常識を疑え~「4兆分の1」は絶対か?

過去の連載でサッカーのPK戦について書きました(初歩的ゲーム理論による、キッカーはどちらに蹴りキーパーはどちらに跳ぶべきかの考察)。先日の報道では、中学1年生の高村樹輝さんがPK戦について考察したものがコンクールで最優秀賞に輝いたとのこと、素晴らしいことです。

さて、今回は「常識を疑え」の第2回、4兆分の1は絶対か?についてです。

最新のDNA型鑑定では精度「4兆7000億人に1人」まで実現できるそうです。日々使われるDNA型鑑定はそれほどの精度ではないでしょうが、ニュースで「被疑者のDNAと現場で見つかったDNAが一致した」と言われたら、犯人に間違いないよな、と思ってしまいがちです。しかし、十分に注意しないといけないことについてみていきます。

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誕生日が同じ人がいる確率はどれくらい?

誕生日が同じ人がいる確率はどれくらい?

まずよく知られている誕生日一致問題から。

1年は365日ですから、「クラスの人数40人程度なら、だれも一致しない可能性のほうが高いよな」と考えてしまうのが普通です。そのため、同じクラスで自分と誕生日の人がいたらなんだか嬉しくて、それを理由にして親友になるなんてことがあるかもしれません。

しかし、実際はほとんどのクラスで一致します。23人集まると一致確率は50%を超え、40人のクラスであればその確率は89%。すなわち、40人の誕生日がまったく一致しないことのほうが珍しいのです。

同じように、DNAの一致確率が4兆7千億人に1人としても、世界の人口を80億人とすると、誰かと誰かのDNAが一致する確率は相応にあるということです。

「BとXが親子である」と「YとXが親子ではない」の関係

「BとXが親子である」と「YとXが親子ではない」の関係

この誕生日一致問題で、我々が早とちりしてはいけないのは、「一致するのはどの誕生日でもよい」ということです。もし「自分と一致する人がいる確率」であれば、40人のクラスで一致する確率はずっと低くなります。

つまり、対象が特定されていないケースと、特定されているケースを混同して考えてしまう難しさです。過去の裁判でそれに該当する事例を見つけました。以下は、佃貴弘氏「家事事件におけるDNA親子鑑定の統計的推論への懐疑」によります。

裁判の内容は、「男Yと女Aが離婚して、Aは男Bと再婚した。Aの子供Xに関して、Aが『XはYの子供ではないこと』を求めた」ものです。

YがXとのDNA型鑑定をし、4兆7千億分の1といわずとも、それなりの精度であれば、裁判所も判断に困ることはなかったでしょう。しかし、Yが検査を拒否したため、Aは独自にXとBのDNA鑑定を行い、「精度99.999998%の確率でBとXは親子である」と主張したのです。

もしこのDNA型鑑定が正しいのであれば(精度は多少誇張されているとしても)、BとXは親子関係と言って問題ないでしょう。

しかしながら、本件は「BとXが親子である」ではなく、「YとXが親子ではない」を示すことであることが難しいところです。

佃氏は、「日本の男性の人数6200万人とすると、上記の鑑定精度としても、XがB以外の誰かから生まれる確率は70%ある。仮に、精度を一桁落とし0.9999999とすると、誰かから生まれる確率は99.8%になる」とし、DNA鑑定の精度が0.9999999すなわち1000万に一人としても、誤った判断になりかねないことを指摘しています。

1000万分の1と10分の1

1000万分の1と10分の1

もう少し単純な事例で、思い込みの危険さを示します。

ある犯罪現場から採取されたDNAが被疑者と一致した。この検査ではDNAが一致する確率は1000万人に1人だという――。こう聞くと我々は「確率1000万分の1か。犯人に間違いないよね」と思ってしまいます。

しかし、日本の人口を単純に1億人とすると、犯罪現場から見つかったDNAに一致する人は日本全体で10人いることになります。すなわち、この被疑者が真犯人である確率は、(1-1000万分の1)=ほぼ間違いなく犯人ではなく、10分の1なのです。冤罪が危惧される確率です。

1人の女性の人生を奪った冤罪

1人の女性の人生を奪った冤罪

良書「生と死を分ける数学」(キット・イェーツ著、草思社)では、誤った認識のために1人の女性が人生を奪われた、涙なくしては読めない残酷なケースが紹介されています。以下、概要を示します。

イギリスの女性サリー・クラークさんの、生後8週間の子供が突然死しました。彼女は以前にも生後11週間の長男を突然死で失っていたのです。そのことに気づいた検察はクラークさんを殺人罪で起訴します。

検察側は、乳幼児突然死は8543人に1人であり、それが2回重なったのだから、確率は、8543分の1×8543分の1、すなわち7300万人に1人である。つまり病死であるはずがなく殺人であると断じたのです。

裁判の結果、10対2でクラークさんは1999年に終身刑の判決を下されます。クラークさんは監獄に収監され、マスコミはクラークさんを子供殺しの残忍な母親として激しく糾弾しました。

生と死を分ける数学

この事例は、二つの死を独立変数ととらえた誤りでした。本来は、むしろ二つ目の死があったことで、事象の発生に条件を付けて考えるベイズ推定的に確率が変更されなければいけなかったのです。つまり、クラークさんの最初の子供の死の確率は8543分の1ではなかったということなのです。

夫をはじめ関係者の支援で控訴審が開かれ、2003年に無罪を勝ち取りました。しかし、クラークさんは2007年にアルコール中毒で死亡しました。無理もないことでしょう。2人の子供を失った悲しみ、そして自分が殺したと新聞で糾弾される苦しみ。

生と死を分ける数学では、このような間違った判断が多く示されています。誕生日なら良いのですが、冤罪となるとそれどころではありません。我々は、例えば4兆という数字を安易に受け入れるのではなく、正確な判断ができるように学ばなくてはいけないと言えます。

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