哲学とビジネス② (マルクス・ガブリエルの倫理資本主義㊦)

「哲学界のロックスター」と称され、現在、世界中から注目をされている哲学者マルクス・ガブリエル。㊤の倫理資本主義についての考察に続き、㊦では新実在主義と普遍的な倫理観について述べたい。

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哲学とビジネス②(マルクス・ガブリエルの倫理資本主義㊤)

新実在論とは

新実在論とは

さて、マルクス・ガブリエルの哲学理論と言えば、新実在論である。従来の実在論は、意識・主観を超えた独立の客観的実在を認め、このような実在をとらえることにおいて認識が成立すると説く立場とされている(対象が物質の場合は唯物論、理念の場合は客観的観念論)が、新実在論は、物質と理念のいずれをも実在すると考えている。

テーブルの上にリンゴが二つあり、それをAとBの2名がテーブルを挟んで見ていると仮定した場合、物質としてのリンゴ2個、Aから見たリンゴ2個のイメージ、Bから見たリンゴ2個のイメージは、いずれも実在していると考えるのである。

現実は一つではない

マルクス・ガブリエルの言葉で言えば、「現実は一つではなく、数多く存在する」が、「あらゆる物事を包摂するような単一の現実(世界)は存在しない」と言うことになる。そして、それぞれの現実について、「私たちは、現実をそのまま知ることができる」のである。

デジタル社会と新実在主義

デジタル社会と新実在主義

このような新実在論は、デジタル社会の浸透で、リアルとバーチャルの境界線が曖昧になり、真実とフェイク、真実とフィクションの見分けが難しいインターネット社会において、それらの境界線を明確化することに役立つ考え方とされている。

何が真実か

ここでは、何が正しいか、そして何が真実か、が重要であり、そのためには具体的なデータ内容を正しく理解するとともに、本当に起きておきていることが何かを考えるべきである。

よく、レストランで食べログ等のデータの評点と口コミを見ながら、良いレストランを見つけることが一般に行われているが、そのような書き込みは、どちらかというとクレームに敏感な客が行うケースや、当該店舗に何らかの関係をしている者が良い評価のコメントを書くケース等が相当数あり、それらを考慮した上でデータをみることが重要である。

統計データをどのように見るか

それとともに、統計的データをどのように見るかも問題となる。2020年の日本人の平均寿命は、女性が87.74歳(世界1位)、男性が81.64歳(世界2位)であるが、そこから、男性である私は、約50%の確率で81歳まで生きられると考えることは正しいであろうか。私自身の持病や体重等のことを考慮すると、その確率は全く違ったものになるはずであり(そのような計算ができるかどうかは不明であるが)、統計的なデータだけで真の姿は分からない。

ビジネスの世界でも同様のことがある。例えば、内部通報制度が整っている会社で、年間通報件数があまりない事実から、当社では、あまり不祥事は起きていないと判断することは早計である。

別途、無記名で、内部通報制度の使いやすさや課題等のアンケートを採った場合に、通報すること自体の心理的ハードルが高いことや、通報しても会社が対処してくれるかどうか分からないので期待できない、等の回答が多い企業は多数存在する。このような場合は、内部通報制度自体が機能していない可能性があり、当該制度を利用しやすくするための制度改善が必要となる。

普遍的道徳的価値観とは道徳の三つのカテゴリー

マルクス・ガブリエルは、
「我々には普遍的な道徳的価値観があり、違う文化がそれを覆っているだけだ。」
と述べているが、その根拠は、我々人間は生物的基礎が同じであることに基づく。

文化が違っても、例えば、「人を殺してはならない。」という倫理的な価値観は、普遍的価値観として人類共通のものだからである。

道徳の三つのカテゴリー「悪い」、「中立」、「善い」

そして、道徳には三つのカテゴリーがあり、「悪い」、「中立」、「善い」の3種類に分類することができる。

例えば、「人を殺す」といった行為は、前述の普遍的価値観に抵触するため、当然ながら「悪い」に該当する。

これに対し、例えば、ウクライナ侵攻問題に対し、ウクライナに対し人道支援を行うということは、「善い」に分類される。

そして、例えば、「私が、オフィスでTシャツを着て仕事をする」という行為は、社内ルールには抵触したとしても、倫理的な問題はないため、「中立」ということになる。

マルクス・ガブリエルが述べていることではないのだが、私は、ビジネスの世界では、人間における倫理上の普遍的価値観をビジネス寄りに広げて考えることも可能と考える。

企業をあえて潰す行為は…

企業をあえて潰す行為は…

とすると、人間の世界では「人を殺す」といった行為は、企業の世界では、あえて「企業を潰す」ということに該当するはずである。

もちろん、自由競争の世界で敗れた企業が潰れることは、これに該当しない。

が、会社を自己の利益のために安価で乗っ取った上で、その企業を潰すことによって自らの利益をあげるような行為や、独占禁止法で禁止されている不当廉売行為を行って零細企業を潰すような行為も、その程度によっては同様に倫理的に非難される行為と考えられる。

敵対的買収は?

