「SDGs」「ESG」は、どうだろうか? 半世紀前の環境問題から考える

現代の上場企業において、環境問題への対応抜きに経営は語れない。しかし、経営者も投資家も感性に従って判断し、根拠が必ずしも定まっていない“権威ある”主張を鵜呑みにしてはいないだろうか?半世紀ほど前、石油ショックを発端に、環境問題が大きな社会的論点となっていた時代がある。しかし、半世紀前の環境問題は、世界の様々な動きの中で雲散霧消した。現代における「SDGs」や「ESG」は、どうだろうか。

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半世紀前も盛り上がった環境問題

半世紀前も盛り上がった環境問題

上場企業に環境問題への対応が迫られている。

東証など国内だけではなく、イギリスのNGO団体CDPなど海外の環境対策を行う機関からも、厳しい目が注がれている。

筆者も繰り返し、「SDGs」や「ESG」の対応がいかに重要か記事の中で述べてきた。

参考:ESGを過小評価するな すべてを変える「ゲームチェンジャー」
   「G」(企業統治)を忘れていないか 日本の脆弱なESG

環境問題は、21世紀に入って急にスポットライトが当たった論点のように見える。

しかし、実は半世紀前にも、環境問題が同様に社会的論点となった時期がある。

半世紀前の記憶がない読者も多いと推測するが、筆者の感覚では当時の環境問題は今以上に大きな論点として深刻に受け取られていた。そして、あっという間に忘れ去られた。

半世紀前の環境問題を振り返ることは、現在の環境問題に対する視座に大きな参考になると考える。

テレビ放送が中止された

テレビ放送が中止された

1973年10月6日、第四次中東戦争が勃発した。

10日後の10月16日、OPEC(石油輸出国機構)に加盟しているペルシア湾岸産油国6カ国が、原油公示価格を大幅に引き上げた。いわゆる第一次石油ショックの始まりだ。

石油価格は一気に4倍に跳ね上がった。世界経済は深刻なダメージを受けた。日本でも、物価が数十%も上昇する「狂乱物価」と呼ばれる現象が発生した。

戦争、エネルギー危機、インフレという組み合わせは現代と同じだ。翌1974年にはGDPが戦後初めてマイナス成長となり、日本の高度経済成長は終止符を打った。

当時、小学校低学年だった筆者は、新聞のテレビ欄に多くの空白が登場したことを覚えている。

1973年11月20日、当時の郵政省(現総務省)は、各テレビ局に深夜放送の自粛を要請し、各社は翌74年1月からこれに従った。NHKは深夜だけでなく、日中も放送を休止した。

現代では、東日本大震災後や、2022年春の電力不足の際にも、深夜のテレビでは番組が延々と続いていた。

半世紀前は、官も民も真剣にエネルギー問題を受け止め、テレビ放送の中止をした。

夜のネオンも消えたらしいが、小学生だったので目視はしていない。

『日本沈没』と『ノストラダムスの大予言』

『日本沈没』と『ノストラダムスの大予言』

この時期、恐怖心を煽るベストセラーが2冊出版された。

小松左京著『日本沈没(光文社カッパ・ノベルス1973年)』と、五島勉著『ノストラダムスの大予言(祥伝社1973年)』だ。

『ノストラダムスの大予言』は、「1999年、7の月 空から恐怖の大王が降ってくる」と世界滅亡を予言する衝撃的な内容だった。どちらの本も、同名の日本映画が、文部省推薦映画(!)として相次いで公開された。

この二冊は、公害問題などで将来への不安を抱えていた当時の日本で大々的に受け入れられた。

筆者もこの二冊を読了し、震えた。自分の人生は1999年に30代前半で終わる、と。

筆者が定期購読していた『小学●年生』(小学館、小学一年生のみ現存)という雑誌にも、地球の磁気が崩壊して北海道でオーロラが見られるようになる、など世紀末的特集が組まれていた。

アメリカ人写真家であるユージン・スミスが、水俣病患者の写真「入浴する智子と母」を米誌『ライフ』に寄稿したのも同時期だ。

現実の日本では、いわゆる四大公害病だけでなく、日本中の工業地帯で公害が大問題となっていた。

当時の日本は、こうした現実の公害問題とオカルティズムが渾然一体となり、環境問題に真剣に向き合っていた。

ローマクラブの『成長の限界』

ローマクラブの『成長の限界』

前述の二大ベストセラーは、フィクションに過ぎない。

しかし、同時期に科学的根拠を持って世間の話題をさらった研究がある。ローマクラブが1972年に発表した『成長の限界』だ。

――現在の経済成長率と人口増加率が今後も持続するとすれば、食糧不足、資源の枯渇、汚染の拡大によって地球と人類は100年以内、おそらく50年以内に成長の限界に達し、人口と工業力の制御不可能な減少という破滅的な結果が発生せざるを得ない――。

