哲学とビジネス④ ~ナシーム・ニコラス・タレブ氏の「反脆弱性」について~

著名なトレーダーで、異色の哲学者でもあるナシーム・ニコラス・タレブ氏(62)は未知なる世界や予期しない現象に対して「人間がどのように取り組むか」というリスク・不確実性の分野で絶大な人気を誇る。本稿では、タレブ氏の著書「反脆弱性」(ダイヤモンド社/翻訳・望月衛氏、千葉敏生氏)を参考に、ビジネスの世界において参考になる考え方を紹介する。

シェアする
ポストする

▼関連記事はこちら
哲学とビジネス③(ジャック・デリダの「脱構築」)

はじめに

はじめに

ここ数年、新型コロナによる世界的なパンデミックや、ロシアによるウクライナ侵攻といった従来想定していないような出来事がたて続けに起きている。

それにともない、企業を取り巻く経営環境も目まぐるしく変化している。新型コロナの拡大は、主に外食産業やホテル産業に多大な影響を与えた。ロシアのウクライナ侵攻は、資源国ロシアとの関係での取引抑制によりエネルギー価格の高騰につながっており、多くの産業での収益圧迫の要因となっている。

これらを含めて、ここ30年間において日本に悪影響があった大きな事象(災害、事件、経済の崩壊など)を以下の通り整理した。

  1. バブル経済の崩壊(1992年頃~)
  2. 阪神淡路大震災(1995年)
  3. ニューヨークの同時多発テロ事件(2001年)
  4. リーマン・ショック(2008年)
  5. 東日本大震災(2011年)
  6. コロナ・ショック(2020年~)
  7. ロシアのウクライナ侵攻(2022年~)

これらをみると、企業経営者は少なくとも10年に1回以上は、企業経営に悪影響のある大きな事象(災害、事件、経済の崩壊など)が起きることを織り込みながら、経営をしていくことが必要と言えそうだ。

こうしたショッキングな事象が起きた場合、企業経営が混乱し業績悪化を招く企業は、経営が「脆弱」な企業である。

「脆弱」という語を国語辞典で引くと「もろくて弱いこと」という意味になり、外部からの衝撃に対して弱くて脆い様を表す言葉である。

その反対語と言えば、「頑健」または「強靭」という言葉が浮かぶが、これらの語は外部からの衝撃に対して脆くないという意味である。

ガラスのコップは、床に落とした場合に脆くて割れる可能性が高く脆弱であるが、金属のコップは、床に落としても割れることはなく頑強であるというのが、言葉の使用例だ。

これに対して、ナシーム・ニコラス・タレブ氏(以下、「タレブ氏」)が提唱しているのがショッキングな出来事が起きたときに、それを克服してかえって企業業績を伸ばすことを意味する「反脆弱」という概念だ。

「頑健」が、「(悪影響に対して)脆くないこと」を意味するのに対して、「反脆弱」は、ショッキングな出来事が起きた場合に、その悪影響を跳ねのけてかえって好影響を生じさせること、つまり「悪影響を強化につなげること」である。この言葉のイメージの違いを示すのが、下記の図表1である。

図表1

コロナ・ショックが起きた後に、新型コロナの影響を強く受けて業績が沈んだ外食企業もあれば、郊外出店、宅配やオンライン販売を強化して、かえって業績を上昇させた外食企業もある。企業に影響を与える外的な事象が度々起こる状況においては、予想していない大きな出来事に「脆弱」な企業と「反脆弱」な企業では、大きな差が出ることになる。

ナシーム・ニコラス・タレブ氏とは

ナシーム・ニコラス・タレブ氏とは

ナシーム・ニコラス・タレブ氏は、1960年生まれのレバノン系アメリカ人のトレーダー、数学者、不確実性の研究者、哲学者である。

ウォール街でデリバティブのトレーダーとして長年働き、その後ヘッジファンドの経営者を経験。最終的には、研究者兼作家である異色の哲学者である。

金融危機(1987年のブラックマンデー、2000年のドットコム・バブル崩壊、2008年のリーマン・ショック)における数々の成功により、天才的なトレーダーとしての才能を遺憾なく発揮した。その後、未知の世界でどのように暮らし行動すべきかなどを研究し、予期しない、稀で大規模な現象に関するブラック・スワンの理論を提唱し、リスク・不確実性の分野における著名な研究者として活躍している。

「反脆弱性」とは

「反脆弱性」とは

生物の世界はまさに弱肉強食の世界であり、生物の進化は様々な自然災害や気候変動があっても生き残った生物によってもたらされる。

つまり進化とは、個体として生物が外部の衝撃に耐えるというよりも、数々の個体が絶滅する中で生き残った個体によってもたらされるものである。このような生物の進化は、まさに「反脆弱性」の代表例である。