こうした場合、所謂、敵対的買収はどのように考えるべきであろうか。

これまでの経営陣の交替が想定される敵対的買収は、日本では、従来倫理的に問題視され、欧米のように頻繁に実施されることはなかった。もちろん、最近では、このような考え方も変わってきているものと思われる。

「企業を潰す」行為が、ビジネスの世界で非倫理的な行為であるとした場合、敵対的買収はどのように考えたらよいのであろうか。

私は、「中立」になるのではないかと考えている。

企業は、自ら上場した以上、許容された制度であるTOB等を利用した買収行為は、それ自体禁止されているものではない。よって、当該制度を利用して買収する場合に、仮に、対象会社の経営陣の賛同が得られていない敵対的買収であっても、倫理的に非難されることはないものと考える。

ただし、自己の利益のために会社を乗っ取った上で、その企業を潰す目的で行う場合には倫理的に非難される行為に該当するが、競合会社やファンドが、敵対的TOBを仕掛ける場合は、当該「企業を潰す」ことを目的とはしていないので、倫理的には「中立」と言うことができる。

また、グリーンメーラーのように、敵対的買収の交渉を背景に、株式の売却益を狙うような場合にも、買収して「企業を潰す」ことは損失が生じるだけで利益が出ない行為であるため、倫理的には「中立」に該当する。

事業再生のスポンサー選びについて

また、事業再生の場面で、スポンサーを選定する場合にも、そのような倫理的側面を考える場合がある。再生企業の経営陣は、スポンサー企業を選ぶ場合に、自社の競合先会社はできれば回避したいという場合が多い。これは、競合先会社にとって、買収した当社がその後利益貢献をせずに消滅したとしても、その分競合先会社の取引が増えるはずであるからそれでも良いと思っているので、スポンサーにはなって欲しくないという理由である。

明らかに「企業を潰す」目的でスポンサーに名乗りを上げている企業の場合は、事業再生の精神に抵触するためスポンサー候補から排除すべきであるが、通常のスポンサー企業は、一定の資金を拠出して投資を行って再生企業を買収する以上、故意に当該企業を潰す経済合理性は全くないはずであり、当該企業による買収を倫理的に非難することはできない。

あくまで、仮に、当該買収先が経営破綻したとしても、買収した企業の取引が増えることによってその損失を幾分かは回収できる側面もあるというだけの話である。(なお、このような議論は、マルクス・ガブリエルが述べている話ではないので、その点はご理解を頂きたい。)

道徳的相対主義への異論

「すべての意見は他の意見と同じくらい良いものである。」というのが、道徳的相対主義である。

その背景には、世の中には様々な道徳観があり、日本の道徳観、西洋の道徳観、ロシアの道徳観がそれぞれあり、それぞれ正しいとする考え方である。

一見正しいような考え方に見えるが、マルクス・ガブリエルは、この考え方に異議を唱えている。

先ほどの例にあった「人を殺す」や「子供を拷問する」等の行為は、倫理的に誤っている絶対的な道徳的事実であり、このような道徳的事実に関しては、道徳的相対主義は妥当しないのである。

現在問題となっているロシアによるウクライナ侵攻は、武力によって領土を拡張する行為であり、その際に、一般人を含めた殺戮を繰り返していることからすると、ロシアに歴史的背景や何らかの大義名分があったとしても、絶対的な道徳的事実に抵触する行為である。

ビジネスにおいても、このような道徳における普遍的価値観に関する行為(児童に対する強制労働等)が取引先で行われている可能性があるのであれば、どうするべきか。

仮に当該国において当該行為が法律に抵触せず、慣行上許容されていたとしても、その有無を確認した上で取引中止を検討すべきである。このことは、倫理的資本主義の観点からは不可欠である。

新実在論に基づく考察が不可欠 

マルクス・ガブリエルは、倫理資本主義に沿った哲学的経営をする企業が、持続的に発展をする巨大企業に発展すると述べている。グローバル社会の中で、自国とは異なる価値観の下にある企業との取引を行う機会が増加するとともに、デジタル社会の進展により、真実かどうかの確認ができない情報がインターネットを飛び交っている現在の状況においては、新実在論に基づく哲学的考察が不可避であるとしている。

企業は、ビジネスをする上で、
「何が真実(事実)であるか」
「倫理的に普遍的な価値は何であるか」

等を自らが見極めていく時代になっている。そのためには、各企業において、
「哲学の専門家による倫理委員会を創設せよ」
というのがマルクス・ガブリエルの主張である。

税務・会計のアドバイザー、法律顧問等を起用すると同様に、専門的な見地から意見を言う倫理アドバイザーが必要ということである。

倫理の専門家導入という視点

日本企業においては、ESGやSDGs等の遵守が厳しくなっている現在においても、各企業がこれらの遵守よりも売上・利益を追求することに主眼があり、倫理的な側面の検討は、自社で自ら判断できるから大丈夫というのが、多くの企業の考え方だと思われる。

しかしながら、複雑な経済・社会環境の中において、企業における倫理の専門家導入という視点は、ESGやSDGs等の見地からも、今後のトレンドになるのではないかと考えており、大変参考になる考え方である。

以 上

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哲学とビジネス④ ~ナシーム・ニコラス・タレブ氏の「反脆弱性」について~

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