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ライドシェアが抱える本当の課題。必要なのは「経済外部性」視点からの議論
日本政府の新しい目玉として「ライドシェア」に焦点が当たっている。多くの先進国で一般化しているライドシェアは遠くない将来、日本でも始まるだろう。一方で、ライドシェアの是非について、「既得権益者vs新規参入者」という矮小な視点は適切ではない。むしろ、CO2排出量、生産性阻害など、経済外部性の視点から最適解を模索する必要があるのではないだろうか。
ロサンゼルス(LA)でのウーバー体験
筆者は2023年10月、アメリカ・ロサンゼルス(LA)に出張した。LAでは先進的な試みが多く見られた。同行した同僚も、無人自動運転の車がドライブスルーに入っていくのを目撃し、至極感心していた。
もはやLAなど主要都市では先進的な存在ではなくなった「ウーバー」を筆者も使用した。消費産業の視察者として地元のスーパーマーケットを巡るためだ。
現地で何度もウーバーを使う中で、興味深いドライバーに遭遇した。
そのドライバーは英語があまり喋れない中国人だった。筆者は多少の中国語を話すが、複雑な話となるとうまく聞き取れない。
すると、運転手はスマートフォンの自動翻訳機能を使い始めた。LAのハイウェイを移動しながら、筆者と運転手はスマホを介して、日本語と中国語で問題なく意思疎通ができた。
ホテルに着いて、筆者は嘆息しつつも感動した。
従来のタクシードライバーは、行先への道順を理解し、乗客と意思疎通するという「職人仕事」だった。往年のロンドンタクシーが好例だ。
一方で、筆者が巡り合った中国人ドライバーは「職人」とは異なった。
道順も分からず、乗客との意思疎通もできない。しかし、ITの発達が彼を「タクシードライバー」のポジションに押し上げたのだ。
職人仕事の一般化が産業の効率を引き上げる
さきほど紹介した中国人タクシードライバーからは2つの示唆が得られる。
1つは、職人仕事の一般化による「生産性の改善」。
そしてもう1つは、我々が存在している「時空(時間と空間)の破砕」である。
職人仕事の一般化事例として、スーパーのレジ打ちが挙げられる。
1980年代以前は販売情報を自動で記録できる「POSレジ」がなかったため、レジ担当者は商品とその値段を頭に入れ、ブラインドタッチでレジに値段を打ち込んだ。30~40年前のレジ打ちは職人仕事だったのだ。
ところが、POSレジが一般化したことで、レジ打ち経験のない人材でも数日の研修でスーパーのレジに立てるようになった。戦後の流通業の生産性改善はPOSレジが一般化した1980年代が最も大きかった。
LAで遭遇したタクシードライバーは行先や道順も分からず、意思疎通もできない人材だった。しかし、「ウーバー」というITサービスが生まれたことで、指定する道を走り、乗客を目的地に届けられるようになったのだ。
「同時性」の解消による生産性改善
タクシーに乗客を乗せるには、乗客とタクシードライバーが「同じ時間」、そして「同じ空間」に存在する必要がある。これを「同時性」と呼ぶ。
このような「同時性」を持つ産業の生産性改善は、一般的に容易ではないという特徴がある。
コロナ禍以前の宅配市場を思い出してみよう。
ドライバーから受取人への荷物の手渡しが前提(同時性が必要)だった宅配は、受取人が在宅する必要があり、再配達問題などの非効率を引き起こしていた。
しかし、宅配ボックスや置き配が一般化したことで、ドライバーと受取人の同時性が解消され、宅配の効率改善に光明が見えた。
詳細は、山手剛人氏との共著『宅配がなくなる日: 同時性解消の社会論』(2017年日本経済新聞出版)を参照されたい。
ウーバーのドライバーは空き時間を使い、自家用車で乗客を運ぶ。これは、専業のタクシードライバーが事業用の車に乗り、乗客の出現を待機するタクシー事業とは異なる構造だ。
筆者が『時間資本主義の時代』(2019年日本経済新聞出版社)で論じたように、今や我々の空間や時間は破砕され、細切れに使われ始めている。「塊」から「細切れ」への大転換だ。
こうした大転換期において、「1日8時間」という塊時間での労働は前世紀的ではないだろうか。
スキマ時間の価値が上昇し、スキマ時間で仕事が可能となった。そういう意味でも、ウーバーは時間資本主義を体現する仕組みと言える。
下級財としての公共交通使用の減少
