「前経営陣批判」の罠 現経営陣のネガティブ・バイアスを見分けよう

業績不振の企業経営者の多くは、前経営陣の負の遺産を(無意識的に)強調する傾向がある。歴史を紐解くと、新たな為政者は自らの正統性を主張するため、その前の時代を必要以上に貶めている。インタビューなどで経営陣と接する第三者として我々は、この精神構造を十分に割り引いて企業分析する必要がある。

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客観性のない、現経営陣の語る「負の遺産」

客観性のない、現経営陣の語る「負の遺産」

業績不振に陥っている企業の経営陣や経営企画部にインタビューすると、よく似た答えが返ってくる。それは前経営陣が残した「負の遺産」の強調だ。

経営陣へのインタビューは、企業分析の基本だ。

経営者といっても生身の人間である。彼らの認識している過去は客観的過去ではない。彼らが認識したい過去であり、「そうであって欲しい」という主観的な“過去”に過ぎない。

だからこそ、彼らの言説は鵜呑みにできない。

「前経営陣がトップダウン主義で現場に任せなかったので、人が育たなかった」とか、「前社長がワンマンで勝手に色々と決めていた」とか、「創業家社長が一貫性なく、コロコロと方針を変えていて会社の方向性が分からなかった」とか。

トップダウン型経営が、全て悪いわけではない。世界の成長企業の多くはトップダウン型経営だ。ワンマン経営者も少なくない。

コロコロと経営方針が変わるのは、環境変化への対応かもしれない。会社の経営方針が変わらないのは一般社員にとっては楽だ。しかし、会社の株主にとってみると、リスクの高い愚鈍な経営手法の可能性すらある。

「前経営陣批判」への甘い誘惑

「前経営陣批判」への甘い誘惑

経営に対する評価とは、光の当て方次第で変わる。

全ての企業経営は功罪を内包する。企業は球体ではなく、植木鉢のような非球体型の立体だ。球体は、上から光を当てても、横から光を当てても、影は円形だ。植木鉢は、上から光を当てれば影は円形だが、横から光を当てると影は台形(あるいは四角形)だ。

現経営陣は、都合の悪いことは、可能な限り前経営陣の仕業にしておきたい誘惑にかられる。意識的に、あるいは無意識的に、現経営陣は彼らがそうあって欲しい主観的な“過去”を語る。

企業の現状の「負」については、前経営陣の「負の遺産」であると。

ミュージカル『ウィキッド』の第二幕。ウィザード(魔法使い)は名曲『ワンダフル』で、こう歌う。

「皆の信じたことが『歴史』と呼ばれている。」

暗黒時代ではなかった中世

暗黒時代ではなかった中世

我々が学習する歴史は、現代の為政者やパワーエリートにとって、そうであって欲しい主観的な過去のコラージュだ。例えば、ルネサンスや宗教革命によって“啓蒙”された近代以降のヨーロッパ史では、中世は「暗黒時代」と教育されてきた。しかし、最近は中世の見直しが始まっている。

ウィンストン・ブラック氏の『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』(2021年平凡社)によれば、中世に対する悪評は、プロテスタントやルネサンス期の学者たちが、それまでのカトリックや為政者を低く貶めるために、ありもしなかった様々な偽の中世に関する書物を積極的に出版したことを、多くの史実を基に証明している。

我々のイメージする中世はどんな世界だろうか?中世の人々は地球が平らだと思っていた。中世の人は風呂に入らなかった。中世の教会は科学を抑圧していた。中世では何千人もの子供が十字軍遠征に赴き、そして死んだ。中世の医学は迷信に過ぎなかった。中世の人々は魔女を信じ、火あぶりにしたーーなどなど。

ブラック氏の上記書物では、我々が広く共有し、事実だと思っている中世のヨーロッパが、悉く後世になって作りだされた(一部は捏造された)フェイクだと主張されている。

真偽のほどは分からない。ただ、少なくとも、最近の史学では中世を「暗黒時代」と決めつけることは避けるようになっている。

一方的に我々が客観的「過去」と信じている中世ヨーロッパは、ルネサンス期以降の為政者やパワーエリートによって強烈に編集されている可能性が高い。ウィザードが歌った通り「皆の信じたことが『歴史』」なのだ。

士農工商、鎖国…。「創造された過去」を見破ろう

士農工商、鎖国…。「創造された過去」を見破ろう

おそらく、我が国の歴史、特に江戸時代も相似形だろう。

筆者は学生時代、江戸時代は「士農工商」の厳しい身分制だったことや、外国との通商を絶つ「鎖国」を行ったことが、教育された。

最近の教科書では、士農工商の記述が消え、鎖国についても制限がありながらも海外との交流が積極的に行われていたと、異なった評価になっている。

明治維新以降の政府にとって、自らの正統性を維持向上のため、直前の江戸期が好ましい時代であることは都合が悪かったのかもしれない。ヨーロッパの中世同様、筆者らが学生時代に教育された日本の歴史も、刻々と変容している。

その時その時の為政者やパワーエリートによる「過去の創造」は洋の東西を問わず、一般的に観察される現象だ。

企業分析を担う我々も同様に、「現経営陣による過去経営陣に対するネガティブ・バイアス」を常に意識して、インタビューや分析を進めていく必要がある。

現経営陣のインタビューをして、企業の現況の重大なヒントが得られたと思いこみ、ネガティブ・バイアス史観で分析を進めていっても、その帰結は写実的事実とはかけ離れたキュビズムの絵画となる。

数字で検証するしかない

当たり前の結論だが、ネガティブ・バイアスを見分ける方法は、一つ一つ数字で検証しながら、インタビューや分析を進めていくことだ。優しく見つめる感性と、数字で観察する理性、この二つの方法による仮説を相互に呼応させていくことで、あなたが分析している企業という植木鉢が、本当はどのような立体であるかが、必ず分かってくる。

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