読了目安:16分
コロナ禍を経た「メディカルツーリズム」の行方。今後の課題と展望を考察
2019年の訪日観光客数の30.1%は中国人で、医療目的の訪日も少なくなかった。コロナ禍を経て、日本政府が描いた医療観光(メディカルツーリズム)戦略は、果たして再び拡大に向かうのか。中国の医療制度から考察する。
メディカルツーリズムとは
一般に医療を受ける目的で他国へ渡航することをメディカルツーリズムと呼ぶ。アジアにおいては2000年以降、タイやシンガポール、マレーシア、韓国そしてインドが国策としてメディカルツーリズムを展開している。
全世界のメディカルツーリズムの市場規模は2021年に約1,178億米ドル、今後6年のCAGR(年平均成長率)は12.8%と予想される。(Bizwit Research & Consulting LLP)またPatients Beyond Bordersは2030年のメディカルツーリズムの市場規模を3,000億米ドル、CAGRは15%、対象者は2020年の21-26百万人から65百万人前後となると予想している。
他社予想を見ても市場金額の差異が大きいのは、医療費以外の費用をどこまでメディカルツーリズム市場とするかによる。
海外医療のユーザー
なぜ、海外で医療を受けるニーズがあるのか。ニーズとして、各国の医療制度、サービスを含めた医療レベル、先進医療、物価、個人事情が主要因として挙げられる。つまり、
① 医療制度上、国民皆保険で政府負担の医療を受けられる地域、受けられても自由診療(個人負担)が大きい地域である
② 健康を志向し、詳細なメディカルチェックを受検、美容を含めたメディカルケア(サービスが大きく関連)を希望している
③ 患者が自国に無い治療方法、設備による先進治療を他国で必要としている
④ ①から③にあてはまる場合も含めて、自国より海外での医療のほうが安価の地域である
ここに、観光資源を組み合せる事で①から④のニーズを取り込もうとしたのがさきほど挙げた国家である。この動きが生まれてから既に20年前後が経過している。つまり、医療をビジネスとして捉えており、タイでは企業化された医院のうち13企業が上場している。
中国の医療体制
中国と日本の1万人あたりの病床数と医師数、医療従事者数(看護師・助産師・薬剤師)を比較すると下記のようになる。
比較内容 (1万人当たり) |
中国 | 日本 | 比率(中国/日本) |
---|---|---|---|
病床数 | 50.5床 | 121床 | 41.7% |
医師数(歯科医含まず) | 20人 | 25人 | 80.0% |
医療従事者数 | 31人 | 127人 | 24.4% |
中国と日本において、医師数はそれほど大きな差ではないが、中国では人口あたりの病床数は少なく、また医療従事者数も少ない。このことから、入院・治療中に受ける医療サービスの内容とレベルの差は大きいと推察する。(厚生労働省、経済産業省 HPより)
中国の医療保険制度は、1949年の建国以降の変遷を経て、医療保障制度の対象が国有企業従事者と扶養家族、退職者に限定されていた形から、全国民の皆保険制度へ移行している。
ただし、戸籍制度から農民の移動を禁止した1950年代から都市部と農村部の二元社会で構成され、保険制度の運用において現在でも、
① 都市従業員基本医療保険制度
② 都市・農村住民基本医療保険制度
の2つに分かれている。これに加えて、公務員に対する公務員医療補助制度があり、困窮者に対する社会保険以外の対応として特定困窮者医療扶助制度がある。
2020年時点で①の保険制度加入者が3.4億人、②の保険制度加入者が10.2億人の合計13.6億人となり、医療保険制度への加入率は 95%を超えている。(中国民政部、日本厚生労働省資料より)
また、医薬品販売ルートの規制緩和と共に薬価の下降を引き寄せ、中国国民の医療負担の軽減を行っている。同時に、オンライン予約、社区でのクリニックでの利用率を高め、総合病院に来院者が集中させない取り組みを行い、従来受診者側の不満である「看病難、看病貴」(病気を診てもらうのが難しい、病気を診てもらうのは高価である)の解決に取り組んでいる。
中国医療ビジネスの拡大
中国の医療衛生費用は 2014年に3.5兆元(70兆円)で、2018年には5.8兆元(116兆円)で、CAGRは13.2%となっている。
2018年時点で医療関連費用はGDPの6.4%となり、2023年には8.8兆元(176兆円)、CAGR8.5%となる予想がされている。
また医療サービスの主体は公立病院であるが、民営病院の数が増加しているのも特徴である。
2014年時点で公立:民営=13,314:12,546ヵ所(合計 25,860)であったが、翌年に病院数は逆転し2021年末で各11,804:24,766(合計 36,570)となっている。