上記はマサチューセッツ工科大学のメドウズ氏らの調査に基づく宣言だ。

彼らに研究委託を行ったのは、ローマクラブと呼ばれる民間のシンクタンクだった。

ローマクラブは、イタリア電気メーカー・オリベッティ社の副会長だったアウレリオ・ペッチェイが初代会長となり、1970年に発足した。会員には、著名な政治家、学者、宗教家らが名を連ねている。

第一次オイルショック後で、世界中が工業文明への反省ムードに包まれていた。ローマクラブの『成長の限界』は、成長一辺倒の政策に対して警鐘を鳴らす十分な役割を果たした。

予想と異なる世界の大繁栄

ローマクラブによる警鐘から、半世紀が経った。世界経済は崩壊するどころか、空前の繁栄を謳歌している。

当時のローマクラブは、イギリスの経済学者マルサスが『人口論』で唱えた「人は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」という大命題を前提としていた。

しかし、実際は、都市化を背景にした出生率低下によって、先進国を中心に少子化、人口減少に我々は頭を抱えている。

技術革新や物流網の発達、価格メカニズムによる食料増産投資により、フードロスが問題になるほど食料も先進国では行き渡っている。

オイルショック前後、様々な事象がシンクロした。二大ベストセラーによる感性への働きかけ、ローマクラブによる理性への働きかけ。夜のネオンが消え、テレビ放送も無くなった。工業化や都市化への反省や環境重視の社会思想が広がった。

現在も環境問題の議論は盛り上がっている。

しかし、深夜のテレビ放送やネオンは無くならない。皆が自家用車に乗り続けている。飛行機も飛んでいる。議論と現実の乖離をどう理解すればよいのだろう。

終末論への抗いがたい誘惑

有史以来、終末論は万国で何度も流行し、そして、何れも実現していない。

現在自分が生きている刹那の相対価値を高める装置として、終末論には抗いがたい魅力がある。

キリスト教、仏教、ヒンズー教など、様々な宗教で終末論が語られてきた。

日本でも、平安期、鎌倉期、室町期、と各時代で末法思想が流行し、人々は終末を恐れた。

中国でも、隋・唐の時代にすでに末法思想が盛んに議論された。

文明批判が起こったのも一度や二度ではない。ヴィクトリア朝の産業革命の際、大量生産された安価で粗悪な商品が溢れかえり、懐古主義が隆盛した。

イギリスの詩人であるウィリアム・モリスは、中世の手仕事に回帰し、生活と芸術の統一を主張した。アート・アンド・クラフト運動だ。モリスの思想は各国の美術に影響を与えたものの、今では商業主義に包摂されている。

新たな専門家の台頭

新たな専門家の台頭

1990年代、NASAの予算削減で職を失った多くの理系エリートがウォール街に職を求めた。

彼らが設計する金融工学は、巨額の収益を投資銀行にもたらし、新富裕層が誕生した。

21世紀に入るとIT革命やバイオ革命が起こり、デジタルサイエンスやバイオサイエンスの専門家が求められた。

彼らはベンチャーキャピタルから十分な資金を獲得し、起業家として、また新富裕層として脚光を浴びている。

いつの世も、専門家は、時代の要請という触媒(カタリスト)をテコに、専門家の領域という蛹(さなぎ)を脱ぎ捨てる。彼らは蝶に変態し、その時代の主役の一角を占めるのだ。

今生じている変化も、NASAの理系エリートやバイオサイエンティストと同じだ。環境の専門家、人権の専門家など、“新しい”専門家が台頭し、蛹を脱いでいるのだ。ウィルスの専門家に急に世間が注目しているのも同じだ。

まとめ:“権威ある”主張を鵜呑みにしない

本稿は「SDGs」や「ESG」の流れに反対することを目的としていない。むしろ、筆者は、過去の論考で何度となく、これら新しい流れを理解する重要性を指摘してきた。

半世紀前の環境問題を振り返ることは、感性的な判断の危険性を再認識することだ。また、根拠が必ずしも定まっていない“権威ある”主張を鵜呑みにしないことも重要だ。

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