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村上春樹さんから学ぶ経営⑪「最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現する」
世界は複雑に見えます。しかしながら、真理は覆い隠されているだけで実は単純なのかもしれません。複雑にみえる物事を解きほぐし、真理を見出す力。優れた経営者は持っています。一方で、偉大な経営者が難解な経営学用語を使っているのを筆者は聞いたことがありません。 それでは今月の文章です。
難解な道理をシンプルに
僕自身が最も理想的だと考える表現は、最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現することです。少なからざる人がごく簡単な道理を難解な言葉で表現しようとします。これは馬鹿げているだけではなく、時としてとても危険なことでもあります。
インタビュー集『夢を見るために僕は毎朝目覚めるのです』(文藝春秋)からの引用です。村上春樹さんは露出を嫌い、取材をほとんど受けないため、このインタビュー集はとても貴重です。
上記は、台湾の記者のインタビューに対して答えた部分ですが、台湾においても、短編集『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(『遇到百分之百的女孩』、日本では『カンガルー日和』)は11万部(インタビュー時点)を超える売れ行きだそうです。タイトルが素敵ですね。
「知の欺瞞」論争
閑話休題。「最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現する」。かつて、哲学をめぐる「知の欺瞞」論争がありました。1996年、社会学系の論文集として知られる「ソーシャル・テクスト」誌に、「境界を侵犯すること――量子力学の変形解釈学に向けて」という論文が掲載されました。要旨は以下です(以下は、高橋昌一郎氏『知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性』(講談社現代新書)より)。
「量子重力においては、時空連続体はもはや客観的な物理的実在としては存在せず、幾何学は関係的かつ文脈依存的になり、既存の科学の根本的な概念範疇は――存在そのものも含めて――問題化され相対化される」
何が書いてあるか理解できるでしょうか?
できないはずです。
なぜなら、この論文には裏があるからです。この論文を投稿したニューヨーク大学の物理学者アラン・ソーカルは、投稿した翌年、「Fashionable Nonsense」(みせかけだけの知性、とでも訳すのでしょうか)を発表しました。一年前の論文は、難解な言葉をでたらめに並べただけのものであったことを明らかにしたのです。にもかかわらず、ソーシャル・テクスト誌は掲載をした、すなわち、一部の学者は理論を理解することなく、知的に見せるためだけに物理学の言葉を濫用していることを実証したのです。
やり玉にあがったのは、ラカン、クリステヴァ、イリガライ、ガダリ、ラトゥール、ボードリヤール、ドゥルーズ、ヴィリリオの8人。これら8人のどんな文章が高尚なものとして扱われていたのかは割愛しますが、読むに堪えないものです。
真の知は簡潔で美しいのです。人類が生み出した偉大な三大理論に至る過程を、専門家でない我々が理解することは不可能です。しかし、我々は、これら理論が示してくれた真理――アインシュタインの相対性理論「時空は相対的なもので伸び縮みする」、プランクに始まる量子論「この世界は量子的に構築されている」、ゲーデルの不完全性定理「原理的にその真偽を証明できない命題が存在する」―――に眩暈(めまい)を覚え、また、現実に我々の生活を豊かにしています。
京セラ・稲森氏の至ってシンプルな言葉
経営においても、偉大な経営者が難解な経営学用語を使っているのを筆者は聞いたことがありません。京セラの創業者稲盛和夫氏の著作『稲盛和夫の実学』(日本経済新聞出版)が象徴的です。
稲盛氏は技術者でいらっしゃいますが、運命の悪戯で若くして経営者となり、財務、会計、人事、法務、営業などあらゆることを学ばなくてはなりませんでした。稲盛氏が解釈すれば、経営は「入り(収入)より出(費用)を少なくする」ことになります。
他にも、「会計上の利益は意味がない。重要なのは現金がいくら残ったか」ということであったり、「値決めが経営」であったり、簡潔に真理をついています。
経営学者やコンサルタントの言葉では、前者は「キャッシュフロー経営」、後者は「プライシング戦略」となりますが、稲盛式のほうがずっとわかりやすいと思います。
2000年代前半には、経営指標として「EVA」(経済的付加価値)が流行りました(EVAは登録商標です)。筆者が勤務していた企業は、部署全員に香港での二泊三日のEVA研修旅行を用意してくれました。資本コストも考慮したEVAは、利益の絶対金額による評価よりも正確な指標であることは間違いありません。
しかしながら、その計算は煩雑(※注)で、日々忙しい前線の人間が常に把握できるようなものではありません。精緻な指標であったとしても、広く社員が共有して初めて意義があります。EVA改善を目指すのであれば、EVAが改善するように社員が働くような仕組み、指標をつくることが重要と言えます。
※注 EVA = NOPAT - CE × WACC
NOPAT:税引後営業利益
CE:有利子負債+株主資本
WACC:加重平均資本コスト
京セラの目標はわかりやすい
京セラの社員が目標とする指標は非常にわかりやすくて、「一人あたり時間あたり売上高を拡大する」です。確かに厳密ではないかもしれませんが、より身近で、目標とそのための道筋が明らかです。真理が見える稲盛氏は単純に語ることができ、一方で真理がみえない我々は、華美荘厳な経営用語で武装しようとするのです。
修羅場をくぐってきた日本電産の創業者永守重信氏に「貴社の戦略は、我々の3C分析に基づくと・・・」なんて言ったら出入禁止請け合いです(!)。
深い洞察力を持つ経営学者・経済学者フリーク・ヴァーミューレンは以下のように書いています(「ヤバイ経営学」、原題Business Exposed、東洋経済新報社。話はそれますが、この安っぽい日本語タイトルは誠に残念。出版にかかわる人には言葉にもっと敏感であって欲しいものです)。
「多くの専門コンサルタントが、TQM、ISO9000、シックスシグマなどの導入を支援し、そして企業は感染する。ロンドンのトラファルガー広場のハトのように、経営コンサルタントは間違った経営手法の拡散と定着を促進する。ロンドンのリビングストン元市長の言葉を借りれば、そういうものは餌付けを禁止して餓死させるのが一番なのだ」
経営学者自身が言っているのですから間違いないです。多くの経営者の聖書になっているドラッカー氏の著作にも難解な言葉はありませんが、とても味わい深いです。
コンサルタントが難解な理論やカタカナを乱用したら、「日本語で噛み砕いて説明してくれますか?」と返してみるのは一案でしょう。
何事もシンプルに
最後にソニー創業者盛田昭夫氏の一言(「21世紀へ」、ワック)。
「ソニーがシンプルな原則に基づいて経営してきた背景には、当社に物理屋が多かったこともあずかっているかもしれない。・・・中略・・・物理とは『たくさんの現象を、なるべく簡素化した法則で説明する学問』なのである。・・中略・・私たち物理屋の頭はそうトレーニングされているので、何事をやるにも、その本質は何か、根本原則は何か、をまず考える。」
シンプルで行きましょう。
▼村上春樹さんから学ぶ経営(シリーズ通してお読み下さい)
「村上春樹さんから学ぶ経営」シリーズ
【おくやみ】本多通信工業株式会社 佐谷紳一郎社長が逝去された。佐谷社長は3期連続赤字であった同社を導き優良企業に変革された。いつも活力に溢れていた佐谷社長。享年62歳の早すぎる旅立ちに絶句し、哀悼を申し上げます。
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