これは民営病院の規模は小さく、総合病院が少ない事とも関連している。民営病院は非営利性、営利性、専門科チェーン化と分かれる。専門治療の多地域展開を進める事もあり、拠点数は今後も増加が予想される。
また、これまでに民営医院の上場企業もある点が、公益性を重視する日本と異なり、ビジネスとしての市場参入を外部からも検討させている。さらに外部からの資金活用もあり、今年でも白酒のトップブランド 貴州茅台は20億元投資(400億円)で総合病院の建設を、アパレル大手ヤンガーも総合病院を開設し本社所在地政府に寄贈を検討(種々あり、実現に至らず)。
ここまでの中国医療改革と民間資本の導入による医療体制の拡充を見ると、中国からの海外医療の必要性があるのか疑問となる。
(中国 病院等級)
等級 | 一級 | 二級 | 三級 |
---|---|---|---|
形態 | 社区での医療、予防、初期医療が主体 | 複数の社区を跨って管轄 | 地区、省、市を跨り全国範囲に医療提供を行う、総合病院 |
病床数 | 20-99 | 100-499 | 500以上 |
医療従事者 | 最低3名医師 5名看護師 検査技師 |
3名副主任以上の医師 0.88名/ベッド 衛生技術員 0.4名/ベッド 看護師 |
各科副主任以上の医師 1.03/ベッド 衛生技術員 0.4名/ベッド 看護師 |
管轄・許認可 | 各市・下部地域衛生局 | 省・直轄市 衛生局 | 特級:中央衛生部 甲~丙:省、直轄市衛生局 |
医院数 (2021年末) |
12,649 | 10,848 | 3,275 (内、甲級1,651) |
(各級医院は、設備、内容により更に高い順に甲乙丙にランクされ、三級は中央政府認可のその上の特級がある)
海外医療への期待
それでも海外医療へのニーズはあると考えるのは、以下の点にある。
① 医療制度
地域、収入により 個人負担額が異なり、高額医療は結局自己負担となる。
② 地域偏重
中国では病院のランク付けをしており、北京、上海など大都市に総合病院が集中し有名医師、設備も集中している。地方からだけでなく、大都市でも大病院での「看病難」状況は続いている。
③ 医院と医師
経済産業省の資料では1万人当たりの医師数は歯科医を含め24人となるが、中華医学会のデータでは0.67/1,000人となり、これでは圧倒的に不足状態となる。更に上述の病院等級で等級付けされていない病院数は、9,798あり、全体の26.7%を占める。
また、三大疾患での存命率が低い事、特にガンの5年生存率は40.5%で直近10年間に10%弱向上したものの日本、アメリカに比較すれば低く、重病難病患者ほど海外医療への重要度は高いと見る。コロナ前で約60万人が各国のメディカルツーリストと見られ、金額規模は既に1,180億元(2.3兆円)と推定されている。
日本の取り組み
2000年代以降、経済産業省・厚生労働省・国道交通省などの関係省庁が連携し、観光立国方針の下、インバウンド観光振興の支援・助成事業を実行し、2010年民主党政権時にメディカルツーリズムの推進を加えた。
さらに、新たに「医療ビザ」の発給を行い、日本での長期滞在、治療を可能とした。結果として、2011年 70件から2019年 1,653件へ増加し、中国大陸からは約80%を占める。
一方、同時期の同ツーリスト数は、2018-2019年でタイが約250万人、シンガポールが約100万人、マレーシアが約122万人、韓国が約50万人と推定されており、医療ビザ=メディカルツーリズムとすると日本の同ツーリズムの経済効果は、極めて小さいものとなる。
しかし、医療関係者などの話を総合すると、必ずしも悲観的ではない。医療ビザ以外の訪日ビザ緩和特に中国籍への対応が影響していると言える。すなわち、マルチビザの取得や、日本法人開設などの業務、投資ビザで日本に滞在時にメディカルチェックや診療、治療を受ける人員が急増した様子となる。
2019年の訪日者実数3,188万人で消費額が4.8兆円であり、2020年4,000万人を予想していた事から、コロナ前の状況に戻るなら、拡大の余地は充分にある。
中国ニーズの受入れ
海外から特に上述の中国事情からするとアッパーミドル以上の患者が日本の先進、高度医療を求めてくる事が予想され、事実コロナ前は事例も見られているが、日本側が統一された方向性で取り組んでいるとは考えにくい。
すなわち医療機関は保険診療を受け、自由診療として先進医療費を支払う日本患者とすべて自由診療として支払う海外患者への向き合い方と医師会、社会の反応を考慮しなければならないからである。