これを経済界でみると、事業や組織が弱い企業は倒産し、強い企業が生き残る。ここでは、企業の倒産は自然の成り行きであり、脆弱な企業は倒産し、反脆弱な企業が生き残って成長するのである。

また、個社レベルではなく、企業全体を含む広い枠組みでみた場合、経済は脆弱な企業が倒産し、強い企業が生き残ることで全体として進化していく。これにマイナスの影響を与えるのが、政府の過剰な支援だ。この政府の過剰支援は、倒産すべき企業が倒産しない状況をつくり、経済界の自浄作用を制御してしまう。その結果、企業倒産は減少するが、経済が活性化しない状態が継続するのである。

以下は、タレブ氏の述べていることではないが、もう一つ、経済の正常な成長を抑制するのが日本に多い個人保証である。

起業に倒産はつきものであるが、前述の通り、脆弱な企業が倒産をすることは経済の活性化をもたらす。しかし、経営者が起業して銀行から借り入れを起こすとき、企業の債務に対する個人保証が不可避とすると、起業の失敗で個人の生活も破綻してしまうリスクがあるため、起業自体を躊躇するか、起業しても借入による資金調達を回避するため小さな事業体のまま成長しない企業が増えることになる。

また、企業の倒産で個人保証債務の履行が発生し、自宅を失うなどの個人生活が破綻することを恐れるがあまりに、経営者が抜本的な再生を拒否して、銀行への返済をリスケしながら生きながらえる企業群も多い。

経済成長を維持するためには、個人保証制度をなくして、起業と倒産の増加を図ることが必要と言うこともできる。

本来でいえば、倒産により一度失敗した経営者の方が、全く倒産を経験しない経営者よりも経験値が豊富であることから、一定の信頼をおける経営者もいるはずだ。しかし日本においては一度会社を倒産させると、再度の起業の機会を得ることは容易でないため、もったいない状況となっている。

「脆弱な存在」と「反脆弱な存在」の具体例

「脆弱な存在」と「反脆弱な存在」の具体例

ここで、危機事象に対して脆弱な存在と反脆弱な存在を理解するための具体例を説明する。

職業

職業でいえば、脆弱な職業とは普段の収入は安定しているものの、一旦不況になった場合にはリストラの対象になる企業の会社員が該当する。大企業の会社員は、通常は安定している職業のように思えるが、バブル経済の崩壊やリーマン・ショック級の経済危機が来た場合には、リストラクチャリングの対象となり、一転して不安定な立場に置かれることになる。

これに対して、タクシー運転手や大工、歯科医などの自営業者は、普段の収入は必ずしも安定していないが、安定していない状態が日常となっている分、景気が大幅に悪化した場合も何とか耐えうる経験値と耐性力をもっており、反脆弱な職業ということができる。

このような整理は、現在の日本において感覚的には理解しにくい面もある。しかし、大規模な組織に属して普段は安定している会社員でも、大きな経済危機に対して脆弱な場合も多く、その際には会社員が真っ先に被害に遭う対象となる。

そのため会社員は、資格の取得などで手に職をつけておくか、副業を行うことでそうした危機への耐性を身に着けておくべき、という教訓を考えるべきである。

国家

中央集権国家では大きな危機が生じた場合、指示命令系統が一本化されている分、危機に対して脆弱である。組織が厚い分、危機に対する情報収集や意思決定に時間がかかる。さらに、全体への影響を回避するために、様々な課題を切り離した意思決定が困難である。

一方で、地方分権が徹底した都市国家の場合は普段は意思の集約が国家として難しい面もあるが、危機時には国家の意思決定を待たずにスピーディに解決策を国家毎に採用することが可能となり、危機に対して反脆弱な国家形態ということができる。

雇用形態

タレブ氏が述べた事例ではないが、脆弱な存在と反脆弱な存在の例として、ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用の雇用形態も考えられる。

従来の日本企業が採用してきたメンバーシップ型雇用は、新卒で一括採用し、人事評価によって昇進や人事ローテーションを決めていく雇用形態である。これは会社に所属する就業形態であり、就社ともいうことができる。

このようなメンバーシップ型雇用の場合、比較的人材が同質化するので運営をしやすい面がある一方で、大きな危機が来た場合に活躍するような異端人材を捻出しにくい面があり、いわゆるダイバーシティの点では柔軟な対応が難しい。

