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村上春樹さんから学ぶ経営㉚「新しいゲームの新しいルール」~AI・ChatGPTは代替か、増幅か(続)
前月は、フレーゲ、ラッセル、ヒルベルト、チューリング、ノイマンといったAIの土台を構築した天才を紹介しました。今月もAIと人間についてですが、その前に。
2人の賢人・坂本龍一氏、福岡伸一氏による『音楽と生命』(集英社)を読んで驚きました。前月号で「自動車も冷蔵庫も鳥も虫も風の音もなかったら、この世界はどんな音がするだろう、もはや叶わぬことだけれど」と書きました。同書では「無響室に入った音楽家・思想家ジョン・ケージ氏には二つの音が聞こえた。一つは神経回路の音、もう一つは血が流れる音」とありました。世界の音は自身の音でした。同書では「アルゴリズム思考の危うさ」についても議論されています。ケージ氏は稲盛和夫氏が創設した京都賞を受賞しています。
さて、今月の文章です。引用は先月と同じ『映画をめぐる冒険』(川本三郎氏との共著、講談社)からです。
映画をめぐる冒険より
前月号では、コンピュータ、人工知能の土台となった厳密厳格な論理学について書きました。
それでは、我々人間の脳はどうなっているのでしょうか? 以下、脳の概要です。
驚くほど研究されている神経細胞の仕組み
- 脳の機能は、1000億個ほどと推定されている神経細胞(ニューロン)が担っている
- 一つ一つの神経細胞は数千個~数万個におよぶ入力を受け取り、次の神経細胞に伝える(入力機能と出力機能がある)
- 信号の伝達は、電気信号と化学信号による(神経細胞内部は電気的、神経細胞と神経細胞の間は主に化学的)
- 脳は場所ごとに役割分担がされ(機能局在)、同時に他の場所とも連携している(過去、人道的・非人道的に脳の一部を切除する手術・実験が行われたことで、部位ごとの機能が判明している)
- 神経細胞は活動の結果、新しい構造が形成される(可塑性がある)
(参考文献:櫻井武氏『「こころ」はいかにして生まれるのか』、三上章允氏『脳の教科書」、脳科学総合研究センター『つながる脳科学』、鈴木郁子氏『自律神経の科学』、すべて講談社、等)
神経細胞の電気的処理は興味深いものです。平常時には、神経細胞の内側は細胞の外側よりも電圧がわずかに低く保たれています。そこに刺激が加わると、内側に+電位のNaイオンが流入し、内側の電位が閾値(しきいち)を超えると次の細胞に情報が伝達されることになります。電圧が低い状態/高い状態の、1/0のデジタル処理になっているのです(その電気信号が次の神経細胞に伝えられるのは化学的信号による)。
若かりし頃、人間はデジタル信号で動いていると初めて知った時は驚きました。我々は局所的には電気信号・化学信号機械なのです。
では、「こころ」は?
では、「こころ」「意識」「情動」となるとどうでしょう。櫻井氏によれば、こころは以下のように生成されるそうです――。
(大脳皮質よりも内部にある)大脳辺縁系が変化し、内分泌系と自律神経系を通じて脳以外の身体に影響をあたえ、大脳皮質の前頭前野がその変化を認識する。
上記のように、神経細胞一つ一つの仕組みは驚くほど詳しく解明されていますし、現代技術であれば1000億個の「神経細胞」(素子)を用意することは難しいことではありません。64GB(=512Gbit、すなわち5000億個の素子がはいっている)の半導体記憶装置は驚くことに1万円で購入できます。
しかしながら、「こころ」はそれら神経細胞が複雑にという言葉では言い尽くせないほど複雑に連携しており、また、内分泌系や自律神経系、そして身体も連携しており、厳密に定義できるようなものではないようです。すなわち、模倣はできないということになります。
コンピュータの記憶装置であれば、例えば「太陽のエネルギーは核融合によるものである」との情報は0と1にデジタル化されたのちに、〇〇番地に書き込まれ固定されます。記録に本質的な可塑性がありません。
しかし、人間の記憶はそのように単純でありません。「記憶」ですらそうです。より広範な「こころ」となるとさらに神秘的です。
AIをIAに
AIに関連する本は山ほどありますが、日立製作所の元技術者で、技術に精通すると同時に俯瞰した視野と鋭い洞察力をお持ちの研究者として西垣徹氏がいらっしゃいます。
