何事もなかったように

何事もなかったように

ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。これはどうも変な話だった。何故ならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。・・・中略・・・そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。・・・中略・・・おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。

『ノルウェイの森』(講談社)からの引用です。「キズキ」は「僕」の親友で、ビリヤード(緑色のフェルト)をしたその日に、赤いホンダN360の排ガスを吸って自殺し、その机上には白い花が飾られました(同作は「色」と紐づいて記憶される作品です)。

「僕」は講義に出ても出席を取られるときに返事しないことに決めます。出欠に返事をしないでいると「教室の中に居心地のわるい空気が流れた」。クラスで孤立を深め、孤独の続く日々、「僕」は人気のなくなった夏休みの学生寮の屋上で蛍を放ちます。

変えてはいけないもの

変えてはいけないもの

閑話休題。「朝令暮改は必要」とも言われますが、変えていけないこともあるのだろうと思います。

村上春樹さんが早稲田大学に在籍した1960年代後半は学生運動の時代です。以前新聞で読んだ、あるインタビュー記事も記憶に残っています――「千葉県成田市三里塚で機動隊と向き合っていた時、あぜ道で煙草を吸っていると、80歳すぎの地元のおじいちゃんが横に座ってぽつりと言ったんです。『帰るところのある君らはいいなあ。わしらはこの土地から離れたら生きていけねえ(中略)』…中略…。米軍払下げのカーキ色の戦闘服を着て、コカ・コーラを飲みながら反米主義を声高に叫んでいた自分は、何を信じ、誰のために何をやっていたんだろう」。(日本経済新聞 2013年5月10日夕刊)

自らが渦中にいたら…

自らが渦中にいたら…

学生紛争の警備で殉職した警察官、その遺族がこの発言を聞いたらどう思うでしょうか。

しかしながら、自分がその渦中にいたらどうであったか。1968年生まれの筆者は学生運動について何も知りませんが、哲学なきまま学生運動に参加していたことはほぼ間違いないと思います。

大学紛争に関する本は数知れず有ります。芥川賞を受賞した三田誠広氏の『僕って何』(河出書房新社)は、上京して学生運動に参加し、いつの間にか内ゲバに巻き込まれた学生の虚無感を描いた青春小説です。ちなみに、三田氏は、京セラの支援によって再生したコピー機の大手「三田工業」の創業家につながる方です。

1960年代後半に学生であった人は、すべての人が何かしらの形で影響を受けていることでしょう。形はいろいろあれ、当時、学生運動から逃れることはできなかったと推察します。

冒頭で紹介した東哲郎氏も、ノルウェイの森の「僕」と同じように悩み苦しみ、哲学の教授に導かれたお寺での勉強の日々に救われたと書いています。

理念は変えてはならない

理念は変えてはならない

再び閑話休題。変えてはいけないものを変えてしまった組織、理念を見失った組織がどれほど脆弱か、最も如実に示したのは日本社会党(現在の社会民主党)です。

日本社会党はいわゆる「55年体制」のなかで、長い間野党第1党として自民党と対峙してきました。しかし、1994年に自民党と連立を組み、村山富市委員長が首相に就任します。

村山氏は、就任直後の国会演説で、日米安保条約堅持、自衛隊合憲、原発容認、など、社会党が絶対に譲ってはならない基本理念について180度の転換を宣言しました。
逆にいうと政権政党は政治家にとって悪魔的に魅力的なのでしょう。

しかしながら、理念を放棄したことで、党勢は急速に衰えます。
1990年には衆院で136議席もあったのが、今や1議席です。企業であれば、売上高が136億円から1億円に激減したようなものです。

理念を破ってしまった時点で組織の死が始まると言えるでしょう。哲学者梅原猛氏は稲盛和夫氏との対談の中で(社会党に関することではありませんが)、思想の一貫性の重さについて舌鋒鋭く展開しています。

それでも腐敗と戦う

それでも腐敗と戦う

一方、まさに文字通り自らの命を賭して戦った政治家もいます。コロンビアの政治家イングリッド・ベタンクールさんは、父親がパリ駐在ユネスコ大使であったこともありパリに住んでいましたが、反麻薬組織の大統領候補が暗殺されたことを受け、帰国を決意。帰国するや、腐敗政治家、組織を果敢に告発していく―――その当然の帰結として、彼女そして家族に危険が迫ります。2002年、彼女は武装組織に拉致され消息を絶ちました。誰もが殺されたと覚悟していたことでしょう。

しかし、なんと6年半後に生きて解放されたのです。

イングリッドさんは、パリで平穏で豊な生活を送ることも可能であったのに、祖国のために自らを賭けました。その覚悟については、彼女が拉致される前に書いた自伝『それでも私は腐敗と闘う』(草思社)に詳しく書かれています。
日本の政治家も良く「生命を賭けて」といいますが、政治生命すら賭けているようにはみえません。

「エクセレントカンパニー」「ビジョナリーカンパニー」として賞賛された企業の全てが、その後も賞賛され続けたわけではないことは良く知られています。長期にわたり名誉ある地位を維持することは極めて困難であり、思想の喪失は衰退の必要条件とは言えませんが、十分条件ではあるでしょう。

理念を曲げた企業の先は長くない

医薬品会社が人命よりデータ書き換えによる医薬品上市を優先したり、百貨店が上質な体験提供より不動産投資に傾注したり、若者憧れのハイテク企業が尖った技術提案から官僚経営に移行したりすれば、その企業の先は長くないでしょう。

今回は重い内容、かつ、経営とは少し離れましたので、次回、この続きで経営と思想について書きたいと考えています。

 
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「村上春樹さんから学ぶ経営」シリーズ

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