大きな経済危機が起きたときには、多様な経営人材がいる会社の方がビジネスモデルの変革を実現しやすく、その点でメンバーシップ型雇用の会社は、大きな危機に対して脆弱な面があると言わざるを得ない。

一方、昨今注目されているジョブ型雇用は、就業する仕事内容を決めて雇用する形態であり、中途採用にも馴染みやすく、専門家を養成しやすい面がある。就社ではなく、就職という表現が妥当する。

ジョブ型雇用については、仕事内容を社員主導で選択できるので、社員のライフワークバランス確保のニーズに適合しやすい面があるが、会社に対する忠誠心の醸成という点では難しい要素がある。

また、仕事内容をいきなり新卒社員に選択させることも難しく、新卒一括作用との関係ではその適用時期の調整が必要となる。

ただし、ジョブ型雇用は人事評価も担当する分野に沿った評価要素を中心に行われるので、専門性の尖った異端人材が活躍しやすい雇用形態であり、外部で経験を積んだ中途採用者が活躍しやすい雇用形態である。ダイバーシティ面では優位性があり、大きな経営危機に対して反脆弱な雇用形態と言えそうだ。

反脆弱性を保つための考え方①(バーベル戦略)

反脆弱性を保つための考え方①(バーベル戦略)

企業が反脆弱性を保つための最初のステップとして、「バーベル戦略」がある。通常、バーベルは両端に重いバーベルがあり、その間の中間には棒しかない。これは多くの部分(バーベルの棒の部分)の事業戦略では徹底した安全策を採り、残りの一部分(バーベルの重りの部分)で大きなリスクを採る二峰性戦略を意味する。

投資の例でいえば、90%の資産で安定した運用をして、残りの10%でリスク投資を行う手法を意味する。これは危機が生じた際に反脆弱性を保つために、徹底してダウンサイドを減らすとともに、一部の部分では大きなリスクテイクを進める戦略である。

これと反対は、ミドルリスク商品に100%の資産を投資運用する手法であり、この場合は大きな危機時に全資産を棄損させるリスクがあるため、極めて脆弱な資産運用方法と考えることができる。

そもそも、リスク管理において、全てのリスクを予測することは困難であることからすると、あらゆるリスクが生じたとしても破滅しない状態をつくることが重要であり、バーベル戦略は、反脆い体質のビジネスを構築する基本となる考え方である。

ここからはタレブの述べた事例ではないが、昨年日本中が沸いたワールドカップがあったサッカーの世界でも、ブラジルのような超攻撃型のサッカーではなく、多くの時間は守備的な布陣をひいて、チャンスがあった場合、または攻撃すべき時間帯に集中的に攻める戦略を採る国もある。

典型的な国はドイツであり、ドイツサッカーの戦術の基礎になっているのは「確率論」であり、基本的には組織的な動きの中で失点を抑えることにより勝利を導く戦略を採用しているようだ。

企業経営においては昨今、市場からコングロマリット・ディスカウントという評価を受けるため、スピンオフで事業単位ごとに会社を分ける方が良いという考え方も増えてきている。

一方で、景気変動や新型コロナの影響を受けない定番的な事業をコア事業とし、影響は受けるものの好景気の場合には大きな利益を生み出す事業を一部組み合わせたポートフォリオを持つ企業は、長期的には持続可能な起業と言うことができる。

その考え方からすると、例えば世界的な市況や技術変化に応じて変化の激しい半導体事業は、他の安定的な事業を持っている企業がポートフォリオの一部として持つ方法が、正しい戦略と考えることができる。

反脆弱性を保つための考え方②(オプション戦略)

反脆弱性を保つための考え方②(オプション戦略)

もう一つ、企業が反脆弱性を保つための重要な手法として「オプション戦略」がある。オプションはご存じの通り、義務はなく権利だけがある状態を言う。言い換えれば、ダウンサイドがなく、アップサイドだけがある状態であり、オプション自体が損益の正の非対称性を持つ。

図表2

オプションについて、誰もが同じ情報を保有している場合には、オプションの行使機会とオプションによる収益機会の多寡の予想で、その価値(オプション料)が決定される。

そのため、適正なオプション料を支払って購入した者が、常に経済的に有利となるわけではない。ただその場合でも、オプション料の範囲がリスクの上限であるため(オプション行使機会が一度も生じない場合)、リスクの上限はありつつ、そのオプション行使で得られる期待利益が大きいのであれば、オプション性を持った事業を行うことは反脆弱性のある事業活動をしていると言える。