西垣氏は「生物は状況に応じた問題設定と意味解釈によって生きていく自律的存在。機械は指令通りのアルゴリズムで過去のデータを形式的に高速処理する他律的存在」であり、「人間はAIに代替されることはなくAIをIA(知性intelligenceの増幅amplify)として活用できる」としています(『ビッグデータと人工知能』中公新書、『超デジタル世界』岩波新書)。
作家・数学者の金重明氏も「囲碁でAIが人間に勝ったことが話題になったが、AIは思考していない。膨大な計算をしているだけだ。脳神経の物理的、化学的な情報交換がどのように自我の意識へと「創発」していくのか何もわかっていない」(『方程式のガロア群』、講談社)としています。
ここで、「創発」とは「複雑系に関する研究が生み出した概念で、改造構造のある組織で、下位の要素が複雑にからみあい、個々の要素からは想像できないシステムが生まれること」です(同氏の『世界は「e」でできている』、講談社)。
筆者もAIの脅威を感じつつ、AIをIAにしなくてはいけないと感じます。AIが音楽や詩を書けることは驚きですが、AIは詩を書こうとは思わない。重力とは何かと聞かれれば答えますが、一般相対性理論を生み出そうとは思わない。意思がありません。そもそも、一人の人間は一つの宇宙といえるほど深く複雑であり、代替できるとは思えません。
「新しい儀式」作り上げていく人間
ラッダイト運動から200年経過した現在、世界は人手不足になっています(世界的な高齢化、特に労働供給国であった中国の高齢化によりインフレになると予想する、チャールズ・グッドハート、マノジ・プラダン『人口大逆転 高齢化、インフレの再来、不平等の縮小』日経BP日本経済新聞出版、は結論は別として良書です)。
200年後、どうなっているでしょうか。AIに代替されているのか、AIを増幅器として活用しているのか。前月号で紹介した野村総研の2015年における調査(今後10~20年で労働人口の49%が代替される!)からすでに8年経過していますが、今のところそうなっていません。
1800年代のイギリス人が恐怖したことと同じことは、これまで繰り返されてきたのではないでしょうか。電話交換、駅での切符もぎりなどもなくなりましたが、続けていて幸せだったとは言えないでしょう。
200年前の自動織機や現代のAIは他の技術に比して激震と言えるでしょうが、本質的には人間はありとあらゆる機械を生み出しながら、代替されたのではなく、増幅してきたのではないでしょうか。
前月号で書いた米・ハリウッドのネオ・ラッダイト運動も、1985年はビデオ、2007年にはDVDとインターネットに関するストライキが行われたそうですが、そのような懸念を超えてハリウッドは発展しています。
AI時代の「新しいゲームと新しいルール」が我々を「どこに連れていくのか」はわかりませんが、人間は「新しい儀式」を作り上げるのでしょう。
おまけ こころは『奥歯』にある
コンピュータであれば情報の格納場所は特定できますが、人間のこころはどこにあるのかわかりません。
エジプト人は心臓・子宮にあると考え、アッシリア人は肝臓にあると考えたそうですが、村上春樹さんとの共著(『みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子 訊く/村上春樹 語る―』新潮社)のある川上未映子さんは、『わたくし率 イン 歯ー、または世界』(講談社)において、「私」は「奥歯」にあるとしました。川上さんならではの文章を引用します。
なんと斬新な視点でしょう!
川上さんは高校卒業後、歌手としてデビューしますが(プロデューサーは財津和夫さん)、鳴かず飛ばず、作家に転じ、『乳と卵』(文藝春秋)で芥川賞を受賞した才媛です。こころは奥歯にある! 凡人では思いつきません。「目玉で考えるのがベタ」との一文も凄い。
中島らもさん―町田康さん―モブノリオさん―川上未映子さん。大阪は異才を生みます。
▼村上春樹さんから学ぶ経営(シリーズ通してお読み下さい)
「村上春樹さんから学ぶ経営」シリーズ
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