を示した後、現在に向けて回復の傾向を見せているものの、2022年においても約5兆円とピーク時のおよそ半分に留まっている。
コロナ禍を通じて小売業の売上は大きく変化した。
イエナカ需要の拡大により、スーパーマーケット、ホームセンター、ドラッグストアの需要は拡大し、外出制限やテレワークの拡大等によりコンビニエンスストア、百貨店の需要は縮小した。
直近においては、物価上昇の影響も受けて、ドラッグストアやスーパーマーケットは堅調に推移し、ホームセンターやコンビニエンスストアはコロナ禍前の水準に戻っている。
一方で百貨店は、改善は見られるもののコロナ禍前を大きく下回る水準であることは変わらず、いまだ回復途上、という状況である。
ところがその中でも、2022年に過去最高の売上高を計上した店舗がある。伊勢丹新宿本店、阪急うめだ本店、JR名古屋高島屋の3店舗である。
JR名古屋高島屋は、名古屋駅の再開発によって2000年に開店した比較的新しい店舗である。一方で伊勢丹新宿本店や阪急うめだ本店は、当地に開業したのが1930年代と長い歴史を持ち、百貨店ピーク時であるバブル期も経ているにも関わらず、当時の売上高を超えてきている。
これは百貨店「業界」の復活・成長を示すのだろうか。筆者はそうは考えていない。
この3店舗はそれぞれ、関東・関西・中部の「一番店」である。若年の富裕層(百貨店を頻繁に使う)拡大や、インバウンドの恩恵を受けやすいことが背景にあると考えられるが、これらは都市部(かつ中心の一部)でしか起こらず、あくまで局地的である。
先に述べた通り、百貨店全体ではコロナ禍前まで回復しておらず、むしろ今後も「上位店への集中、店舗数の減少」の傾向が強まるのではないかと危惧される。
地方百貨店の概況
本記事においては、大都市圏以外に立地する百貨店を地方百貨店としている。中でも「大手(呉服系・電鉄系)の地方店舗(以下「地方店」)」と「各地域に本店を持つ地場百貨店(以下「地場百貨店」)」に分かれる。
地方店には、大手百貨店が地方に出店したケースもあるが、かつては地場百貨店だった店が大手百貨店と提携・傘下に入るケースも多い(ただし、現状は大手百貨店系の運営となるので、合わせて地方店としている)。
地場百貨店を中心に、多くの地方百貨店は長い歴史を持ち、地域に根付いている。百貨店が地元商業の要となっていることも多く、地域経済にとっても重要な存在である。
地方百貨店の売上推移
地方百貨店も当然コロナ禍の影響を大きく受けている。当初の影響は都市部の百貨店に比べると小さかったものの、回復は遅れており、コロナ禍前の水準に大きく及んでいないのが実態である。
もう少し長期の推移を見ていくと、地方百貨店、特に地場百貨店の売上が長期低落傾向であることが確認できる。
過去10年を振り返ると、都市部では売上維持・増加の局面もあった一方、地場百貨店においては変わらず減少が進んでいたことになる。衣料品においては百貨店全体でも減少傾向であるが、地場百貨店では特に顕著で、10年間でほぼ半減している。
なぜ地方百貨店は苦境に陥っているのか
地方百貨店、特に地場百貨店は数十年もの間、売上減少傾向、業況の縮小を余儀なくされており、この間多くの店舗が撤退に追い込まれている。
2023年時点で徳島・山形には百貨店店舗(サテライトの小型店舗を除く)は存在せず、10以上の県で百貨店は1店舗のみしかない。ここまで苦境に陥っているのは、大きく5つの要素があると考えられる。
①地域全体の市場縮小
改めて指摘することでもないが、地方百貨店の立地する地域の人口は大都市と比較しても減少が著しい。過去10年で三大都市圏の人口は+1%、生産年齢人口(15~64歳)は▲4%である一方、地方については人口が▲5%、生産年齢人口が▲12%と大きな差がついている。
②中心市街地の変化
各都市で成立過程は異なるものの、百貨店は古くからの商業集積の中心として栄えてきた。戦後は商店街の中心として発展することも多かった。しかし、鉄道・自家用車といった交通機関の発達に伴って人の流れが変化することにより、百貨店の立地が「中心市街地」ではなくなってきている。
例えばJRの駅はかつての中心市街地から少し離れたところにあることが多いが、現代はJRの駅が中心となっているケースが増えてきている。
