「羊をめぐる冒険」から

羊をめぐる冒険イメージ

「しかしこの組織には限界がある。つまり王様の死だ。王が死ねば、王国は崩壊する。何故ならその王国は一人の天才の資質によって築きあげられ、維持されてきたものだからだ。・・・中略・・・先生が死ねば、全ては終る。なぜなら我々の組織は官僚組織ではなく、一個の頭脳を頂点とした完全機械だからだ。そこに我々の組織の意味があり、弱点がある。あるいは、あった、、、。先生の死によって組織は遅かれ早かれ分裂し、火に包まれたヴァルハラ宮殿のように凡庸の海の中に没し去っていくだろう。・・・中略・・・ちょうど広大な宮殿がとり壊されて、そのあとに公団住宅が建ち並ぶようにね。均質と確率の世界だ。そこには意志というものがない。」

「鼠四部作」の三作目「羊をめぐる冒険」(講談社)からの引用です。村上春樹さんはデビューした後もバーの経営を続けていましたが、村上龍さんの「コインロッカー・ベイビーズ」(講談社)に刺激されたこともあり、専業作家になることを決断し、この作品を書き上げました。
それまでの作品は、バーを経営しながらの執筆でしたので物語が分断された独特の構成でしたが(それが斬新でもあったのですが)、本書は流れを持った小説になっています。

独裁の功罪

閑話休題。チャーチルの「民主主義は最悪の制度である。ただし、民主主義以外の制度を除けば」はよく知られていますが、まさしくその通りで理想の統治形態は一人の賢人による独裁です。シンガポールが民主政治であったなら現在の成功はなかったでしょう(たとえば、「リー・クアンユー 回顧録」、日本経済新聞出版)。独裁の弊害もあるとしても、人口数百万人の小国を先進国に育て上げたのですから、功のほうがはるかに大きいでしょう。合議制で2/3の賛成がないとだめ、などとやっていると何も決まりません。

対新型コロナウイルス感染症では、中国の特異な対策が目立ちました。
中国に1960年代から進出しているある日本の電機メーカーの経営者は言っていました。「中国では、工場から港までの素晴らしい道を瞬く間に作ってくれる、日本では考えられない」、と。おそらくは大した補償もなく立ち退きさせられた人民が多数いるのでしょうが、国家の競争力としては脅威です。中国共産党であれば歌舞伎町をすぐに閉鎖したことでしょう。

偉大な創業者からの自立

独裁イメージ

筆者は多くの創業者に学ぶ機会に恵まれました。やはり創業者は特別な存在でした。しかしながら、賢人は当然のことながら数多くいませんし、また、権力というのは恐ろしいもので最初は賢人であっても裸の王様になってしまう事例に事欠きません(幸い、電子部品産業では暴君になった賢人はいません)。そして何より人には寿命があります。そのため、合議制にならざるをえない、もしくは、合議制でありながら迅速かつ賢明な決断をしていくことが経営といえるかもしれません。

創業者がカリスマ的存在であればあるほど、創業者からの自立は困難を極めることでしょう。ファナック、ロームは創業者が社長を譲って久しく、その時期を克服し終えていますが、同じく偉大なカリスマ創業者率いるソフトバンク、ユニクロでは、創業者が社長を譲った後、社長に復帰したことは周知のとおりです。

あるハイテク企業には、企画部が実質的にありませんでした(創業者が頭脳なので不要なのです)。創業者が去った後、「凡庸の海に沈む」ことになっては寂しい限りです。もちろん、今や巨大企業であっても創業時は個人経営ですから、どの企業も自律企業への転身を実現することと思いますが、その変化には注目されるところです。

キーエンスの事例から 自律的組織とは

創業者が健在ながら、「王国」と対極にある企業がキーエンス(大阪市)です。直近期の業績は、売上高5518億円、営業利益2776億円、従業員平均年齢35.6歳、平均給与1840万円。筆者は、企業アナリスト時代「経営者の哲学」レポートをシリーズ化しようと計画しました。
いくつかの企業の創業者からはご快諾いただいた後、次にキーエンス創業者である滝崎武光取締役名誉会長に取材を申し込んだところ、同社から「弊社は組織的に自律的に経営しているので、個人に焦点があたる取材はお受けしない」とのお答えをいただきました。

