「新(ニュー)」の奥にあるもの

薄暮が訪れ、キャンプファイアーが始まる。井桁の火を囲んで口ずさむのは『遠き山に日は落ちて』。ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』の第2楽章だ。題名の新世界とは、アメリカを指す。大航海時代に新しく発見された新世界、新大陸だ。

新大陸を発見したのは、コロンブスとも、アメリゴ・ヴェスプッチとも言われている。どちらでも構わない。本論考で重要視することは、「新大陸」という呼称が抱える脆さであり、構造主義的に見た平衡性の欠如である。

アメリカは、先住民族が遥か昔に発見していた土地だ。これを後から再発見しただけの“偉業”は、西欧中心主義による幻想だ。2015年にThe Huffington Postに掲載された『Americans Are Split Over Whether Columbus Deserves A Holiday』という記事によれば、アメリカ国民の38%の人が新大陸発見のコロンブス・デーを祝うことに反対している。

「新世界ワイン」とは

ワインの世界でも、20世紀後半ぐらいから「新世界(ニューワールド)ワイン」という呼称が一般化した。旧世界は、フランス、イタリア、スペイン、ドイツなど。新世界は、南アフリカ、アメリカ、チリ、オーストラリア、ニュージーランドなどを指す。

フランスなど旧世界の専門家にとって、南アフリカやアメリカのワインは長い間、正当な評価の対象ではなかった。最近「発見」した、“意外とイケる”ワインだった。

実は、南アフリカやアメリカなど「新世界ワイン」は数百年の歴史を持つ。20世紀後半に急に醸造され始めたわけではない。

1976年に行われたアメリカとフランスワインのブラインド・ティスティング対決。味や香りの点数評価でアメリカワインが圧勝し、フランスの有名シャトーやドメーヌは一敗地に塗れた。「パリスの審判」と呼ばれるこの“事件”は、今もワイン愛好家ではよく知られている。

新大陸は「新しい大陸」ではない

新大陸は新しい大陸ではなかった。西欧人が知らなかっただけだ。新世界ワインも同様だ。フランスやイタリアの専門家が知らなかっただけだ。「新●●」や「ニュー●●」という言葉には、西欧人を中心とした既成概念保持者や既得権益者らの香りが漂う。

西欧知性主義の頂点は、フランス実存主義者のサルトルだったと言える。知識人は積極的に社会参加し、新世界を築くべきという主張だ。
これに対し、文化人類学者のレヴィ=ストロースは、構造主義の視点で「簡単に社会は変わらないし、新世界なんてないよ」という論陣を張り、サルトルはこの論争でコテンパンに負けた(と言われている)。

西欧知性主義の視座は短期的で、その時その時の流行を追う。一方、レヴィ=ストロースの『野生の思考』などの著書には、視座の時間軸の長さがある。彼は西欧人でありながら、アメリカ先住民族の神話研究を通じて、西欧人の無知蒙昧や傲慢を明らかにした。

我が国で連日連呼されている「ニューノーマル」や「新しい生活様式」という言葉は、視座が一次元的だ。西欧知性主義的香りもする。レヴィ=ストロースは残念ながら2009年に没しているが、存命ならば今の日本をどう表現しただろうか。

1個39,000円のビッグマック

遠い過去のことは正確性が担保できないので、戦後に絞って先人が乗り越えてきた「ニューノーマル」を考えてみよう。

例えば、インフレ率。戦後1945年10月から49年4月までの3年6か月の間に、消費者物価は100倍となった。現在マクドナルドのビッグマックは1個390円だが、それが3年6か月で1個39,000円になる世界は想像できないだろう。

戦後は特殊過ぎる時期かもしれないので、オイルショックの時はどうだったろうか。消費者物価は1973年に12%、74年に23%上昇した。1個390円のビッグマックが2年で537円になる世界だ。物価同様、人々の賃金も年率20-30%で急上昇し、企業収益を圧迫した。

