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企業の採用活動にゴールデンタイムはやってこない~続く売り手市場で勝者となる道
現在は転職が売り手市場になっていると言われます。採用企業より転職希望者の方が少なく、転職希望者が優位に立っている状況です。有効求人倍率が1.0を超えているのが目安とされています。今回は、日本企業の採用活動のトレンドについて過去の経緯を踏まえながら考えたいと思います。
処遇改善 先送りしてきた日本企業
売り手市場となると、処遇の改善の検討を始める企業が増えてきます。この改善テーマの一つが賃上げ。賃上げして年収を上げないと採用上で競合したときに負けてしまいます。
転職エージェントも、賃上げを実施した企業を優先的に推進するに違いない。そうなると、事業計画に紐づく「人員計画」が達成できない。人員計画を立てた経営企画は人事部に達成できない理由を問う。すると人事部は「給料が安くて、選んでくれない」ことをあげてくる。
こうなると対策として、賃上げは前向きに考えざるを得ないことになります。こうした状況も賃上げを加速させる要因と言えます。ただ、日本企業は売り手市場でも賃上げなどの処遇改善を行ってこなかった。大手企業でも賃上げ率は2%前後で長く推移してきました。
どうしてそれでよかったのか。対策を講じる前に状況が変わってしまった。有効求人倍率が1.0を下回って買い手市場になり、処遇改善を先送りできたからです。
10年間隔で巡ってきた「売り手市場」と「買い手市場」
ちなみに有効求人倍率とは、求職者1人に対して何件の求人があるかを示す数値で、「就職の難度」の目安になる指標です。例えば、求職者100人に対して求人が200件あるとき、有効求人倍率は2.0倍となります。人手が足りず、多くの企業が積極的に求人募集をしているときは、有効求人倍率は1を上回ることになり、数値が大きいほど就職難度が低い=売り手市場にあることを意味します。
反対に、企業があまり求人を募集しないときには、有効求人倍率は1を下回ることになり、数値が小さいほど就職難度が高い=買い手市場となります。この売り手と買い手市場の行き来が10年スパンでありました。そこで企業は、売り手市場で採用が苦戦していても長くは続かない。だから賃上げを急ぐ必要はない、と考えるようになったのではないかと考えます。
景気と連動してきた有効求人倍率
有効求人倍率は、景気とほぼ一致して動いてきました。つまり、日本経済が10年スパンでリセッションを経験してきたということ。この動きを1980年代あたりからみていきましょう。
バブル経済と崩壊
バブル経済とも呼ばれた好景気の時期がありました。このピークは1989年の大納会。東京証券取引所の日経平均株価が、史上最高値の3万8957円44銭を記録しました。1986年12月に始まった景気拡大は37カ月連続。求人倍率も同期して急激に上昇し1.4倍を記録。空前の売り手市場となり、初任給が上昇しました。
全体的な賃上げも進みかけましたが、その後バブルは崩壊。景気が急激に下降すると有効求人倍率も急降下しました。1999年には0.48倍にまで下落し、就職氷河期と呼ばれる状況の買い手市場になりました。
この1990年代中盤あたりは新興系企業が積極的に採用を行い、急激な成長を遂げた時期と一致します。このときに当方はリクルート社に在籍していました。バブル期に1000人規模の採用をしていたのですが、リクルート事件の影響もあり、人員削減に近いことを行う状況になっており、採用は凍結に近い状況でした。
同様に大企業の大半は新規採用を抑制しました。そんな厳しい状況の1997年に楽天、サイバーエージェントなどのベンチャー企業が創業。すると、買い手市場を活用して果敢な採用活動を実施し、急成長を遂げていきました。当然ながら、この時期に処遇改善は行われない状況にありました。
回復基調の2003年前後
その後、景気が回復基調になってきたのはバブル崩壊から10年以上が過ぎた、2003年前後のこと。やはり、有効求人倍率は同期して上昇を開始。大企業が新卒採用の人数を大幅に増やしたことに加えて、第二新卒と呼ばれる入社数年の若手社会人を大量採用し始めました。
こうなると、売り手市場になり採用は苦戦することになります。企業は賃上げの検討を迫られる状況になりました。この時期に当方はリクルートエージェントにいましたので、転職市場のど真ん中で採用に苦戦する企業に対して処遇改善の検討を議論していました。採用活動でライバル会社に勝つためには基本給を上げる必要ある。そうした賃上げの推奨を、経営者や人事部に行った記憶があります。
リーマンショックと東日本大震災