ウーバーのようなライドシェアは、ITの発達や少子化によって多くの国で不可避的に導入されると考えられる。我が国でも徐々にではあるが、そう遠くない時期に導入されるだろう。
この記事では、「ライドシェア導入の是非」について論じない。
また、ライドシェア導入への賛否で引き合いに出される「既得権益者vs新規参入者」という矮小な視点にも与しない。
そのうえで筆者は、「ライドシェアの議論には経済外部性の問題が抜け落ちていないだろうか?」という視点を訴えたい。
経済外部性の問題とは「CO2排出量の問題」であり、「生産性阻害の問題」である。
2019年のScience Advances誌によると、サンフランシスコの交通渋滞は2010年~2016年で60%増加した。この要因の50%以上がライドシェアによるものらしい。
実はアメリカの主要都市では近年、渋滞悪化が観察され、ライドシェアがその要因と言われている。ライドシェアの一般化で、下級財としての公共交通の使用が減少しているためだ。
ライドシェアに持続可能性はあるか
公共交通の使用減少は様々な経済外部性を持つ。実際、筆者もアメリカ出張の際に公共交通をほとんど使わなくなっている。現地の知り合いも同様だ。
前述の記事は、ライドシェアの増加が交通事故死の増加を招いている事にも言及している。宇沢弘文氏の『自動車の社会的費用』(1974年岩波書店)が著した世界の現代版と言える。
国土交通省によると、日本のCO2総排出量のうち17%を運輸部門が占める(2021年度)。その運輸部門全体の中で、自家用車のCO2排出量が44%(つまり日本全体の7%強)を占める。
国交省の資料には、1人1km運ぶための必要CO2排出量というデータもある。
自動車が132g、航空が124g、バスが90g、鉄道が25gと、自動車のCO2効率が最も芳しくない。
社会の持続可能性(サステナビリティ)の視点からは、公共交通の使用促進が最重要と言えるだろう。つまり、ライドシェアを導入するにしても、CO2の総量規制とセットにする必要があるのだ。
交通渋滞が「社会的生産性」を阻害する
ライドシェア増加による交通渋滞は、社会全体の生産性阻害の要因になる可能性もありそうだ。
なぜかといえば、渋滞に巻き込まれている個々人の時間価値が大きく異なるためである。
これは、各人の本質的な生産性の格差だけに起因しない。同一人物であっても、日時やタイミングによって時間価値が異なってくる。
1時間当たり10万円稼ぐ敏腕弁護士と、時給1,000円の人材では、そもそもの生産性が異なる。路上の渋滞の中には前者に近い人も、後者に近い人も混在している。
敏腕弁護士は上客との面談で移動中かもしれない。渋滞で面談取消になれば機会損失も大きい。観光目的の学生がライドシェアで渋滞に巻き込まれているのとはわけが違う。
敏腕弁護士も愛娘と音楽を聴きながらの渋滞では、生産性悪化は関係ない。むしろ愛娘との時間を長く楽しむため、渋滞を歓迎さえするかもしれない。
しかし、その横の車では、人生の大勝負の面談に向かうビジネスパーソンも渋滞に巻き込まれている可能性もあるのだ。果たして彼(彼女)は大一番の面談場所にたどり着けるのだろうか。
ライドシェアが便利になればなるほど、生産性の高くない人もライドシェアを使う。そして、生産性を高くする必要がない時間もライドシェアを気軽に使うようになる。
その結果、公共交通への需要は減少し、更新投資や新設投資は劣後する。公共交通内の治安が悪化する可能性もある。こうして、公共交通はますます使われなくなるというループに入るはずだ。
生産性の高い人の生産性が阻害される。または、生産性を上げる機会も奪われる。結果として、ライドシェア増加による渋滞が生み出す社会的機会費用は甚大となることが予想される。
まとめ:ライドシェアは経済外部性の視点を中心に議論を再構築すべきではないか
ここまで述べてきたように、「ライドシェア」というビジネスモデルは経済外部性を伴っている。
このため、交通事故死やCO2排出、生産性阻害、など多面的な負の経済外部性と表裏一体なのだ。
日本におけるライドシェアの議論は現時点で、既存事業者と新規参入者という構造ばかりが目立つ。
そうした議論よりもむしろ、ライドシェアによってもたらされる「経済外部性の議論」が必要であり、消費者利益と供給規制との平衡が求められるのではないだろうか。
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