「東京の景色」を変えた規制改革~国・都・区の三重の壁を乗り越えた「東京特区」

先日開業した「麻布台ヒルズ」を始め、「虎ノ門ヒルズ」「東京ミッドタウン日比谷」「高輪ゲートウェイ」「TOKYO TORCH」「東急歌舞伎町タワー」――。

数々の大規模プロジェクトは、短期間で「東京の景色」を大きく変えた。
この背景には、国家戦略特区の「都市計画ワンストップ特例」という規制改革が大きく貢献している。内閣府主導の下、国・都・区・事業者を「一体化」させる仕組みだ。

23区中、対象地域がわずか9区のみという異常事態からスタートした「東京特区」。国・都・区を巡る幾つもの「対立」や「分断」を乗り越えて、今や都内全域・全分野で様々な規制改革が実現。大きな経済効果を生み出している。

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9年前「突如同時に」登場した都心の巨大プロジェクト群

9年前、「突如同時に」登場した都心の巨大プロジェクト群

11月24日に開業した「麻布台ヒルズ」。

先行内覧会に出席した私は、日本一の高さ(330m)となった森JPタワーの52階から、東京タワーと並んで屹然とそびえ立つ超高層ビル群を眺めながら、9年前に作成した一枚の資料を思い出していた。

それが、こちらである。

東京圏国家戦略特別区域計画
出所:東京圏 国家戦略特別区域計画(素案)

2014年10月1日。
内閣府で地方創生担当だった私は、この資料を、「特区会議」と呼ばれる政府の会議(第1回東京圏 国家戦略特別区域会議)の場で、担当大臣や東京都知事らの出席者に説明していた。

一見すれば分かる通り、これは東京都内を中心とした幾つかの開発事業を書き並べた一覧表だ。

9年前のこの時点では、まだそれぞれに名称はないが、よく見ると、これらが「虎ノ門ヒルズ」「東京ミッドタウン日比谷」「高輪ゲートウェイ」「HANEDA INNOVATION CITY」などといった、ここ数年間で「東京の景色」を大きく変えた、数々の大規模な都市再生プロジェクトを示していることが分かる。

そのほかにも、数年後に「麻布台ヒルズ」を抜いて日本最高(385m)となるTORCH TOWERを中核とした「TOKYO TORCH」を始め、「Otemachi One」「東京ミッドタウン八重洲」「有明ガーデン」、さらには後述する「東京ポートシティ竹芝」「東京ワールドゲート・神谷町トラストタワー」など、ここには多くのプロジェクトが挙げられている。

言うまでもなく、これらは単なる「高層ビルの建築事業」ではない。職住隣接を実現すべく住居・オフィス・商業・観光・生活文化といった多くの機能を併せ持つ「麻布台ヒルズ」に代表されるように、「新しい総合的な街づくり」を目的としたプロジェクト群だ。

「都市計画ワンストップ特例」が成否のカギに

「都市計画ワンストップ特例」が成否のカギに

重要な点は、これらが「初めて」「突如同時に」政府に提案・公表されたのが、9年前のこの「特区会議」という場であったこと。

そして、その後わずか数年間というこれまでにないスピード感で着工され開業に至った、という事実である。

なぜ、そのようなことが可能となったのか。その答えが、一つの「規制改革」の仕組みであったことは、あまり知られていない。

「国家戦略特区法」の第21条に盛り込まれた国家戦略都市計画建築物等整備事業、いわゆる「都市計画ワンストップ特例」と呼ばれる規制改革項目(メニュー)が、これら多くのプロジェクトに適用され、短期間で「東京の景色」を大きく変えてきたのである。

本稿では、特区法上の、言わば大ヒット商品となった、この「都市計画ワンストップ特例」のポイントについて解説する。

また関連して、「東京特区」を巡り、当初「分断」され、時に「対立」していた国と東京都、東京都と23区の関係についても、併せて言及したい。

大手ディベロッパーが抱えていた悩み

大手ディベロッパーが抱えていた悩み

前稿でも述べた通り、「規制改革の断行」を政策の柱に掲げていた安倍政権の下、国家戦略特区法は、2013年の12月に成立した。

そして翌2014年3月には早速、東京圏(東京都・神奈川県・千葉県成田市)や関西圏(大阪府・京都府・兵庫県)を始めとする6カ所の指定区域が決定された。

国家戦略特区の目的の一つは、東京を中心とする「大都市圏のビジネス拠点化」であった。世界中からヒト・モノ・カネを呼び込み、医療や教育といった生活面も含め、大都市を一層働きやすく住みやすくする――というコンセプトだ。