例えば、新規事業を行う企業にマイノリティ出資する際に、マジョリティを採れるような新株予約権をあらかじめ保有できる投資ができるような場合には、リスク部分がマイノリティ出資額部分と新株予約権のオプション料の合計額に限定されているのに対して、その新規事業を営む会社によって得られる利益は無限大であるため、オプション料が過大でない限りは反脆弱性のある事業投資と評価することができる。

一方、オプション保有者において、情報で優位性がある場合には客観的オプション価値(オプション料)と実質的オプション価値の差が広がり、オプション保有者が優位に立つ。

例えば、他者が入手しえないような情報取得ができる者や、他者が容易にできないような情報分析手法を持つ者が、それらの情報または分析結果から得られた情報をベースにオプションの価値を独自に見積もることができる場合には、オプション料と比べてオプションの価値が高い状態となり、経済的に有利な状態を保つことができるのである。

先の例でいえば、自社の事業関連で新規事業を営む会社に新株予約権付きの投資をする場合には、自社において当該投資先会社の情報取得や分析が優位にできることから、オプション料と比べてオプションの価値が高い状態にあることを確認のうえで、有利な投資ができるのである。

タレブ氏が挙げた事例のうち、アリストテレスの「政治学」において、ソクラテス以前の哲学者兼数学者であるタレスの逸話が登場する。

タレスは、フェニキア人の祖先を持つ商人魂あふれるイオニア人であったが、知人から無一文であったことを馬鹿にされたことに憤慨し、オリーブが豊作になる前の時期に、オリーブの掘削機を全部借り占めた。その後迎えた豊作時に、それをオリーブ農家に転貸することで多大な利益を得たというエピソードが紹介されている。

これは、タレスが天文学の知識を駆使してオリーブの豊作をあらかじめ予想していた点に加え、オリーブの豊作時期の前で掘削機の賃料が安い時期に借り占めを行うことによって、低額のオプション料(掘削機の賃料)を支払って多大な利益を上げたのである。

ここでは、リスク(オプション料である賃料)と比べて利益が莫大であった点がオプション性を利用した反脆弱な行動として紹介されている。

以上から、オプションはそもそも損益に対して正の非対称性があり、オプション料が無料または低額であるビジネスを見つけることができれば、反脆弱性のある有利な事業展開が可能となる。

個人ベースでみると、最近企業で認める事例が増えている週休3日制の企業(副業が認められている場合)においては、所属社員にとっては有効なオプション戦略と捉えることができる。企業で週休3日制を選択すれば、その休日の間に副業を行うことによって、週1日分の給料をオプション料として支払う代わりに、副業による無限大の利益を享受することができるのである。

また、賃貸借(定期借家契約ではない賃貸借)における借主もオプションを持っている立場だ。賃料が賃貸借開始後に高くなったとしても、契約期間中は賃料が上がることはないが、賃料が下がれば中途解約して他の安い賃料のビルに移転することができるので、賃借人は、賃貸借契約期間中においては無償のオプションを持っているということが可能だ。

賃借人からすれば、入居時の家賃がリーズナブルである限り、契約期間が長ければ長いほどオプション価値が高い契約と言うことができる。

このように通常のビジネスにおいても、潜在的にオプション料が無料または低額であるビジネスが存在しているので、それを意識してオプション性を有する契約の締結をすることが重要だ。

このことは先ほど述べた起業のケースにおいても同様のことが言える。借入において個人保証が伴わない起業の場合には、ダウンサイドは出資金の範囲に限定されるので、起業者にとってはオプションを保有しているのと同じ状態になる(オプション料は出資額)。

これに対して、出資に加えて個人保証のある借入を行って起業をした場合、ダウンサイドは出資金を超えて甚大であり、会社が破綻した場合には個人で負担できる範囲を超えた負担となる。そのためこの場合は、個人保証のない場合と比較してオプション性は乏しく、起業家にとっては脆弱な起業ということができる。

まとめ

今日のように将来を見通しづらい時代においては、反脆弱性を持った事業戦略を採ることが、持続可能な成長を図るために重要である。そのためには、タレブ氏の唱えるバーベル戦略やオプション戦略は有効な考え方ではないだろうか。タレブ氏の考え方は、トレーダー世界で活躍した哲学者ならではの超実践的な示唆が豊富にあるため、読者の皆様のビジネスにも参考になるだろう。

▼次の記事はこちら
哲学とビジネス⑤~ギリシャ哲学者ソクラテスから学ぶビジネスの知恵~

コメントを送る

頂いたコメントは管理者のみ確認できます。表示はされませんのでご注意ください。

※メールアドレスをご記入の上送信いただいた方は、当社の利用規約およびプライバシーポリシーに同意したものとみなします。

コメントが送信されました。

関連記事