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「匿名性」の魔力~匿名性が経済活動にもたらすもの~
「匿名性」は人を攻撃的かつ積極的にする。匿名性は功罪両面を持つが、適切に制御すればリスク選好の高まりを通じた経済活動へのプラス面も期待できる。地方からの上京者、海外からの移民は、過去のしがらみのない社会空間で積極性の高い経済活動を行うことが可能だ。実際、アメリカの大手500社のうち45%が移民あるいは移民の子が創業した企業となっている。
人間は共同体との引力と遠心力を同時に欲する
人間は異なるベクトルの欲求を同時に抱える傾向がある。
たとえば、共同体との関係性が好例だ。我々は、自己と共同体との引力と遠心力を同時に追求してしまう。
人間は一人では生きられない。多くの動物は生後間もなく一人で立ち上がる。しかし、人間は親を含めた共同体による数年間にわたる世話を経て、やっと初期的な独り立ちをする。
多くの動物では繁殖期を過ぎた個体の寿命は短い。共同体を必要とする人間は、生殖能力が衰えた後も、共同体形成という役割を全うするため、長寿が許されているのだろう。
人間は共同体に生まれ、共同体で生きる。つまり、共同体は人間の存在にとって欠くべからざる前提条件なのだ。
しかし、同時に共同体は息苦しいものでもある。
匿名性のある社会での「内的自己」の解放が必要
近代西欧の個人主義は、共同体からの自立がテーマだ。血縁・地縁による共同体を前近代的なものと捉え、共同体から自立した個人こそが時代を前に進めるという発想だった。
この思想は19世紀以降の都市化を促進した。地方や農村は前近代的な共同体と認識され、若者は「共同体からの自立」というストーリーを自己投影し、都市の労働者となった。
結果として、共同体から自立した彼らは「匿名性」を獲得した。匿名性は、共同体内では得られない道具だった。
我々の精神性は精神分析学者の岸田秀氏の言葉を借用すれば、「外的自己」と「内的自己」で成立している。前者を外面(そとづら)、後者を本音と言ってもよい。
自分の事が広く認知された共同体では、我々は外的自己(外面)を生き、内的自己(本音)を抑圧する。内的自己(本音)が過剰に抑圧されて外的自己(外面)との同一性が欠落すると、精神障害のリスクが高まってしまう。
匿名性は、内的自己の解放のために必要なのだ。精神科医・フロイトの多くの患者が貴族階級の婦人だったことは、内的自己の解放機会の欠如と無関係ではないだろう。
「見知らぬ土地へ行く」「バーで酒を飲む」「カラオケで叫ぶ」「クラブで踊る」「フェスで跳ねる」……。
匿名性のある社会空間での内的自己の発露は、外的自己との同一性の回復に必須なのだ。
匿名性は人を残酷にする
ただし、内的自己の取り扱いは簡単ではない。
内的自己は、本能による「リビドー」(フロイトの言う狭義の性的衝動だけでなく、ユングの言う広義の衝動)と同期しているからだ。
これは、匿名性の高い都市では内的自己が氾濫し、道徳的規律が守られないという単純な話ではない。内的自己をコントロールする困難性は、都市でも田舎でも同様なのだ。
三浦展氏の著書「ファスト風土化する日本」によると、田舎で突如出現するモールや商業施設は匿名性の高い空間を提供する。そこでは、都市よりも高い犯罪率が観察されるという。
都市の人間は匿名性に慣れている。地方の人が不慣れな匿名性を急に獲得すると、内的自己の制御が困難になり、非道徳的行動が表出するというのが三浦氏の分析だ。
山口勧氏は論考「恐怖喚起と匿名性が攻撃行動に与える影響について」の中で、匿名性と攻撃行動の連関を示した。第三者に与える電気ショックのレベルを、被験者が選択する実験だ。
被験者と第三者の間の匿名性が高い場合の方が、被験者が選択する電気ショックのレベルは高位だった。つまり、人間は匿名性を獲得すると、より攻撃的で残酷になったとしているのだ。
匿名性が経済を活性化させる可能性
しかし、匿名性は必ずしもネガティブではない。攻撃性は「リスクを取る能力の高さ」でもあり、法的あるいは道徳的逸脱をしない限りにおいて、経済活動において有用になり得る。
地方出身の筆者も大学入学と同時に上京し、匿名性を獲得した。自由と孤独がないまぜになった状態だ。地方から上京する人はおおむね同じ境遇に陥ると推測する。
また、匿名性は大胆な行動を可能とする。
日本経済の成長率と東京の人口増加率に正の相関があるが、匿名性を持った人間の流入と経済の活力には関係があるのではないだろうか。
人口の東京集中は是正すべきものという考えが常識化しているように見える。
ただ、地方出身者が上京した際に獲得する匿名性が生み出す活力が看過されている可能性はないだろうか。
メタバースもこの文脈で見ると興味深い。日本人の多くはメタバースでは本名を名乗らない。究極の匿名性空間であり、リアルとは異なる経済刺激効果もあり得る。
「東京」という匿名性を持った社会空間で生を営んできた人間が、「地方」という非匿名性空間への移住で感じる抑圧感は小さくない。地方移住が容易に進まない遠因だろう。
究極の「匿名性創出装置」としての移民
究極の匿名性獲得手法は国を跨いだ移住だ。移民の多寡と経済の活力との関係が最近議論されているが、移民が持つ匿名性が背景にあるのではないだろうか。
アメリカの売上高上位企業500社のうち、約45%が移民あるいは移民の子が設立した「ニュー・アメリカ企業群」だ。これらの総売上高は日本のGDPを上回り、雇用数は1350万人以上だ。
移民に関する我が国の議論は、「少子高齢化」の視点に留まっている。つまり、量の話だ。しかし、アメリカの状況を見る限り、移民の経済効果は量ではなくて質だ。
匿名性を持った移民は大胆かつユニークな経営戦略が可能であり、先進性や革新性を持つ。だからこそ、企業規模の拡大が可能であり、マクロ的な経済や雇用への貢献が大きいのだ。
日本の総人口に占める移民の比率は2%だ。これは世界ランキングで見ると133位と低位に留まっている。量の議論ではなく、質の議論として移民拡大策を検討すべきだろう。
経済活性化にはリスクテイクも必要
我々人間は匿名性を獲得することで、攻撃的になるリスクがある。しかし、経済活性化にとって重要な「リスクテイク」という行為も可能となる。
地方からの上京者や外国からの移民といった匿名性を持った人間が、よりリスクテイクできる環境づくりこそが、経済の活性化につながる。感情論的な東京集中の人工的是正や移民の抑制などは経済活性化を妨げるという副反応があるのではないだろうか。
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