「謝罪会見ありき」の風潮に疑問符 一様ではない不正、不祥事への対応方法

ビッグモーター、日本大学、ジャニーズ事務所……。社会の注目を集める「謝罪会見」が相次いでいる。さながら日本特有の「文化」になったかのようだ。不正・不祥事に際しては会見を行うことが問答無用で求められ、実施しなかった場合は批判が一気に噴出することも少なくない。しかし、不用意に謝罪会見を行うことは禊をそぐことにならないばかりか、全く逆の効果をもたらしかねない負の側面もありはしないか。改めて謝罪会見について考えてみたい。

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韓国企業の異なる対応に驚き

韓国企業の異なる対応に驚き

ビッグモーターや日本大学など世間を騒がせる謝罪会見では、ワイドショーやネットメディアが、会見での不用意な一言をあげつらい、様々な人々が、それぞれの立場で批判を繰り広げる展開となることが多い。

芸能人や政治家の不倫など、ごく私的なものから、事故や不祥事、不正など企業を始めとした公的存在まで、多様な主体が多様な内容で謝罪会見を行っている。筆者はあまり海外経験がある方ではないが、このような謝罪会見は日本特有の文化との印象を受ける。

韓国でも謝罪会見は行われる。2016年にサムスン製のスマートフォンのバッテリー火災が頻発した際、何度か謝罪会見が行われた。筆者はその頃、シンガポールに駐在していたが、事故原因の調査結果がまとまる前に、サムスンが自社の厳密な品質管理、品質保証の取組みをテレビCMで盛んに放映していたことを目にし、驚いた経験がある。

日本であれば、禊をそぐまでCMを流すことが憚られるのが暗黙の了解となっている。

「進化」してきた謝罪会見のノウハウ

「進化」してきた謝罪会見のノウハウ

危機管理関連のコンサルティング業務において、メディアトレーニング(模擬会見)や危機管理広報はメジャーなテーマとなっている。企業によっては新任の取締役に対してメディアトレーニングを受けさせるといったこともあるし、様々な解説本も出ているし、定期的に特集を組む雑誌もある。

そのせいか、最近の記者会見で以前のような分かりやすい失敗を犯す企業は減っているように見受けられる。過去には反面教師といえるような「雪印食中毒事件」(2000年)、「船場吉兆食品偽装事件」(2007年)などから、謝罪会見のガイドライン的なものが出来上がっている。

まず、謝罪である。以前は漠然と「この度はご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした」といった謝罪から始まった。これでは何に対しての謝罪か分からないといった批判を招いた。

一方で、結果が明確に出るまでは責任を認めること、罪を認めることもできない。このような中から生まれたのが「限定謝罪」といわれる特有の謝罪手法で、例えば「この度は、世間をお騒がせして申し訳ありません」といったあいまいなフレーズを繰り出すことを指す。

その他にも記者会見会場の設営に関してもいくつかのルールがある。

例えば登壇者の退場の導線、タイミングである。出口が1つだけで登壇者と記者が同じ出口を使ったり、同じタイミングで退場したりすると雪印のように記者に囲まれて不用意な発言を生み出すことになりかねない。

このことから、出口を登壇者と記者で分けられるような会場にしたり、社外の会場を使用したりするといったことが推奨されている。

その他にも登壇者の机は足元が見えないようにするのが一般的である。これは足を組んだ写真が雑誌に掲載され批判を招いたことに起因している。

華美な装飾品を身に着けないことも、過去の謝罪会見で登壇者の豪華な時計が批判を集めたことがきっかけとなっている。

また、記者会見の開始時間なども夕刊の締め切りや夕方のニュースに間に合うタイミングで実施するといったことが推奨されている。

こうした一つ一つをまとめ、記者会見のノウハウをメディアトレーニングの形で伝達している。

エンタメ化する謝罪会見、「付け焼き刃」では乗り切れない

エンタメ化する謝罪会見、「付け焼き刃」では乗り切れない

しかし、それらのルールはインターネットメディアやSNSが隆盛となる以前には生きたとしても、現在の環境にマッチしているとは言い難い。

一番の違いは現在の記者会見は時間の制約がなく、インターネットで誰もが視聴できる形で配信されている点である。実際にビッグモーターの記者会見は約2時間半、日本大学アメリカンフットボール部に関する大学の会見時間は2時間15分、創業者の性加害問題が社会問題化したジャニーズ事務所に至っては4時間超と長時間に及んでいる。