ところが2008年に起きたリーマンショックや2011年の東日本大震災の影響を受け、有効求人倍率は再び大きく低下。一時、バブル崩壊後最低の有効求人倍率を下回る状況になりました。ここで再び買い手市場となりました。前回と同様に、新興系企業や採用で苦戦してきた業界で積極的な採用活動が行われた時期でもありました。
当然ながら賃上げの検討は先送りとなりました。このように日本の転職市場は年がら年中、人手不足であったわけではなく、タイミングによっては採用がしやすい時期もあったのです。ただ、この買い手市場の到来が賃上げの実施を阻んできたとも言えます。
景気悪化も買い手市場にならず
その後にアベノミクス政策で好景気になり、求人倍率は再び1.0を超え、売り手市場が続きました。このタイミングにも再び賃上げは議論されましたが、決断する企業は少ない状況でした。
すると、世界中で猛威をふるった新型コロナによって日本も経済が痛み、景気が下降しました。ところが、今度は転職市場は景気と必ずしも同期を取りませんでした。求人倍率が1.0を割らなかったのです。
買い手市場になる前に景気が上昇傾向になりました。帝国データバンクの調査によると、2023年度の正社員の採用予定について、採用人数が「増加する」企業が25.7%(前年度比0.2ポイント増)と、新型コロナ前の2019年度(23.4%)を上回り、4社に1社で増加する見通しとなりました。ここから先は求人倍率が上昇の一途になることでしょう。
少子化の影響で、日本は景気が悪化しても、買い手市場にまではならなかった。ですから、
「企業の採用活動にゴールデンタイムはやってこない」
と認識すべきです。企業が賃上げに賛同した背景には、こうした状況があったことを理解しておくことは重要です。
「5年で基本給2倍」掲げた日本酒・獺祭の蔵元
では、売り手市場が続く状況でどうしたらいいのか? 処遇改善で差別化が重要なテーマとなるでしょう。つまり、護送船団方式で業界の賃上げに合わせていたら、採用が出来ない。大胆な違いのある処遇を示す企業が増えてくると思います。
例えば、日本酒「獺祭」蔵元の旭酒造が大卒新入社員の初任給を月額21万円から30万円に大幅に引き上げました。5年で平均基本給を2倍にすることを目標に掲げ、プロジェクトをスタートしたことが話題になりました。
旭酒造は今回の件に関して「獺祭の価値の中心を担う製造メンバーが誇りを持ち、美味しさを追求し続ける酒造りの環境を作りたいと考えている」と説明。その一環として、今回の給与の引き上げを決断したとのこと。製造業の製造職も求人倍率が高く、違いを示す取り組みと言えます。
賃上げ以外の処遇でも差別化は可能
転職サービスを運営するエン・ジャパンの発表によると、転職前後の年収の変化に関する調査でも、賃上げに関して企業が意欲的になってきたことが明らかになりました。転職後の年収は2017年が中央値で22万円減っていましたが、2022年は7万円のプラス。企業の取り組みが大きく変わってきたことを示すデータです。
売り手市場の続く状況では、企業が差別化のためにも他社よりも早く、大胆な処遇を示すことが有意義な取り組みになります。しかし、賃上げを続けることができるはずはありません。他社が追随してくれば違いが示せなくなります。企業として賃上げ以外でも差別化できるものを探し続けていく必要があります。
例えば、転職サイトの調査では転職先を選ぶ際に重視したことで「新しいキャリアを身につけられる、成長が期待できる」といった項目が給与アップを上回っています。人材育成のプログラムの充実度合いや希望による社内異動の可能性の高さなども、転職希望者に会社を選んでもらう大きな決め手になると言えます。
社員の視点から、成長実感が得られているか
ここでポイントになるのはエンプロイーエクスペリエンス「EX(Employee Experience)」の向上を視野に入れた取り組みであることです。エンプロイーエクスペリエンスとは社内で遭遇するあらゆる体験・経験のこと。社員の立場に立った視点から成長実感を得られているか? が重要です。
例えば、スターバックスでは業務に関わる研修だけでなく、キャリアアップのために役立てて欲しいプログラムを外部のビジネススクールと提携して準備。自分で考えて学びの機会を得ることができる環境整備に取り組んでいます。
まだエンプロイーエクスペリエンスの向上を視野に入れた取り組みを行う企業は多くはないので差別化につながり、採用力を上げることにつながる可能性は高いと思います。もちろん、多くの企業が取り組むようになれば、採用上の差別化にはなりません。また、新たな取り組みを探す必要があります。ただ、こうした探索を繰り返すしか、売り手市場で採用上の勝者になる道はないと思います。企業は知恵を絞り、採用活動に取り組んでいただきたいと願います。
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