企業には哲学と思想が必要

企業には哲学と思想が必要

その日はずっと秋の匂いがした。いつもどおりの時刻に仕事を終え、アパートに帰ると双子の姿はなかった。僕は靴下をはいたままベッドに寝転び、ぼんやりと煙草を吸った。いろんなことを考えてみようとしたが、頭の中で何ひとつ形をなさなかった。僕はため息をついてベッドに起き上がり、しばらく向い側の白い壁を睨んだ。何をしていいのか見当もつかない。いつまでも壁を睨んでいるわけにもいくまい、と自分に言いきかせる。それでも駄目だった。卒論の指導教授がうまいことを言う。文章はいい、論旨も明確だ、だがテーマがない、と。実にそんな具合だった。

『1973年のピンボール』(講談社)からの二度目の引用です。「僕」は、大きな不満もないけれどもどこか満たされない日々を過ごしています。激しい学生運動の熱から醒めて「高度資本主義社会」へ移っていく時代。学生寮の共用電話、ピンボールなどは忘れ去られていくものの象徴なのかもしれません。

さて。文章はいい、論旨も明確だ、だがテーマがない。企業経営でいえば、技術(もしくはサービス)はいい、市場も明確、だが哲学がないと言ったところでしょうか。

社員が自覚しなくても「文化」はある

このような企業は、短期的には成功しても長期的には成功しないでしょう。筆者は、企業においては思想(理念、文化、哲学といったもの)が重要だと確信しています。「理念とか文化とか、そんなの関係ないのでは?殆どの社員が自社の企業理念など知らないでしょう」と言われると思います。

確かにその通りです。しかし、20年で5000回ほど企業取材をさせていただいた経験から、思想は、仮に社員が意識していないとしても、最も重要な要素だと考えています。

企業訪問をすると面白いです。一社について30人、50人と会っていくと、その企業の色、匂いみたいなものに気づくことになります。

でも、それって当然ですよね。

企業は一緒に過ごす時間が最も長い共同体です。一日10時間、年250日、40年間勤め上げたとしたら10万時間!もう家族みたいなものです。家庭に固有の匂いがあるように、企業にも固有の匂い・色ができるのは当然のことです。

企業文化が意思決定を生む

企業文化が意思決定を生む

企業経営(も人生も)は、結局のところ、意思決定の積み重ねに過ぎません。そして、数多の意思決定は企業文化が具象化したものと考えられます。筆者は、優良企業といわれる企業には、個性的で一貫した企業文化があることを強く感じました。優れた小説の条件の一つは登場人物が「キャラ立ち」していることですが、企業も同じです。

戦国武将もそうですね。

「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」

「鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ホトトギス」

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」

貴社であればどのようにホトトギスを鳴かせるでしょうか?

サウスウエストは模倣できない

サウスウエストは模倣できない

企業文化がいかに重要であるかいくつかの事例です。

米国のサウスウエスト航空は最も成功した航空会社の一つといえるでしょう。同社は1971年にわずか3機の飛行機で、テキサス州の主要都市(ダラス、ヒューストン、サン・アントニオ)を結ぶ会社として運行を開始しました。筆者は航空産業に関しては門外漢ではありますが、同社についてなされている分析を読むと、競争力の源泉とされる要因は以下のようです。

  • 航空機を1種に限定 → 機体管理コスト削減、搭乗員・保守要員の運営の柔軟
  • 二次空港など混雑していない空港を利用 → 不稼働時間短縮 → 固定資産の稼働率の向上
  • ハブ+スポーク方式ではなく、二都市間の直行運行→路線の簡素化、荷物の積み変え時間の短縮

一見すると、どれも模倣が容易なように見えます。

特別な技術や特許があるわけでもありません。一種類の飛行機で、人気のない空港と空港の、二点間運行にする―――誰でもできそうです。

きっとそれが一因でしょう、サウスウエスト航空の大成功を目の当たりにして、世界中で模倣企業が相次ぎました。しかし、成功した企業は多くありません。

米国では、コンチネンタル、ユナイテッド、US Airways、デルタが後を追いましたが、皆苦戦しました。

中でもデルタによる新会社ソングは、デルタから送り込まれた精鋭とマッキンゼーのチームだったそうですが、それでも3年で撤退です。

サウスウエストの資産は、人材と文化

筆者はサウスウエスト航空に初めて乗ったときは驚きました(当時は同社のことを知りませんでした)。搭乗員が冗談を連発し、飛行機内が笑いであふれます。偶々、その日の搭乗員が明るい人だと思っていたのですが、それこそがサウスウエストだったのです。

