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値上げは新時代の軍資金 ~【前編】日本外食、波乱の50年。値上げとイノベーションの外食史~
昨今、円安やロシアのウクライナ侵攻を背景とした食品の値上げラッシュが止まらない。 今回の値上げラッシュは、消費者や外食業界に果たしてどのような影響を与えるのか。また、外食業界はどう対応するべきなのか。それらの問いに対する答えを、前後編にわたって考察したい。前編となる本稿では、今回の値上げを評価するために、外食業界の歴史を振り返りたい。
値上げラッシュが続く外食業界
外食企業の値上げが相次いでいる。
東京商工リサーチによると、2022年1月~9月上旬、大手外食チェーン122社のうち、およそ6割にのぼる71社が値上げを発表した。単価の安いファストフード店やコーヒーショップは、従来比15%以上と大幅な値上げも公表した。
人件費の高騰も値上げの要因だが、それ以上に世界情勢不安による資源高と円安が各社を値上げに踏み切らせた。円安は2022年10月も進み、10月20日には一時1ドル=150円台まで円が値下がりした。これは、1990年8月以来およそ32年ぶりの円安水準だった。
マクドナルド、ミスタードーナツ、吉野家など主要チェーンはさらなる値上げを発表した。今後も一連のコストプッシュによる外食企業の値上げラッシュは継続する可能性が高いだろう。
安さだけを単に求める消費者からみると、値上げは好ましくない。しかし、健全な業界の発展という長期的な視野ではどうだろうか。料金を支払う側である消費者にとっても、値上げが100%ネガティブというわけではないだろう。
今回の一連の値上げの動きは、外食業界にとって久々であり、原材料費や水道光熱費の上昇幅を見れば外食企業側の懐事情も理解できる。では、今回の値上げはどう評価すればいいのだろうか。外食産業の歴史を振り返りながら、見ていこう。
経済成長とともに発展してきた日本外食産業の歴史
外食の普及と値上げ(~1980年代)
日本の外食産業の発祥は1970年代まで遡る。
1970年、大阪で万博が開催された。同博覧会は「料理万博」と呼ばれるほど、多くの飲食店が出店を行った。この年、日本が「外食元年」を迎えたとされる。
1970年は、すかいらーく、ケンタッキーフライドチキンの1号店が出店した。翌1971年には、マクドナルド、ミスタードーナツなど、今なお存在感を示す主要チェーンが相次いで開業したのだ。
この2年で、本格的な外食産業の歴史が始まった。「外食産業」という言葉がメディアで登場するようになったのもこの頃だ。高度経済成長期は1973年の第一次石油危機で終焉する。外食産業が産声を上げたのは、まさに成長期の最終局面だった。
年々豊かになる消費者にとって、外食は「手の届く贅沢」だった。また、外食産業が提供するレストランや店舗は、新しい生活を体験するハイカラな場所でもあった。消費者の非日常需要を取り込むことで、外食産業は急速に拡大した。二度の石油危機を乗り越えて、日本経済は1980年代も成長を続けた。
1980年代は郊外マーケットが開花した時期でもある。核家族が郊外に移り住み、外食産業の新しい立地創造とシンクロした。
外食の浸透率を計る指標として、「食の外部化比率」がある。同指標は、1970年から1990年にかけて、15%ポイント上昇して40%に到達した。外食時における客単価も、段階的な値上げを繰り返しながらほぼ一貫して上昇傾向をたどった。
価格革命下での値下げ競争(1990-2000年代前半)
1990年代から外食業界は一転して値下げ局面に入った。背景は円高と規制緩和だ。
1985年のプラザ合意による円高、1991年の日米貿易交渉による牛肉・オレンジの輸入枠の撤廃により、安価な輸入品が国内に流通した。
平行して、日米構造協議(1988年から計5回開催)によって、大型店舗の出店規制を目した大店法が緩和された。価格破壊で知られるダイエーやイオンが出店競争を繰り広げ、モノの値段が大きく下がった。いわゆる「価格革命」の到来だ。小売業界の苛烈な価格競争で、内食の値段が下がった。
外食業界と小売業界は、直接的にも間接的にもお互いが影響し合う。相互のフィードバック効果を持つ産業と言える。内食の値下げに呼応する形で、外食各社も値下げ戦略に出た。
すかいらーくは、1992年にガストを立ち上げた。ガストは、従来のすかいらーく業態よりも大幅に商品単価を抑制した業態だ。同社は順次、既存業態からガストへの転換を進めた。居酒屋業界では、モンテローザ、ワタミ、コロワイドといった新御三家が台頭した。いずれも共通点は低価格だ。
1999年から施行されたゼロ金利状態はこれに拍車をかけた。
外食全体の資産コストやオペレーションコストはさらに引き下がった。コスト減は、外食各社のさらなる低価格化と出店競争を促した。吉野家の「290円牛丼」、マクドナルド史上最安となる「59円バーガー」などは、その象徴だ。
しかし、行き過ぎた価格競争は業界全体の健全性を脆弱にした。値下げ競争をしたものの、1997年の消費増税により、外食市場は頭打ちの様相を呈した。低金利を背景にした出店増も、業界全体でのオーバーストア状態を鮮明にしてしまった。
オーバーストア下での業態百花繚乱(2000年代後半~)
2000年代後半になると、外食市場は再び拡大に転じた。
業界全体のオーバーストア問題は依然として残り、外食の価格自体も引き続き低調だった。しかし、起業家マインドを持った新たなプレイヤーが消費者嗜好の変化を捉えて、新たなビジネスモデルを開花させた。
1980年代には、核家族の増加が郊外市場やファミリーレストランを創造した。一方で1990年代半ばからは、核家族よりも顕著な増加を見せたのは単身家族だ。
1997年に東京学芸大学助教授(当時)の山田昌弘氏が「パラサイト・シングル」という概念を提唱した。その後、フードジャーナリストの岩下久美子氏が「おひとりさま」という言葉を提唱。「おひとりさま」という言葉は2005年に流行語大賞にノミネートされ、流布していった。
世紀の変わり目前後の10~15年間は、単身あるいは単身世帯に注目が向かった。実際、外食業界でも、単身向けの業態開発が進展した。
2006年には定食提供型の「やよい軒」が誕生。その前年に東京進出を果たしたのが「鳥貴族」だ。2013年には「いきなりステーキ」という立ち食いスタイルの業態が登場する。少し時代は下るが、2018年には完全に一人向けの「焼肉ライク」が誕生した。また、スターバックスなど若者向けのカフェに気後れする中高年の単身消費を取り込んだのが、「コメダ珈琲」だった。空間提供が支持された同社は、2008年からファンド傘下で急成長した。
こうして、おひとりさま向けの業態開発が百花繚乱の時代を迎えた。世帯数は減少傾向に転じたものの、新しい業態が消費マインドを刺激し、1世帯当たりの外食支出増加がドライバーとなって市場を押し上げたのだ。
50年に及ぶ日本外食の歴史から見えるもの
このように、外食産業はこれまで環境変化に適合する形で成長を遂げてきた。値上げしたとしても、その裏側には必ずイノベーションが伴っていた。
日本外食の歴史はすでに50年以上にもなる。今回の値上げに関しても、ただの値上げにとどまらず、必ず過去から学びを得て、それを活かした値上げの価値を導き出せるはずである。
次回は、今回語った歴史からの学びを考え、今回の外食業界における値上げの意味と今後の外食企業の戦略方向性について言及したい。
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