急激な物価変化や賃金上昇というニューノーマル。我々の先人が敵前逃亡せず、歯を食いしばって対応したからこそ、現在の日本経済がある。

サザエさん一家を消した「ニューノーマル」

女性の社会進出によるニューノーマルは、1986年に施行された男女雇用機会均等法で加速した。サザエさん一家のような家庭が減少し、二人世帯や単身世帯が急増した。消費関連企業は、日本の平均的家庭像の消失というニューノーマルに対応するため、業態変更や設備投資を積極的に行った。

「Black lives matter」も同様だ。アメリカでは1865年に南北戦争が終わって奴隷制度が廃止されたが、その後も黒人差別は苛烈を極めた。白人女性に気軽に話しかけただけで黒人が殺される事件も発生した。1964年の公民権法後の世界は、全くのニューノーマルであり、ニューワールドだ。オバマ元大統領の登場がニューノーマルの証左だ。もちろん、この問題が依然として色濃く残っていることも悲しい事実であるが。

イデオロギー対決と冷戦の終了も、ニューノーマルをもたらした。1990年代、東欧や中国など多くの低廉労働力を抱える国々が資本主義に連結された。従来の先進国では、工場が国外移転され、移民が急増し、企業が多国籍化した。各国政府は新しい制度設計を行い、株式市場や為替市場は投資機会を狙った。グローバル企業の成長や、所得の格差が副産物として生まれた。

9.11直後のニューヨーク便はガラガラだった

数十年の歴史を振り返るだけでも、人権、人種、イデオロギーの変化によるニューノーマルは度々発生し、我々の先人はその波を泳ぎ切った。上記の変化に比べて、今の変化は極端に大きなものとは思えない。

アジアやアフリカの発展途上国から見ると、今回のコロナウィルスの流行は日常の範囲内なのかもしれない。日本でも戦前は結核による死亡者数が10万人当たり年間200人前後(人口1億2000万人で計算すると毎年24万人死亡)に達していた。当時のコンテクストから考えて、現在のコロナ禍はどうだろうか。

破壊的ニューノーマルは、9.11テロだ。人々は飛行機に乗ることを極端に恐れ、エアライン会社は大打撃を受けた。当時、外資系証券会社の部長職をしていた筆者に対し、ロンドン本社のヘッドから指令が来た。「まずは部長が率先して飛行機で出張し、部下に示せ。日常を取り戻せ」と。家人は泣いたが、筆者は事故直後の2001年10月にニューヨークへ向かった。機上はほぼ空席だった。

「リモートのイドラ」から出でよ

イギリスの経験論哲学者であるフランシス・ベーコンは、人間の先入的謬見を4つの「イドラ」で説明した。この中で、「洞窟のイドラ」は、狭い洞窟の中から世界を見ることで生じる各人の誤った考えを指す。我々はリモートという閉じた自己の「洞窟のイドラ」からコロナ禍を不正確に観察してしまってはいないだろうか。

コロナで経済基盤を失っているのは低所得者層だ。筆者の知人で、60代の寡婦がいる。夫を癌で失くした彼女は、生きるため還暦を超えて初めて、地方都市でタクシードライバーとなった。生活のためリモート勤務は選択できず、自粛期間中もハンドルを握った。

リモートで生活できる人は、筆者も含めて恵まれた人たちだ。ニューノーマルという言葉に隠されているのは、格差問題ではなかろうか。

恵まれた人ほど、「リモートのイドラ」から脱出しよう。恵まれた人ほど、しっかりと安全対策をして、日常を取り戻そう。社会的動物である我々(特に恵まれた人)がすべきことは、集うこと、社会を作ることだ。

触れ合いの欲求

ミュージカル『CATS』で老猫・グリザベラが歌う名曲「メモリー」。元娼婦というだけで忌み嫌われていた彼女が絞り出すように歌うこの歌は、「お願い私にさわって」(注)というサビで盛り上がりを見せる。
ミュージカルの鬼才アンドリュー・ロイド・ウェバーは、老猫・グリザベラが天に召される直前に、この「メモリー」を歌わせる仕掛けをした。死期を感じた老猫が発した“触れ合いの欲求”は、コロナ禍の我々に意味深長なメッセージを送っている。

注 「メモリー」ミュージカル「CATS」より、日本語詞浅利慶太

 

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