例えば札幌市は「大通・すすきの」エリアが商業の中心であったが、札幌駅近辺の開発が進み、現在では札幌駅に隣接する大丸が一番店となり、大通エリアにある丸井今井は経営不振により三越伊勢丹ホールディングスの完全子会社となっている。JR駅周辺台頭の事例は名古屋、福岡(博多)等にも見られる。
③大型ショッピングセンター(SC)の進出
②と関連して、自家用車の普及に伴い大型SCの進出が1990年代以降顕著になっており、地域によっては新たな商業集積を創出している。
百貨店の新規顧客となり得るファミリー層は、車の利便性が高いSCを主に利用するようになり、百貨店離れが進んでいる。地方百貨店の中には郊外に出店して競合SCの役割を担おうとしたところもあるが、百貨店とSC運営のノウハウ・強みは全く異なるため併存は厳しく、当初の目的を果たせていない。
④老朽化
地方百貨店の多くは建築後40年超経過しており、建物の老朽化が進んでいる。本来であればライフスタイルの変化に対応した改装・建て替え・駐車場の拡充が必要であったが、それらができないまま競争力を失い、改装に必要となる原資を確保できず、さらに競争力を失うという悪循環に陥っている。
⑤「情報の優位性」の喪失
20世紀においては、百貨店は情報の発信拠点として確立しており、ファッションのトレンドは百貨店で知る、というケースも多かったのではないか。
地方において海外や東京のトレンドを知ることができたのは百貨店のみであり、たとえ半年~1年遅れであっても「東京で流行したものをそのまま持ってきた」だけで売れた時代もあった。
ところが、現代はスマホをはじめとした様々な端末で世界中の情報をリアルタイムに確認できる。また、かつては都心を除き百貨店でしか購入できないブランドが多数あったが、その多くは各ブランドのサイトやECモールで購入することができる。つまり、地方百貨店がかつて持っていた「情報の優位性」が失われることになった。
これらは、30年前から、遅くとも10年前にはわかり切っていたことであるが、ほとんどの地方百貨店は変化に対応できず、適切な手を打てずに現在に至っている。その観点では現在の苦境は自ら招いた部分が多いのではないか。
今後の生き残りの道
地方百貨店は現在苦境に陥っているが、今でも地域経済には欠かせない存在である。その中で生き残るためにはどうすればいいのか。
100%の正解はないが、他にはないものを用いて生き残るしかないと考える。ここでは一例として3点あげる。
百貨店の持つ「強み」=「のれん」を最大限生かす
他にない百貨店の強みは、「のれん」であろう。確かな商品、高いレベルのサービスを実現する従業員に裏付けられた地域社会・住民の百貨店に対する信用は、今でも絶大である。
地域の価値を高める商品・サービスの発掘を通じて「情報の優位性」を確立し、存在感を高める必要がある。そのためには価値ある商品・サービスを発掘する「キュレーター」としての役割が求められるであろう。
地域間連携
地方百貨店は、顧客が異なるため他地域の地方百貨店とは競合しない。各地域で発掘した価値ある商品・サービスを他の地域に広めるための連携は、地方百貨店の価値を高めることに資するはずだ。
「全国ご当地おすすめ名産品」「地域を超えた商品企画の連携」といった取り組みはすでに行われており、今後の拡大も期待できる。
適正規模への縮小
強みを生かし、地域間連携で販売力が高まったとしても、老朽化等のマイナス影響を克服するのは容易ではない。多くの百貨店で売場面積が過剰であり、維持コストが負担となっている。
打開するためには適正規模へ縮小していく必要があるが、老朽化した店舗ではテナント導入も不調に終わる可能性が高く、建て替えもしくは移転が必要となる。
すでに甲府市の岡島百貨店は移転を行った結果、面積縮小しても客数減が見られない、という成果もあげており、その他にも建て替え計画が進んでいる百貨店も存在する。
おわりに
地方百貨店の苦境は、コロナ禍や地域経済の不振など、外部環境に依るところも大きいが、変化対応できなかったことこそが真因であると考える。
その中で地域の価値を発掘して「情報の優位性」を再確立し、ひいては地域の価値を高めることができれば、地方創生の一翼を担うことができるであろう。地方百貨店がそういった存在となることを期待したい。
コメントが送信されました。