従来であれば、冒頭の登壇者全員のお辞儀と会社説明が一報され、記者の質疑応答などはその後、夜のニュースや朝刊に回されるといった形でワンクッション置かれる形となる。つまり冒頭の十数分を乗り切ることがまず求められたわけだ。

一方で、現在は誰もがインターネットを通じて視聴でき、その内容をインターネットの掲示板やSNSなどのメディアを通じて発信することができる。謝罪会見そのものがエンターテイメントとなっており、一つのミスもなく2時間近くの会見を乗り切ることが求められる。

恐らく、それを乗り切るのは至難の業と言える。生半可なテクニックで乗り切れるものではないだろう。

現在、メディアトレーニングに意味があるとすると、ストレス耐性が低く、不適切な言動をする傾向がある者を見定め、会見の持ち時間を検討する際の資料にするといったことではないかと思われる。

「謝罪会見ありき」の発想は改めるべき

そもそも、まず考えなければならないのは「本当に謝罪会見をする必要があるのか」ということである。

記者会見の意義は、メディアを通じて不特定多数のステークホルダーに、広く情報を届けることにある。例えば、食品等の異物混入で広く消費者に情報を届ける必要がある、あるいは製品に不具合があり、火災の恐れがあるときなどである。

その逆で、情報を届ける必要があるステークホルダーが特定でき、等しく情報を伝達する方法もあるのであれば、記者会見をする必然性は下がる、ということだ。

会見を開くのであれば、ニュース性があることも求められる。ニュース性がなく、報道されない、または情報を届けたい人に届けられないようであれば、会見をする意義は薄れる。

そればかりか、会見を通じて発信される情報が少なく、ニュースにならない場合などは、ニュースにするために記者から質問が殺到し、会見が荒れ、かえって多方面から追及される可能性を高めてしまうこともある。

ニュースに必要な要素、質問はある程度想定できる。過去の類似事例の報道内容を見れば、どのような情報が必要であり、伝える必要があるか自ずと見えてくる。

記者会見を行うに際しては、それらの情報を可能な限り整理し、足りない情報があれば、いつまでに把握することが可能なのかを把握しておく必要がある。これらの整理がないまま、記者会見をしなければならないという強迫観念に駆られて記者会見を行うことは避ける必要があろう。

リスクマネジメントの支援を行っていると、「従業員がSNSに上げた不適切な画像等により炎上し、メディアで取り上げられブランド価値を棄損する」といったことを回避したいと訴える企業が少なくない。

だが、不祥事があると、すべからくメディアで報道されブランド価値が棄損するかといったら、そうとは限らない。

前述の日本大学と同時期に、東京農業大学のボクシング部でも同様に部員の大麻所持で逮捕等はあったものの、記者会見は行われていない。そのことがSNS上で批判をされていることを絡めて批判する報道はあるものの、大きなうねりにはなっていない。

不正、不祥事への対応方法は一様ではない。メディアの取り上げ方、世間の受け止め方によって違ってくるし、不正の内容や報道される順序、その他の要素によっても大きく変わってくる。謝罪会見を行うことが目的となってはならないのだ。

不正、不祥事等の危機の際には、まず記者会見を開くかどうかを考えるより、ステークホルダーと真摯に向き合い、実態の把握に努め、誰にどのように情報を発信し、対処するのが適切かを考えることが先であると強調しておきたい。

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