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「大変革」の時代を生きる 渋沢栄一のリーダー像 ㊦論語と算盤
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の放映が終盤を迎えている。明治期に入り、官僚や企業家としての活躍はめざましく、「近代日本経済の父」と呼ばれる人生が躍動的に描かれている。㊦では、倫理と利益の両立をはかる「論語と算盤」について、特に現代における意味合いについて述べる。
「論語と算盤」の理念に基づいて行動する社会起業家
栄一の事業家としての理念は、皆様もご存じの通り「論語と算盤」である。
栄一は、幼い頃から尾高惇忠のもとで論語を学んでいた。ただ、成人になって改めて論語を学びなおしたのは、大蔵省を退官する際、同僚の官僚であった玉乃世履(初代大審院長、司法家)から慰留を受けた際に、「わたしは『論語』で一生を貫いてみせる」と言ったのがきっかけであった。
なお、「論語と算盤」という言葉の由来は、栄一が若い頃から言い始めたのではなく、次のようなエピソードによる。栄一が70歳の際に友人から貰った画帳の中に、ちょうど論語とソロバンが描かれているのを、栄一のもとを訪れた学者の水島毅が見た。
その上で、水島が「ソロバンを持つ人が論語のような本を立派に語る以上は、自分もまた論語だけで済ませず、ソロバンの方も大いに極めなければならない。だから、お前とともに、論語とソロバンをなるべくくっつけるように努めよう」と述べたのがきっかけとなっている。
「論語と算盤」は、公益を追求する「倫理」と、ビジネスを行う上で必要な「利益」の両立をテーマにしている。この言葉には、四種類の意味があると考えられる。
①信用、信頼
まずは、ビジネスは利益を追求するものであるが、それを遂行する上で重要な要素は「信用」「信頼」である。よって、取引先を始め全ての関係者への「信用」「信頼」を維持するために重要となる倫理を守りながらビジネスを行うべきであるという考え方だ。
②私利、公益の両立
そして、第二に「私利」と「公益」の両方の追求という意味だ。これは、ビジネスを遂行する上で自ら(自社)の利益を追求することは正しいが、それを通じて社会に貢献する等の公益的な目的も併せて必要であるという考え方だ。
ビジネスは、自社で顧客に提供する製品やサービスが、社会にとって有用でありひいては国の発展に繋がることが重要である。ビジネスは、その目的において社会貢献という公益に繋がっていることを意識しながら行うべきなのである。
③社会への還元
第三に、ビジネスで成功した者は、その利益を少しでも社会に還元すべく、併せて社会貢献等に資する公益的活動をすべきである、という考え方だ。社会が豊かに繁栄して初めて、ビジネスで利益が追求できることから、ビジネスを行う者は直接的な社会貢献も同時に関与すべきということだ。
栄一は、多数の企業を生み出す仕事をする傍らで、養育院(扶養する人がなく、また、自活能力もない老人・病人・孤児などを収容して保護養育する施設。現在の東京都健康長寿医療センター)の運営に約60年以上携わった他、日本赤十字社等を含めて約600の社会事業に携わった。
近時のコーポレートガバナンスコードの議論においても、CSR、ESG又はSDG’sが重視されているが、栄一が関与してきた多数の公益事業や「論語と算盤」の理念は、このことを示唆する考え方とうことができる。
④慈善活動にも「そろばん勘定」
最後に、社会事業、慈善活動にも“そろばん勘定が必要”という考え方である。
栄一は、「慈善活動も組織的・経済的に行われなくてはならない」と明言しており、思いつきではなく、持続性のあるものを計画的にやらなければいけないという方針で社会事業を行うべきとの考え方を有していた。
このように、栄一は、事業家であるとともに、社会の課題解決の担い手として起業を行う社会起業家でもあった。
渋沢栄一の強力なリーダー像
▲画像・深谷市提供
栄一は、日本の産業の基盤となる事業を営む数々の企業の設立・運営に携わったリーダーであるが、その強みは至るところに現れている。
リーダーに必要な資質は、以下の通りである。
- 決断力(慎重な検討と大胆な決断)
- 積極性
- 実行力
- コミュニケーション力
- 情熱
- 冷静さ
- 忍耐力・執着力
- 情報収集力及び社内外のネットワーク構築力
- 大局観と先見性
- 柔軟で創造的な発想力
その中でも、栄一において特筆すべき資質は次の3つと考える。
1 人生を切り開く「積極性」
栄一は、農民として生まれながら、日本国の将来を憂いて自らが少しでも貢献したいと思い、リスクを取って武士になった。士農工商と身分がはっきりしていた時代において、このような運命を切り開く「積極性」は大変素晴らしいものである。また、大蔵省で改正掛という部署を提言し、自らそこで様々な国の改革施策を提案していった点も類まれなる栄一の「積極性」の証である。
2 時代の先を読む「大局観と先見性」
パリへの渡航から戻った栄一は、日本が先進国に追いつくための様々なインフラ産業の創設を図り、それを民間の力で事業として達成することを目指した。徳川幕府の封建制度と鎖国政策の下で、栄一を含む多くの国民は、一定の制約された価値観の下で生きてきた。
しかしながら、栄一は、欧米の政治経済を学び、それを契機として、先進国に負けない日本を作るために、日本に必要な産業をどんどん民間事業として創業していった点は、栄一の類まれなる「大局観と先見性」による。
栄一の人材ネットワーク下にあった多様な事業家や投資家は、栄一の強力なリーダーシップに呼応して各種事業に参画したのである。
3 困難な局面を打開する「実行力」
起業から事業を成長に導くためには、幾度も苦難な場面を迎えることが多い。私自身も起業しているが、その点の恐怖感とプレッシャーは当事者になった者でないと分からない。
しかしながら、栄一のその苦難を乗り切る精神力は、強い公益目的達成のための意欲に基づいていた。そして、結果を出すための栄一の経営に対する「実行力」は、自ら出資をしてリスクを取りながら経営をする事業家に不可欠な資質であった。
最後に 「大変革の時代」に生きる、我々が学ぶこと
渋沢栄一の活躍した明治末期から昭和に至るまでの約90年間は、世界の中で後進国であった日本が、少しでも先進国に追いつくために大きな変革を遂げる、現代と比べても更に激動の時代であった。
そのような金、物、技術等が日本に備わっていない栄一の時代と、それらが全てそろっている今の日本とでは大きく時代背景が異なる。
しかしながら、現在は、カーボンニュートラルやデジタル化等において、事業を取り巻く従来の価値観を変化させなければならない。日本の産業界は大変革をしなければならない時代ではなかろうか。栄一が現在に生きていたら、事業家としてどのような事業に取り組み、どのように社会のために貢献する事業を営んだろうか、と想像するだけで楽しくなる。
皆様も是非、栄一の生涯と考え方を参考にされることをお勧めする。
▽過去記事はコチラ
「大変革」の時代を生きる 渋沢栄一のリーダー像 ㊤激動の人生
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