サウスウエスト航空の創業者ケレハーさんは以下のように言っています―――「数多くの航空会社がサウスウエスト航空を模倣しようとしている。しかし、誰も我々の成功の最も重要な要素――すなわち、私たちの人財――を模倣することはできない。」(2005年同社のAnnual Report)。

ニューコアの事例から

ニューコアの事例から

鉄鋼業界では最大の電炉企業米国のニューコアが挙げられます。同社は50年足らずで売上高2000万ドルから2000億ドル規模に成長し、Business Weekから米国の№1企業、CEOがHarvard Business Reviewから世界のCEO100人に選ばれる企業です。

CEOケン・アイバーソンさんは「成功の要因は何でしょうか?」とよく聞かれるそうですが、その答えは「企業文化が七割、技術力が三割」とし、「平等、自由、そしてたがいの尊敬が社員にやる気を出させ、自発性を引き出し、継続的な改善をもたらしてくれる。企業文化こそ、ニューコアが競争に勝つうえで最も重要な力の源泉である。それは今後も変わらない。」としています(『真実が人を動かす―ニューコアのシンプル・マネジメント』ダイヤモンド社)。

哲学なき行動は凶器

哲学なき行動は凶器

自動車産業では、ホンダの経営企画部長を務めた小林三郎氏の『ホンダ イノベーションの神髄』(日経BP)を読むと、ホンダが独自の地位を確立した理由がよくわかります。

たとえば―――。

  • 理念・哲学なき行動(技術)は凶器であり、行動(技術)なき理念は無価値である(本田 宗一郎氏)
  • 本田技術研究所は技術の研究をする所ではない。人間の研究をする所だ(本田 宗一郎氏)
  • 本田技術研究所のことを、よく「本田言葉研究所」と呼んでいた。技術やクルマの研究の前に、言葉を巡って延々と議論が続くからだ

※本田技術研究所は、本田技研工業(いわゆるホンダ)の技術開発部門。

いかに優れていても組織は衰退・腐敗します。

世界の航空産業、米国の鉄鋼企業、世界の自動車企業の置かれている状況は厳しく、これらの企業が厳しい環境にどう適応していくのかは興味深いところです。

暗黙知=企業文化の模倣は難しい

さて、企業調査担当時代、お客様から頂く質問は「〇〇社の競争力は何ですか?」でした。抽象的な答えですと、「それじゃわからない」と言われます。しかし、わかりやすいことであれば模倣可能であり、競争力にならないと思うのです。「わからない」から競争力なのです(というものの、筆者も企業に具体的な競争力を求めていました)。

上記したような表面上の競争力、すなわち形式知の模倣はできても、暗黙知=企業文化の模倣は簡単ではないということです。

表面上の競争力では勝てない

グーグルの20%ルール(だけ)を、村田製作所のマトリックス経営(だけ)を、京セラのアメーバ方式(だけ)を模倣しても、グーグル、村田製作所、京セラにはなれないのと同じことです。

「わが社とは何なのか?」「どうして創業したのだろう?「どうして存在しているのだろう?」と時に考えてみることは意味のあることのように思います。

▼村上春樹さんから学ぶ経営(シリーズ通してお読み下さい)
①作品に潜む成功へのヒント
②作品に潜む成功へのヒント(差異化について)
③「創造する人間はエゴイスティックにならざるを得ない」
④危機と指導者
⑤「君から港が見えるんなら、港から君も見える」
⑥「靴箱の中で生きればいいわ」
⑦「僕より腕のたつやつはけっこういるけれど…」
⑧「退屈でないものにはすぐに飽きる」
⑨「どや、兄ちゃん、よかったやろ?クーっとくるやろ?」
⑩「王が死ねば、王国は崩壊する。」
⑪「最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現する」
⑫「生涯のどれくらいの時間が、奪われ消えていくのだろう」
⑬「あれは努力じゃなくてただの労働だ」
⑭「世界のしくみに対して最終的な痛みを負っていない」
⑮「おいキズキ、ここはひどい世界だよ」
⑰「我々はいまのところそれを欠いている。決定的に欠いている。」
⑱「経済にいささか問題があるんじゃないか」
⑲「ヘンケルの製品、一生ものです」
⑳「おじさんは石とだって話ができるじゃないか」
㉑「世界中の虎が融けてバターになる」
㉒「デュラム・セモリナ。イタリアの平野に育った黄金色の麦。」

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