難解な道理をシンプルに

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

僕自身が最も理想的だと考える表現は、最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現することです。少なからざる人がごく簡単な道理を難解な言葉で表現しようとします。これは馬鹿げているだけではなく、時としてとても危険なことでもあります。

インタビュー集『夢を見るために僕は毎朝目覚めるのです』(文藝春秋)からの引用です。村上春樹さんは露出を嫌い、取材をほとんど受けないため、このインタビュー集はとても貴重です。
上記は、台湾の記者のインタビューに対して答えた部分ですが、台湾においても、短編集『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(『遇到百分之百的女孩』、日本では『カンガルー日和』)は11万部(インタビュー時点)を超える売れ行きだそうです。タイトルが素敵ですね。

「知の欺瞞」論争

閑話休題。「最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現する」。かつて、哲学をめぐる「知の欺瞞」論争がありました。1996年、社会学系の論文集として知られる「ソーシャル・テクスト」誌に、「境界を侵犯すること――量子力学の変形解釈学に向けて」という論文が掲載されました。要旨は以下です(以下は、高橋昌一郎氏『知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性』(講談社現代新書)より)。
「量子重力においては、時空連続体はもはや客観的な物理的実在としては存在せず、幾何学は関係的かつ文脈依存的になり、既存の科学の根本的な概念範疇は――存在そのものも含めて――問題化され相対化される」

何が書いてあるか理解できるでしょうか?
できないはずです。

なぜなら、この論文には裏があるからです。この論文を投稿したニューヨーク大学の物理学者アラン・ソーカルは、投稿した翌年、「Fashionable Nonsense」(みせかけだけの知性、とでも訳すのでしょうか)を発表しました。一年前の論文は、難解な言葉をでたらめに並べただけのものであったことを明らかにしたのです。にもかかわらず、ソーシャル・テクスト誌は掲載をした、すなわち、一部の学者は理論を理解することなく、知的に見せるためだけに物理学の言葉を濫用していることを実証したのです。
やり玉にあがったのは、ラカン、クリステヴァ、イリガライ、ガダリ、ラトゥール、ボードリヤール、ドゥルーズ、ヴィリリオの8人。これら8人のどんな文章が高尚なものとして扱われていたのかは割愛しますが、読むに堪えないものです。

真の知は簡潔で美しいのです。人類が生み出した偉大な三大理論に至る過程を、専門家でない我々が理解することは不可能です。しかし、我々は、これら理論が示してくれた真理――アインシュタインの相対性理論「時空は相対的なもので伸び縮みする」、プランクに始まる量子論「この世界は量子的に構築されている」、ゲーデルの不完全性定理「原理的にその真偽を証明できない命題が存在する」―――に眩暈(めまい)を覚え、また、現実に我々の生活を豊かにしています。

京セラ・稲森氏の至ってシンプルな言葉

実学イメージ

経営においても、偉大な経営者が難解な経営学用語を使っているのを筆者は聞いたことがありません。京セラの創業者稲盛和夫氏の著作『稲盛和夫の実学』(日本経済新聞出版)が象徴的です。
稲盛氏は技術者でいらっしゃいますが、運命の悪戯で若くして経営者となり、財務、会計、人事、法務、営業などあらゆることを学ばなくてはなりませんでした。稲盛氏が解釈すれば、経営は「入り(収入)より出(費用)を少なくする」ことになります。
他にも、「会計上の利益は意味がない。重要なのは現金がいくら残ったか」ということであったり、「値決めが経営」であったり、簡潔に真理をついています。
経営学者やコンサルタントの言葉では、前者は「キャッシュフロー経営」、後者は「プライシング戦略」となりますが、稲盛式のほうがずっとわかりやすいと思います。

