ナッジとは

ナッジ(Nudge)という英単語は、直訳すると「注意や合図などのために人の横腹をひじで軽く突く」という意味です。
行動経済学では、行動を強制することなく、人間の行動パターンを利用して他者の行動を誘導する手法を「ナッジ」と呼びます。

2017年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授が提唱した理論です。
2008年に発表されたキャス・サンスティーン氏との共著「実践 行動経済学」によって広く知られるようになりました。

ナッジを活用した政策は、個人の選択を尊重しつつも、低いコストでより良い選択へと誘導できるため、海外の政府では多く活用されています。

実は身近なところでも取り入れられている理論です。
例えば新型コロナウイルス感染拡大の対策で、ソーシャル・ディスタンスの喚起のために地面に絵を描く工夫は「ナッジ」を活用していると言えます。

また、「ナッジ」と混同されやすい言葉として「スラッジ」があります。
ナッジは人をいい方向へと誘導するために行う手法ですが、スラッジは人を悪い方向へと誘導してしまう手法を意味しています。

人間の行動パターンとは

人間の行動には特性があり、それは以下のように分類できます。

  1. 損失回避:利得の獲得よりも損失を避けるために行動する傾向
  2. 現状維持:状況を改善できる選択肢よりも、現状をキープできる選択肢を選ぶ傾向
  3. 保有効果:まだ手に入れていないものよりも、自分が所有しているものに価値を見出す傾向
  4. 社会的選考:自分の利得だけではなく、他者の利得にも関心を持って行動を選択する傾向
  5. 情報過多:得た情報が多すぎると行動の決定が難しくなる傾向
  6. 代表性ヒューリティクス:統計上の数値よりも、似たような属性で判断してしまう傾向
  7. アンカリング:基準となる値(アンカー)によって意志決定が影響を受ける傾向

このような人間の行動の特性を利用して、他者を誘導する手法が「ナッジ」です。

ナッジを活用した政策

ナッジは、国内外の政策で活用されている理論です。
以下で、ナッジを上手く活用した政策を紹介します。

イギリス 政府主導のナッジ・ユニット設立

多くの国々の政府が「ナッジ・ユニット(関係府省庁や地方公共団体、産業界や有識者等から構成される産学政官民連携の取組み)」を設立し、ナッジを用いた政策を打ち出しています。
中でも、2010年にイギリスで設立されたBehavioral Insight Team(BIT)は代表的な成功例です。

設立時のメンバーはわずか7人で、設定した3つの目標を達成できなかった場合は2年で廃止される予定でしたが、各分野でナッジ活用に成功し、見事目標を達成しました。
現在でも、その活躍は各国から注目されています。

代表的な例として、2010年に英国歳入関税局と連携して実施された実証実験が挙げられます。

納税通知書に、他の住民の納税率を記載する実験を行ったところ、滞納率が低下することが判明しました。

この結果を踏まえ、納税通知書にナッジを活用したメッセージを記載するようになり、年間約2億ポンドの税収増加に成功しています。

日本 国内ナッジ・ユニット設立

イギリスに続き、オーストラリア、ドイツ、オランダなどでもナッジ・ユニットが設立され、日本でも2017年4月14日にナッジ・ユニット「Behavioral Science Team(BEST)が発足しました。

海外と比べ、ナッジ活用の事例は少ない日本ですが、代表的な例としては2020年7月のレジ袋有料化に先駆けた実証実験があります。

レジ袋有料化に合わせ、マイバッグ利用を促すための効果的な働きかけを調査したところ、同調性と呼ばれる周囲の行動を見て同じような意思決定を行う人間の行動特性を利用した働きかけにより、マイバッグ利用率が15%上昇する結果となりました。
この実験結果は、マイバッグ普及のための広報活動でも活用されています。

日本 厚生労働省 がん検診受診率向上のための政策

厚生労働省では、がん検診受診率向上のために様々な取り組みを行っています。
中でも、成功例として挙がっている福井県高浜町はナッジを活用してがん検診セット受診率を改善させました。

以前まではオプションであったがん検診を検診セットのように見せ、「どれにするか」から「いつにするか」という判断に変えたように見せかける工夫はナッジを上手く活用しています。
その結果、従来と比べ、セット受診率は17%上昇しました。

ナッジはビジネスでも活用できるのか

ここまで、政府におけるナッジ理論の活用について解説しましたが、ビジネスでも有効な理論です。

国内企業のナッジ理論を活用したビジネスの具体例を紹介していきます。

株式会社NTTデータ経営研究所

NTTデータ経営研究所では「行動デザインチーム」が設置されました。

ナッジなどの行動科学の専門コンサルタントによるチームで、サービスの対象となる人々の行動を分析し、施策の立案・検証を行っています。

秋田県横手市役所の職員に対するナッジを行い、職員満足度評価の回答率が前年度比8 . 0%向上に成功した事例もあり、今後の動向にも注目が集まっています。

株式会社博報堂

日本を代表する広告会社である博報堂でもナッジが活用されています。

博報堂のサービス「デジタルナッジ」は人間の心理や特性をインプットした上で、デジタルマーケティングにおけるシナリオを設計します。

日本では行動経済学とマーケティングの研究の第一人者である慶應義塾大学の星野教授の協力も得て、シナリオ設計から検証までワンストップで提供している点が特徴です。

博報堂では、以前も蓄積されたデータから導き出される最適な策を講じていましたが、「デジタルナッジ」によってさらに精度の高いサービスが提供されています。

ナッジ理論で人々の行動に変化を

今回は、行動経済学の中でも様々な場面で活用されている「ナッジ理論」について解説してきました。
2021年1月にはナッジとデザイン思考を使った手法を体系化し、政策にもアプローチすることを目的に「Policy Garage」というNPO法人が立ち上がるなど、日本国内ではナッジ理論への注目が集まっています。

ナッジ理論をしっかりと理解した上で、自身の周りの行動から変えてみるとビジネスにも良い影響があるかもしれません。

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