コロナ渡航制限下のシンガポールとM&A

シンガポールは、新型コロナウイルス(COVID-19)対策として、厳しい行動制限であるサーキットブレーカー(以下、CB)措置を経て、ここまでのところ経済活動の制限緩和と市中感染の抑え込みを両立させたように見える。長引く渡航制限や徹底した感染対策が生む経済や実務への影響、M&Aにおける示唆を整理する。筆者の見立てでは、1-2年後には、ローカル化されたM&Aが一挙に増えるとみている。

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シンガポールの徹底的な予防対策

シンガポールはSARSの記憶もあり、また小国で感染爆発となると取り返しのつかないこともあってか、COVID-19対策における徹底度合がよく取り上げられる。同居人以外との接触が制限されていたCB期間中にマスク着用せず恋人や友人に会いに行った女性や、友人宅で食事しSNSに画像をアップした男性が検挙され、更に有罪なら6か月未満の懲役かSGD10,000(約75万円)の罰金またはその両方が課されることになる。

また、5月に川沿いのレストランエリアであるロバートソンキーで、外国人7名が集まって飲食していたとして摘発され、罰金の他、PR保持者以外は労働ビザの取り消しとなった。
他、CB期間中、合計140名の外国人の労働ビザが取り消しとなっている。Phase2以降はこういった報道を目にすることは減ったが、正直に言えばウイルスより政府のほうが脅威と感じる面もある。
7月以降、日本からの新任駐在員の赴任も再開されているが、CB期間中の政府の姿勢を知っている身からすると、知らずに違反してしまう人が出るのではと懸念している。

シンガポール、コロナをめぐる経緯


写真説明:マスク着用が義務付けられているので、マスク文化のないシンガポールでも、みな着用している

シンガポールは当初COVID-19対策の優等生とされたが、3月に欧米からの帰国者中心の症例が増加し、4月初旬からCB措置(ソフトなロックダウン)が発動。また外国人労働者向けドミトリー(相部屋宿)での感染拡大もあり、感染者が一気に増えた。なお、筆者も本稿執筆中に初めて気づいたのだが、最初のドミトリーケースが確認されたのは2月9日とかなり早期であった(当時はそのような区分での公表はまだなかった)。4月に入り突然増えた印象を持っていたが、水面下で広まっていたようだ。

CB措置の効果もあり6月下旬から緩和の「Phase2」と呼ばれる措置に移行し、ビジネスや小売・飲食店を限定的ながら開放しつつ、8月に入り市中の新規感染者が「0」となる日も出ている。

「Phase2開始後に新規感染者が増加し、またCBに逆戻りする」、あるいは「7月の総選挙で与党が勝った後に逆戻りする」といった評もあったものの、ここまでのところ抑え込みとの両立を果たしていると言える。

いずれが最も作用しているかは不明確だが、Phase2における予防策として以下のような行動制限が導入されている(徐々に緩和されている点に留意)。

シンガポールの現在の感染対策



写真説明:消費意欲の強さと、各店舗の入店人数制限が相まって、高級ブランドには行列ができている

●マスク着用:マスク無しで外出した場合、罰金が科される。ただし30回洗
 濯・使用可能なマスクが無料で居住者に配布された(筆者も受け取った)。
 シンガポール人はマスクをする文化が無いので戸惑っていたが、今や全員着用
 している。

●人数制限:基本的にSocial gathering・店内飲食は5人までで、自宅に呼ぶ場
 合は居住者と+5人まで。面積によってオフィスや店舗内に入れる人数は制限
 される

●Safe Entry:あらゆる建物に入る際に、QRコードでアクセスし個人情報(個
 人IDと電話番号)を登録するシステム。受け入れ側もシステムに登録の上、
 QRコードを常備(印刷して入口付近に提示)しなければならない。また検温
 とセットである

●営業時間制限:商業施設や飲食店は22時30分で閉店が義務付けられている

●入国者:入国時の検査は当然義務で、全ての入国者は自宅あるいは政府指定施
 設での14日間の隔離(指定された高級ホテルで14日間過ごせてしまうケース
 もある)

●その他:オフィス等でのセーフディスタンスの徹底も求められており、省庁か
 らの見回りも随時行われているようだ。また、クラブや、飲食店の屋外席で
 音楽を鳴らすことには、制限がある

上記のような措置は、外出が強く制限されていたCB期間中や緩和Phase1に比べれば自由度が高くなったと感じるし、実際に全員マスク着用ながら繁華街にはかなり人が戻っている。ハッピーアワーを楽しむオフィスワーカーもよく見るし、リトル・マニラと呼ばれるラッキープラザや、リトル・ヤンゴンのペニンシュラ・プラザでは、あまりの人出に週末の入館制限が出るようになった。まだ6月までの統計しか公表されていないが、7月以降、消費は前年度比で相当程度戻るのではないか。