10年以上前、政府の国際医療推進発表時から、自由診療を優先すると「社会格差」を生み、また国内患者の診療劣後につながるとの一部医師会などからの意見への明確な結論がないままとなっている。
これは、日本が国民皆保険制度であり、医療機関が「非営利」の団体である事も関連する。医療サービスとの言葉があり、産業であるものの、医療機器メーカー、製薬業と異なり、外貨を獲得する医療ビジネスを前面に出しにくい環境と言える。
この点で先進となるタイでは2020年、病院経営最大手のバンコク・ドゥシット・メディカル・サービシズ(BDMS)が中国保険業第2位の平安保険グループと提携を発表した。BDMSは、中国人患者のビザ取得、タイでの通訳、生活環境手配までを行い、先進、高度治療を求める中国人患者の取込を進めている。
医療、旅行業とメディカルツーリズムに必要な業務を一元的に行い、ビジネスとして進めている。日本とは対極な動きであるが、海外患者からすれば、海外での医療及び居住の不安が解決される事は渡航先を検討する上では重要となる。
国際医療への課題
国際医療の前提を、日本の国民皆保険制度を維持し、かつ日本患者が阻害されない事としているならば、課題は以下となる。
① 自由診療により、海外患者の増加による日本患者の不利益の懸念
② 医療機関の稼働状況と国内、海外患者の受入れキャパ
③ 自由診療の内容と金額の不透明性
④ 患者の期待感と効用の差異によるクレームの増加
①は日本の医療体制であるが、それ以外は日本に限らず、医療行為で、医療側と患者側の情報非対称性とニーズの不確定性から発生する。
言語、文化の差もある中、中国患者が漠然と日本医療に良いイメージを持って訪日するのであれば、金額面もふくめ、提供可能な医療について充分な説明と理解を進める必要がある。
先述のタイのBDMSの様な動きは日本では難しいが、経済産業省の委託を受け、Medical Exllence Japan(MEJ)はインバウント医療の指定病院認証を行っている。ただし病院自身が上記コーディネーション機能を内製化する事となり、ニーズが読みにくい医療において、病院の負担は大きい。
また、MEJは「身元保証機関」として外国人患者の申請窓口となる企業の登録制を進めている。これは、他国で発生した悪質ブローカー、無免許医療行為の防止にも重要であり、対応は進んでいる。
もちろんこれ以外にも関係各所は、日本の医療の海外認知度を広める取組みを行っている。ただし、患者側から見ると上記②-④の課題解決には至らず、内製化を進めるだけでなく、患者及び医師の代理人となる機能を外部に設定すると共に、その機能・業務規程を国、団体で制定する事でレベルと公平性が保たれると考える。
なぜなら、同じ疾病であっても患者により状況は異なり、効果も異なる。自己責任にて患者本人及び親族の同意を得られたとしても、言語、文化を超え期待値と現実の差を埋めていくシステムが国際医療を継続させる上で重要である。
インバウンドからアウトバウンドへ
中国の医療体制改善が進むにつれ、先進医療への取り組みも進み、中国自身が将来、メディカルツーリズムを進める可能性がある。現在のコロナゼロ対策からは考えにくいが、2010年以降具体的に進めている。
最近では、新疆観光協会は、新疆医科大学附属第一病院と提携し、メディカルツーリズムの共同開発を開始した。関連商品と新疆の観光資源に、中央アジア地区のトップレベルの医療技術と施設を組合せ、医療プラットフォームの確立を目的としている。
中国メディカルツーリズムの始まりは 海南島の医療特区となる。ここで海南博鰲(ボアオ)楽城国際医療旅遊先行区を試験区とし、中国国内未認証の海外設備、医療の導入を行っている。
ここでは外資の招致と共に中国医療レベルの海外発信窓口の役目も担っている。これまで欧米医療関連企業の進出が中心であったが、住友重機械工業が今年6月に現地企業とBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)の同地区での販売、更に将来の大陸での販売に向けた提携を発表した。
中国は海外メディカルツーリズムを禁止する事はなく、継続されるだろうが、自国内の医療レベル、設備の向上にこの様な試験区での外資活用は積極的に行われると推察する。
日本でインバウンドの国際医療を進める中、アウトバウンドを進めている医療関連メーカーと共に国際医療を検討する時期に入っているのではないだろうか。それは高いレベルにある日本医療の海外貢献と日本医療のレベル向上にもつながると考える。
まとめ
- 中国で先進・高度治療とサービスの優良医療を求めている層は海外での医療を求めている。
- 日本においては、国際医療体制の課題を認識し、さらに将来に向けたアウトバウンドを検討する段階にある。
コメントが送信されました。