2000年代前半には、経営指標として「EVA」(経済的付加価値)が流行りました(EVAは登録商標です)。筆者が勤務していた企業は、部署全員に香港での二泊三日のEVA研修旅行を用意してくれました。資本コストも考慮したEVAは、利益の絶対金額による評価よりも正確な指標であることは間違いありません。
しかしながら、その計算は煩雑(※注)で、日々忙しい前線の人間が常に把握できるようなものではありません。精緻な指標であったとしても、広く社員が共有して初めて意義があります。EVA改善を目指すのであれば、EVAが改善するように社員が働くような仕組み、指標をつくることが重要と言えます。

※注 EVA = NOPAT - CE × WACC
NOPAT:税引後営業利益
CE:有利子負債+株主資本
WACC:加重平均資本コスト

京セラの目標はわかりやすい

京セライメージ

京セラの社員が目標とする指標は非常にわかりやすくて、「一人あたり時間あたり売上高を拡大する」です。確かに厳密ではないかもしれませんが、より身近で、目標とそのための道筋が明らかです。真理が見える稲盛氏は単純に語ることができ、一方で真理がみえない我々は、華美荘厳な経営用語で武装しようとするのです。

修羅場をくぐってきた日本電産の創業者永守重信氏に「貴社の戦略は、我々の3C分析に基づくと・・・」なんて言ったら出入禁止請け合いです(!)。

深い洞察力を持つ経営学者・経済学者フリーク・ヴァーミューレンは以下のように書いています(「ヤバイ経営学」、原題Business Exposed、東洋経済新報社。話はそれますが、この安っぽい日本語タイトルは誠に残念。出版にかかわる人には言葉にもっと敏感であって欲しいものです)。

「多くの専門コンサルタントが、TQM、ISO9000、シックスシグマなどの導入を支援し、そして企業は感染する。ロンドンのトラファルガー広場のハトのように、経営コンサルタントは間違った経営手法の拡散と定着を促進する。ロンドンのリビングストン元市長の言葉を借りれば、そういうものは餌付けを禁止して餓死させるのが一番なのだ」

経営学者自身が言っているのですから間違いないです。多くの経営者の聖書になっているドラッカー氏の著作にも難解な言葉はありませんが、とても味わい深いです。

コンサルタントが難解な理論やカタカナを乱用したら、「日本語で噛み砕いて説明してくれますか?」と返してみるのは一案でしょう。

何事もシンプルに

最後にソニー創業者盛田昭夫氏の一言(「21世紀へ」、ワック)。
「ソニーがシンプルな原則に基づいて経営してきた背景には、当社に物理屋が多かったこともあずかっているかもしれない。・・・中略・・・物理とは『たくさんの現象を、なるべく簡素化した法則で説明する学問』なのである。・・中略・・私たち物理屋の頭はそうトレーニングされているので、何事をやるにも、その本質は何か、根本原則は何か、をまず考える。」

シンプルで行きましょう。

▼村上春樹さんから学ぶ経営(シリーズ通してお読み下さい)
①作品に潜む成功へのヒント
②作品に潜む成功へのヒント(差異化について)
③「創造する人間はエゴイスティックにならざるを得ない」
④危機と指導者
⑤「君から港が見えるんなら、港から君も見える」
⑥「靴箱の中で生きればいいわ」
⑦「僕より腕のたつやつはけっこういるけれど…」
⑧「退屈でないものにはすぐに飽きる」
⑨「どや、兄ちゃん、よかったやろ?クーっとくるやろ?」
⑩「王が死ねば、王国は崩壊する。」

【おくやみ】本多通信工業株式会社 佐谷紳一郎社長が逝去された。佐谷社長は3期連続赤字であった同社を導き優良企業に変革された。いつも活力に溢れていた佐谷社長。享年62歳の早すぎる旅立ちに絶句し、哀悼を申し上げます。