私は唸りました。

キーエンスは、個人にも偶然にも頼るのではなく、組織的で確率的な「システム」を目指していると思われます。例えば、新製品の販売にあたっては、全国から営業マンが新大阪の本社に集められます。そして販売企画の人を顧客にみたて、ビデオゲームの「ロールプレイング」のように実地演習をします。
研修を終えると、営業マンは全国に散り、統制された営業トークをくりかえすのです。かつては、営業マンが顧客を回るもっとも効率的なルートまで指定されたとか。

キーエンスは創業者が完全に引退したとしても、内面から崩壊する可能性が最も低い企業のように感じています。

村上春樹さんは、「システムというのはいったん形作られれば、それ自体の生命力を持ち始める」とも書いていますが(『1Q84』、新潮社)、キーエンスはまさにそれに相当すると言えます。
非常に高度な「均質と確率の世界」でありながら、同時に、社屋のあちこちには化石が飾られ、「考えろ。変われ。でないと化石になる」との警告を与えています。そうやって、「意志を持った均質と確率」組織を実現しているように見えます。

自律的組織かどうかはオーナー企業かどうかに限定されるものはありません。
例えば、かつての「電電ファミリー」と称された部品企業群。電電公社(NTTグループの前身)からの発注が売上高の多くを占めていた企業群のことです。
日本の通信インフラを担った素晴らしい企業群ですが、誇張して言えば電電公社が研究開発設計したものを製造することが任務でした。しかし、電電公社独占時代の終わり、電電公社の民営化、通信技術の国際化等により、これら企業は頭脳を失ったのと等しい状況となり、業態転換に苦しみました。
長らく指示に従うことに慣れてしまい、自ら考えることを忘れていた可能性があります。

弊社は、コンサルティング業務の中で、顧客の顧客から顧客評価調査を行うことがありますが、非常に多い回答が「お願いしたことをやるだけでなく、自発的に動いてほしい、自ら気づいて動いてほしい」です。自戒を込めて、自社もしくは自分が自律的な組織・人間であるのか、意識することが重要であると考えています。

最後に稲葉氏の著作から

さて、今回は最後に、筆者が稲葉清右衛門氏の著作「黄色いロボット」(大手町ブックス、1991年)において特筆すべきと思われることを要約し、ご紹介しておきます。

1.大局観と決断 ~ 産業に関する深い認識と決断(プロセス制御を断念、数値制御に特化)

2.設計へのこだわり ~ 人並みな設計ではコストは下がらない。利益は開発で決まる。稲葉氏の造語とされ、同社の開発方針となっているのは「WENIGER TEILE」(いかに部品点数を少なくするか、ドイツ語)。設計者は開発が終わると「臨時製造部長」として製造を担当し、予定通りの原価に到達すると再び研究所に戻る。

3.速度 ~商品開発研究所には、随分前から、普通の時計より十倍のスピードで時を刻む時計を掛けてある。

4.(設計至上主義であると同時に)顧客・市場の理解 ~ 製品開発ではマーケットを徹底して調査し、5年間は負けない不敗の価格を決定。所定の利益を引いた原価を決めてから開発を始める。技術者でありながら「市場が先立つ」ことを認識され、また、「決まっている利益」に迫力を感じます。

5.生産技術者、プロセス技術者の社会的地位、待遇向上への思い。

▼村上春樹さんから学ぶ経営(シリーズ通してお読み下さい)
①作品に潜む成功へのヒント
②作品に潜む成功へのヒント(差異化について)
③「創造する人間はエゴイスティックにならざるを得ない」
④危機と指導者
⑤「君から港が見えるんなら、港から君も見える」
⑥「靴箱の中で生きればいいわ」
⑦「僕より腕のたつやつはけっこういるけれど…」
⑧「退屈でないものにはすぐに飽きる」
⑨「どや、兄ちゃん、よかったやろ?クーっとくるやろ?」
⑪「最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現する」
⑫「生涯のどれくらいの時間が、奪われ消えていくのだろう」
⑬「あれは努力じゃなくてただの労働だ」
⑭「世界のしくみに対して最終的な痛みを負っていない」
⑮「おいキズキ、ここはひどい世界だよ」

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