すでに東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まっていたこともあり、三井不動産、三菱地所、森ビル、住友不動産、東急不動産、鹿島建設などの大手ディベロッパーは幾つもの大規模プロジェクトを準備していた。

しかし、彼らは大きな悩みを抱えていた。それは、大規模開発事業の前提となる「都市計画」が決定されるまでに、とにかく時間がかかる、ということだった。

「都市計画」とは、法律(都市計画法)に基づき地方自治体が作成・決定する、言わば「街づくりの設計図」だ。そこには、開発に際しての、土地利用、施設整備などに関する詳細なプランが盛り込まれる。

民間事業者は、東京都23区内で事業を行う場合、東京都ないし各特別区が作成・決定主体となる「都市計画」がなければ、着工にたどり着くことができない。

そもそも、事業者からの提案を受けて、自治体に「都市計画の原案」を作成してもらうまでが一苦労だ。

また、「原案」ができた後も、公告・縦覧手続きに入る前に、都は区と、区は都と意見調整を行う必要がある。また都の計画であれば、国(国交省)との調整も行わねばならない。

「国(内閣府)主導」による都市計画決定プロセスの簡素化・加速化

「国(内閣府)主導」による都市計画決定プロセスの簡素化・加速化

ディベロッパーは、こうした「都市計画決定までの関係者間の煩雑な調整プロセス」に頭を抱え、焦っていた。

こうした中で、彼らのニーズに応えたのが、国家戦略特区の「都市計画ワンストップ特例」だったのだ。

その特例の内容を一言で言えば、これまで「自治体だけ」が時間をかけながら行ってきたプロセスを、「国(内閣府)の主導」の下、国(内閣府)、自治体(都・区)、民間事業者が「一体的に」取り組むことにより、手続きを大幅に簡素化し、進捗を加速化させる、というものであった。

ポイントは、国家戦略特区制度の「特区会議」という仕組みの活用だった。

冒頭紹介した「大規模開発プロジェクトの一覧表」が提出された会議である。

構成メンバーが国、地方自治体、民間事業者の3者である「特区会議」は、プロジェクトの関係者全員がまさに一堂に会する場であった。

したがって、この会議を最大限活用して、都市計画の原案作成や公告・縦覧手続き、さらには「容積率の緩和」等も含めた全体計画(特区計画)の決定などを、まさに「ワンストップ」で進めてしまおう、というのが「特例」の内容だ。

大幅な手続き簡素化という「規制改革」による事業のスピードアップである。

「目標時期」の設定 これまでにない手法の採用

「目標時期」の設定 これまでにない手法の採用

そのために、もう一つの重要な手段を講じた。

冒頭の「プロジェクト一覧表」を思い出していただきたい。一番右に、「都市計画の決定等の目途」という欄がある。

「ワンストップ特例」では、これまでの都市計画プロセスにはない「目標時期」、すなわち「手続きの終了までの期限」を定めたのだ。

「目標時期」の設定は、スピードを重視する規制改革行政においては、一般的な手法である。これを都市計画の世界にも公式に取り入れることで、従来のプロセスに要する期間を大幅に短縮することができた。

実際の効果として、これにより、通常2~3年はかかっていた都市計画決定手続きが、1年もかからない期間に短縮された、とも言われている。

内閣府が都市計画の原案作り 前代未聞の歴史的会議

内閣府が都市計画の原案作り 前代未聞の会議

さて、「大規模開発プロジェクトの一覧表」は、その後どのように扱われ、それぞれのプロジェクトの実現につながったのだろうか。

これが提出された「特区会議」から3週間後。10月21日の「特区会議の分科会」(第1回東京都都市再生分科会)は、前代未聞の歴史的な会議となった。

なぜなら、本来、国も事業者も入らない「都市計画の原案作成事業」に、国、それも都市計画法を所管する国交省ではなく「内閣府」が、民間事業者とともに初めて参画した会議だったからである。

この歴史的会議では、「東京ポートシティ竹芝」「東京ワールドゲート・神谷町トラストタワー」の二つの事業が取り上げられた。

これを皮切りに、「ワンストップ特例」の適用対象となる「都市計画」については、①分科会での原案決定②特区会議による公告・縦覧③特区会議での合意、という一連の流れが確立したのである。

その後東京都内の約40件ものプロジェクトが、この特例の適用を受け、着工・開業に至っている。その中には、冒頭の「一覧表」には登場しなかった「東急歌舞伎町タワー」なども含まれている。

「都市計画ワンストップ特例」という一つの規制改革の仕組みが国家戦略特区における大ヒット商品となり、「東京の景色」を変えた。その経済効果は全体で20兆円を超える、とも言われている。