関連記事

ハイブリッドクラウドを導入するメリット・デメリットや活用事例を紹介

現在多くの企業は、業務効率化や生産性向上のため、IT化によって自社のサーバーやデータを管理する必要があります。 従来は企業内だけで通信するネットワーク内にサーバーを設置し、データを管理するオンプレミス(自社運用型)が主流でしたが、近年はクラウド環境の導入が進んでいます。 クラウド(クラウド・コンピューティング)とは、誰でもアクセスできるインターネット経由でサービスを利用できる技術です。 さらにクラウド技術の活用が進むにつれ、最近では「ハイブリッドクラウド」という運用スタイルが広がっています。このスタイルには一体どのようなメリットがあるのでしょうか? 今回は、ハイブリッドクラウドについての基礎知識やメリット・デメリット、ハイブリッドクラウドを活用した事例などを解説します。

実店舗が取り組みたい、位置情報を活用したマーケティングとは?

「緊急事態宣言で渋谷で7割減、梅田で8割減」――コロナ禍の外出制限下で、スマホの位置情報によって人の移動を計測したニュースを目にした方は多かったでしょう。スマホの位置情報は、現在位置の確認のだけではありません。災害への対応や道路の渋滞緩和など様々な分野で利活用が進んでおり、ビジネスにおいては特に実店舗のマーケティングにおいて大きな注目を集めています。今回は「位置情報マーケティング」について解説していきます。

スピンオフとスピンアウトの違いとは?国内外の事例や税制についても解説

近年、複数の市場に挑戦する多角化企業が事業を分離し、企業価値の向上のためにそれぞれの事業に集中特化した経営戦略を採用する事例が目立ちます。 こうした事業フォーカスを強化するための事業展開に、「スピンオフ」や「スピンアウト」と呼ばれる手法があります。 それぞれどのような共通点や違いがあり、どのようなメリットがあるのでしょうか?本稿では、国内外の事例や税制の観点も交えてご紹介します。

ランキング記事

1

パワー半導体の世界シェアは?注目市場の今後の動向を解説

パワー半導体(パワートランジスタ)は、家電や電気自動車をはじめとして、さまざまなデバイスの電源管理に使われています。 多くの分野で需要が伸びており、長期的な成長が期待できるマーケットです。 日本の企業や大学発ベンチャーが競争力を保っている分野でもあり、「パワー半導体強国」として世界市場でのシェアを獲得するべく、積極的に研究開発を行っています。 本記事では、世界規模で成長をつづけるパワー半導体の市場規模や、今後の展望を解説します。

2

2021年展望  化粧品業界 急回復もレッドオーシャン化する中国市場

国内化粧品市場は厳しい環境が続く中で、多くの化粧品企業が来期以降の業績回復の牽引役として、中国経済圏での売上拡大を掲げている。しかし、中国市場は欧米、中国、韓国メーカーの勢いが増しており、レッドオーシャン化しつつある。グローバル競合が激化する化粧品市場において、消費者に向き合ったコミュニケーションの進化が差別化のカギとなる。

3

「7+1」のキーワードから読み解く 2021年のM&A展望

「今年は厳しかった」 この時期のM&A業界に携わる人々の一年の感想である。しかし、振り返ってみると日本企業によるM&Aは緊急事態宣言期間中こそ手探りであったが、6月以降は活況であったとみていい。

4

コロナ禍に有効なアーンアウト条項とは シンガポール案件からの考察

コロナ状況下でもASEAN地域においてPEファンドによる売却が積極的に行われている。アーンアウト条項を通じ、コロナ状況下のリスクを買い手と売り手で分担している例もみられ、危機時の参考事例として紹介・考察したい。

5

事業承継M&A オーナー経営者に配慮すべき4つの視点

事業承継M&Aを進める際に最も大切なのは、売り手側のオーナー経営者との向き合い方だ。多くの場合、オーナー経営者は大株主であり、資産家であり、地域の名士でもある。個人と会社の資産が一体となっている場合も多く、経済合理性だけでは話が進まない場合も多い。M&A交渉においてオーナー経営者と向き合う際の留意点を4つの視点からまとめてみた。

人気のキーワード

海外スタートアップ情報はこちら!  寄稿・執筆者募集中