巨星逝く。経営は専門職か、人間職か

今回は本来の連載に戻る予定でしたが、号外をお送りします。

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巨星逝く

巨星逝く

京セラ創業者稲盛和夫氏が逝去されました。Amazonで同氏の名前で検索すると800冊(稲盛氏ご自身による著作は46冊。京セラ社のHPで確認できます)。筆者も同氏の本を幾度となく読み、学び、この連載でも紹介してきました。

今後、同氏を悼み、称える膨大な量の文章が書かれるでしょうから、稲盛氏の偉大な功績はそれらに譲り、ここでは少し違った角度で優れた経営者について考えてみることとします。

経営者とは人間職

経営者とは人間職

私はある上場企業の指名委員会委員という重責を担っています。経営の最前線での経験がない自分が適任であるかどうか自問したものの、20歳代から偉大な経営者に学ぶ機会が多かった経験は貴重なものであると開き直り、拝命しました。

拝命するにあたり、改めて、優れた経営者とは何であろうかと考えました。この答えは様々な切り口からの答えがあるでしょうが、究極的には、経営者は「専門職ではなく人間職である」と考えました。

稲盛氏はもともとは何の後ろ盾もない一般的な技術者でした。医学を志したものの受験に失敗し、就職でも苦労され、優良企業とは言い難い産業用セラミックの企業に就職することになりました。同社の経営が益々悪化し、同期も早々と社を去る中、「自分だけでも」と孤軍奮闘するも同社の経営は改善しませんでした。その後、稲盛氏の技術と心を高く評価した人からの出資を受け、京都セラミック(現 京セラ)が設立されました。

稲盛氏の著作を読むと、いち技術者から経営者になったことで、経理、財務、法律などの技術者であれば直接関与することがない分野の知識が必要になり、最初はとまどったものの、やがて、必ずしも専門知識を持つことがなくとも(逆にないからこそ)、「道理にかなっているかどうか」の判断力があれば正しく判断できると気づいた……との経緯が伺えます。

そして、「正しいかどうか」を究極までつきつめた結果が、「動機善なりや、私心なかりしか」であると拝察します。稲盛氏の著作には、直接的な経営書だけでなく、『哲学への回帰』(梅原猛氏との共著、PHP研究所)、『何のために生きるのか』(五木寛之氏との共著、致知出版社)といった思考、哲学に関する著作があり、さらには中曽根首相(当時)との対談もあります(『青山常運歩 中曽根康弘 対談集』、毎日新聞出版)。梅原氏、中曽根氏と会話ができる人は多くないでしょう。

優れた経営者の事例

優れた経営者の事例

同じようにいち技術者が優れた経営者に昇華した事例は少なからずあります。

村田製作所の創業者・村田昭氏は、病気のデパートといわれるほど病弱で学校にも満足に通えない少年時代を経て、陶磁器(伝統的セラミックス)を手掛けていた家業を機能性セラミックスの世界企業として発展させましたが、もともとは科学好きな青年です。

電子部品の一つである「抵抗に関連した特許」を取得したことが始まりのローム創業者である佐藤研一郎氏も技術者です。技術以外には資金も知名度も人財も何もない自宅の浴室からの始まりだったそうです。

ヒロセ電機の中興の祖 酒井秀樹氏は、工業高校卒業後、現在は混迷を極めるが当時は日本を代表する総合電機企業からの内定を振り切り、社員50人に満たない同社に入社。売上高1000億円、営業利益率30%の企業を創り上げました。同氏は、日々のことは現場に任せ、多くの時間を執務室で過ごし構造的なこと長期的なことを考えることに費やしておられました。

エーワン精密の創業者 梅原勝彦氏は小学校卒業後に働きはじめ、丁稚奉公をするなかで技術を習得し、独立。創業以来40年間の平均営業利益率が30%の企業を創りました。同氏も経営の座学の機会はなく、お目にかかった時に頂戴した、読むべき本のリストは思想、哲学に関する本でした。

専門職と人間職

専門職と人間職

経営学修士、いわゆるMBAは経営を専門職として学ぶものと位置づけられると認識しています(私も学卒で就職する際には、MBA留学の機会を提供している企業を選択しました)。

いうまでもなく、理論は有用有益であり、私も数多くの経営学の本を読み大変勉強になりました。しかし、上記に示したように、世界に冠たる日本の部品産業においてMBA保有者はほとんどいない、すなわち、経営者は専門職ではなく、総合職、さらにいえば人間職でないかと思われます。

稲盛氏でいえば、「アメーバ方式」が専門職であり、「敬天愛人」が人間職と言えるでしょう。

経営者の管掌範囲は「すべて」と言ってもよいかもしれません。開発、調達、製造、販売、人事、財務といった企業の各種機能から、政治、社会、思想といったより大きなことまで……すなわち、一人でできることではありません。

鉄鋼王カーネギーの墓標には「己より優れた者を周りに集めた者、ここに眠る」と刻まれています。一流の人間を惹きつけ、最終的な判断と責任を負った方々が上記の経営者であったように感じます。

最後に

私は稲盛氏を新幹線のホームでお姿をおみかけし、失礼とは知りつつも勇気を振り絞りご挨拶をさせていただいたことがあります。同氏らしく社員を引き連れることもなく、新幹線の入線を静かにお待ちになる一人の人間でいらしたことを思い出します。

筆者は稲盛氏が社長を退かれた後に社会人になったため、1対1でお話を聞くことができなかったことは誠に残念ですが、同氏の「弟子」の皆様から今も勉強させていただき、また、これからも学びたいと改めて考えました。

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