「東京特区」は23区中9区のみ 波乱のスタート

「東京特区」は23区中9区のみ 波乱のスタート

しかし、「東京特区」は、何もかもが順調だったわけではない。そのスタートは波乱に満ちたものであった。

前述した通り、2014年3月に6カ所が特区指定されたが、東京都の指定範囲については、何と全域ではなく、23区中わずか9区のみ、だったのだ。同じく東京圏として指定された神奈川県や関西圏の大阪府・京都府・兵庫県などは、みな全域指定されていたにもかかわらず、である。

当然、我々内閣府としては、東京都に対し全域指定を要請したが、彼らは決して首を縦に振らず、両者の対立は深まっていった。

なぜ、このような「異常事態」が生じたのだろうか――。

指定された9区とは、千代田・中央・港・新宿・文京・江東・品川・大田・渋谷の各区であった。

ここでもまた、冒頭の「都市再生プロジェクトの一覧表」を思い出していただきたい。

そう。指定された9区は、あの表に登場するプロジェクトの実地区域と、おおむね一致するのである。

特区において民間事業者や自治体が活用できる規制改革メニューは、「都市再生」の分野に限られるわけではない。当初から、医療、福祉、教育、労働など、幾つもの分野における様々なメニューが用意されていた。

驚くほど希薄だった東京都と23区の関係

驚くほど希薄だった東京都と23区の関係

恐らく、当時の東京都の特区担当幹部が国交省からの出向者だったこともあり、例の一覧表にあるような都市再生案件のみに固執するあまり、その他の分野の担当部局との調整などがうまく進められなかったのであろう。

また当初から、東京都と23区の関係も、驚くほど希薄であったことも一因だった。

内閣府の有識者会議(ワーキンググループ)で9区の担当者を呼んでヒアリングを行う機会があったが、東京都との情報共有がほとんどなされていない、と感じられることが度々あった。

指定された9区ですらそのような状態だったということは、それ以外の地域は東京都と没交渉に近い関係だったのではないか、とも想像できる。

その後、新型コロナウイルス流行時に「東京都と23区との連携の悪さ」が指摘されていたが、私の中では、さもありなんであった。

特定の地域・分野に限定されない規制改革が重要

特定の地域・分野に限定されない規制改革が重要

9区のみ指定という異常事態は長くは続かなかった。内閣府は全力を挙げて、東京都の全域指定に向けた取り組みを進めた。

東京都の新任の特区担当幹部の多大なる協力もあり、約半年後の8月には、「23区全体」と「多摩地域・島嶼部」も含めた、東京都全域の指定にこぎ着けた。

その後の「東京特区」はまさに都内全域から、斬新な「東京発・全国初」の規制改革提案がなされ、それらが次々と実現していった。

年間営業日数等の面で制約の少ない「民泊の解禁」(大田区)、起業に必要な各種申請(定款認証、登記、税務、保険等)の窓口を一カ所に集約した「開業ワンストップセンターの設立」(港区)、「都市公園内での保育所の設置」(荒川区)、「製造数量要件の緩和等の酒税法の特例」(多摩地域・島嶼部)などがその代表例である。

規制改革は、そもそも「特定の地域」や「特定の分野」に限られてはならない。

あくまで「全ての分野での、全国一律の規制改革」が目指すべき方向であり、その意味では、地域を限って改革を行う「特区制度」ですら「セカンドベスト」であることを忘れてはいけない。

当初9区のみだった東京特区の例を見れば分かる通り、国・自治体を問わず役人というのは、改革の範囲を地域も分野も、狭く絞りたがるものである。

なぜなら、既得権者との関係性を重視するあまり、彼らはどうしても、新規事業は原則禁止との発想に立たざるを得ないのだ。

しかし、言うまでもなく、ビジネスは「原則自由」である。

全ての分野において、民間事業者から行われた全ての提案を網羅的に実現する方向で、国や自治体は取り組まねばならない。

なぜなら、何のビジネス経験もない役人が、どの分野のどの提案項目が経済成長につながるとかつながらないとか、そんな予想や判断ができるはずはないからだ。

国・自治体・事業者が一体となって規制改革を

「東京特区」は、少なくとも「都市再生」の分野では、「ワンストップ特例」という規制改革の仕組みを最大限活用して、驚くほど大きな経済効果を生み出しつつある。

まさに、国・都・区という「三重の壁」を乗り越えた結果である。

事業者の提案を受けて、都市再生以外のあらゆる分野でも、これから「国と東京都」ないし「東京都と区」が常に一体となって規制改革に取り組んでいくことができれば――。

東京はその「景色」だけでなく、真の意味で日本経済を、いや世界経済を、永久にリードする存在であり続けるだろうと、私は信じて疑わない。

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