筆者も在宅勤務を続けている。出勤してもオフィス入室までにSafe Entryが3回必要、人数制限、マスク着用、1日2回の検温など、煩わしさや、知らずに違反してしまっていた場合のリスクへの懸念が勝る。
近所の建築現場はまだ再開できていないようで、騒音も無く平穏に稼働できている。だが、9月以降、ドミトリーに入っている外国人労働者が稼働できるようになると、これまで通りにはいかないかもしれないと懸念している。

渡航制限はしばらく続く


写真説明:いかなる施設への入場にもQRコードへのアクセスと情報入力が求められる

2020年8月13日に茂木敏充外相はシンガポールを訪問し、9月以降、ビジネス上必須な出張者向けのビジネストラック、長期滞在者向けのレジデンストラックそれぞれにおいて、両国間の往来緩和を取り決めていくことを合意した。
コロナ後のアジアで初の外相の訪問先となり、またシンガポールでも初の外国高官の受け入れとなるなど、ビジネス関係の再開に強い意欲が感じられる。

感染者増を受け、日本からの渡航者(長期滞在者)は7月中旬以降、入国後に「自宅での14日間の自己隔離」から「政府指定施設での14日間の隔離、コスト負担あり」と一歩後退したばかりだったので、在住者視点では驚きを持って受け止めた。

シンガポールでは更に、8月17日より通勤者もいるマレーシアとの間で相互渡航が認められるようになる、9月以降ブルネイとニュージーランドを対象に観光含め帰国時の14日間の隔離も不要となるなど、渡航制限は緩和の方向に進んでいる(ただしブルネイとニュージーランドはシンガポールへの入国が緩和されるのみで、両国の受け入れが同等になったわけではない)。

「緩和Phase3」は、「ワクチンができてから」開始とされている。ワクチン開発完成の目途が立たない中、Phase2は長期化することが見込まれる。
渡航制限についても、従来のような自由さが戻るにはまだ時間が必要だろう。

シンガポール経済への影響は甚大

感染を抑えているとはいえ、2020年4月~6月のGDPは年率換算で42.9%減、2020年通期では5~7%減(従来は4~7%減とされていた)が見込まれている。
4月~6月はCB期間のためこの期間だけ切り取れば相当の被害に見えるが、通期ではある程度回復が見込まれているようだ。
またドミトリーの外国人労働者への検査や、体制作りもようやく8月で一巡し、徐々に建設現場も再開されている。
ただし、シンガポールは開放経済であることが基調にあるため、渡航制限が緩和されない限り苦しい時期が長期化するのではと見る向きもある。

M&Aへの影響

このような状況下であれば、当然M&Aの動向や実務にも影響が出てくる。弊社で観察される範囲で、最近の傾向を挙げてみたい。

買手の動向①新規進出は壊滅的:さすがに一度も訪れたことのない国の企業を買収するほどの向こう見ずな買い手はおらず、渡航制限解除とならないと進められない企業は多い

買手の動向②進出済み企業は意欲旺盛:反面、既に一定の事業基盤・現地法人が各国に存在する企業の場合、M&A意欲への影響は無い。会議中にコロナの話題が一言も出ないこともある。タイやベトナムといったほぼ収束させた国では直接面談やビジットも行われている(インドネシアではまだ直接面談は避けられている)

PEファンドは万国共通:売却プロセスの遅延や延期、またポートフォリオ企業が被る影響への対処にリソースが必要となるなど、シンガポール特殊と言うより、どの国でも起こりうる影響を受けている

オーナーのセンチメント: CBもあり2020年の業績は確実に悪いので、1-2年後の回復した時点にValuationの基準を持ち越そうとする意向や、コロナにより「Life is short」であることを再認識し早期に自分の人生に向き合うべくリタイアを早める意向がある。リーマンショック後に世界的に承継案件が増えたことも踏まえると、今回の危機後にも売却ニーズが増加すると見込んでいる

エグゼキューションは遠隔中心:DDは以前よりVDRや電話会議の活用が多かったが、マネジメントインタビューや初回面談がウェブ会議で行われることも珍しくなくなってきた(渡航制限下でやむなく行われている面もある)

ただし、さすがに1度も直接面談やサイトビジットが行われないままクロージングに至った例は無い様子である。シンガポールでは物理的な面談も5人上限、セーフディスタンス確保等あれば可能ではあるが、積極的には行われていない印象である。

M&Aの検討機能はローカル化

上記を踏まえると、自由な渡航が従来のように戻る見通しが立たない中では、日本本社主導であったM&Aの検討機能が各国・地域にローカライズされる、あるいはそうならざるを得ないのではないかと見ている。
経済の動向、ひいてはValuationで参照できる予測数値が固まるであろう2021年頃には、オーナーのセンチメントも相まって売却ニーズは増大するだろう。そのタイミングが来るまでに、日本企業が市場を理解した上でスピーディに動くことができれば、よりよいM&Aの機会をつかむことができるだろう。

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