日本製鉄がUSスチール買収完了へ──狙い・譲歩・恩恵を改めて読み解く

日本製鉄によるUSスチール(United States Steel Corporation)の買収がようやく成立した。買収成立に向けて、まさに日本製鉄の執念を感じさせた1年半だったと言えよう。本稿では、あらためて今回の買収の意義ならびに今後の見通しなどについて考えたい。

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USスチール買収が完了──日本製鉄の執念と成果

USスチール買収が完了──日本製鉄の執念と成果

2025年6月18日に買収金額の約142億ドル(約2兆円)の払い込みが完了し、USスチールは正式に北米日本製鉄の子会社となった。2023年12月に買収を発表し、ちょうど1年半の期間を要したことになる。

今回のディールで日本製鉄が最もこだわっていたのが、USスチールへの100%出資だ。最終的に米国政府に対して黄金株を発行することになったものの、普通株の100%出資という目標は達成した。

買収後すぐに現地で始動──40人の技術者を派遣

買収成立後の日本製鉄の初動は素早かった。買収翌日の6月19日には新しい役員人事を発表し、代表取締役全員が今回の「USSプロジェクト」に関与する体制に変更した。

その後、同月下旬には技術者を中心に約40人を米5州へ派遣している。派遣したのは鋼材を製造する上工程から下工程までの第一線の専門家集団で、1カ月程度をかけて現地で生産ラインの問題点の洗い出しなどを行っている。
また、今後投資すべき内容の精査と同時に、現地における既存のラインのオペレーションに対するアドバイス(歩留まり向上など)も並行して行う。

USスチールの課題の一つは、変動費が高いことが理由で稼働率を上げられないところにある。これに対し、日本から送り込んだ40人の技術者が現地で細かな日鉄流の「カイゼン」を指導することで、早いタイミングでのコスト削減効果が期待できそうだ。日本製鉄の素早いアクションからは、並々ならぬ意気込みが伝わってくる。

粗鋼生産「1億トンビジョン」に向けて大きく前進

日本製鉄とUSスチールを合算した粗鋼生産量は5,780万トン(2024年実績。生産能力は年間8,600万トン)。USスチールの生産量が2024年に減少したことでグローバル生産量のランキング(4位)に変動はないものの、3位の鞍山鋼鉄集団(中国、5,960万トン)、2位のアルセロール・ミタル(ルクセンブルク、6,500万トン)との差は大きくなく、実質的に数量面で2位グループまで返り咲きを果たしたことになる。

日本経済新聞では2025年7月8日付のインタビュー記事で、日本製鉄の橋本英二会長が「粗鋼生産量を今後10年で現在の6割増となる1億トン規模に引き上げる計画を明らかにした」と報じた。今後、米国だけでなくインドや欧州など世界各地で増産を目指していくことになる。

日本製鉄では、長期ビジョンとして「年間のグローバル粗鋼生産能力1億トン、実力利益1兆円」を掲げているが、まさにビジョン実現に向けて大きく前進した。

譲歩はあったのか?米国政府との交渉の実際

譲歩はあったのか?米国政府との交渉の実際

一部報道では、「買収は実現したものの結果的にトランプ大統領の圧力を受けて日本製鉄が買収条件を大きく譲歩させられた」との見方が示されている。しかし交渉の経緯を振り返ってみると、実際には日本製鉄の主張は首尾一貫しており、当初の計画から大きな譲歩を迫られたとは感じない。ポイントとなるのは、大きく以下の2点だ。

  1. 黄金株を発行したことでUSスチールの経営の自由度は阻害されたのか?
  2. 買収後に多大な設備投資を強いられることで経済合理性が損なわれたのか?

次で、それぞれのポイントについて考えてみたい。

ポイント1 黄金株の発行で経営の自由が阻害されたのか?

最大の論点は黄金株だ。黄金株は経営に関する重要決定事項への拒否権を持つという意味では、経営陣と黄金株の所有者との間で意見が相違した場合には経営の自由を阻害する要因となり得る。

例えば、かつて中国で巨大企業だったアリババを解体するために中国政府が黄金株を用いたことは知られている。ただしアリババのケースは、当初からグループの解体が目的とされており、今回とは全く状況が違う。

買収に先がけて日本製鉄では、2025年6月13日に米政府と「国家安全保障協定(National Security Agreement。以下NSA)」を締結したが、このNSAに組み込まれた内容は、以下の5つなどだ。

  1. 本社の所在地や社名などを維持する
  2. 最大9名の取締役会を構成、独立取締役3名から成るコミッティを設定する
  3. コミッティの許可なく生産能力を削減しない
  4. 2028年までに110億ドルの投資を実施する
  5. 生産や雇用を米国外に移転しない

これらはそもそも、日鉄が買収を発表した当初から表明していた内容と大差はない。

日本製鉄は、USスチールへ投資を実施することで競争力/収益力を高めることを目指している。決してリストラが目的ではない。「USスチールを偉大な企業に」という目的は米国政府と共通している。

一方で、「米国政府が指名する独立取締役が拒否権を持つ」点は将来の懸念材料として無視できない、との指摘は否定できない。それでも、米国政府は「株主として日本製鉄と一体となってUSスチールの立て直しに動く立場」にあり、いわば一蓮托生(いちれんたくしょう)だ。将来的に米国が大不況に陥って鉄鋼生産レベルを大きく落とさざるを得なくなった場合のリスクなどは残るものの、これはNSAで明記されずとも通常の買収でも条件は同じだ。

ポイント2 買収後の多大な設備投資は出資の経済合理性を損なうものか?

2番目の論点は、投資額の合理性。「日本製鉄は当初の提案で織り込んでいなかった多額の投資を強いられることになり当初もくろんでいた投資に見合うリターンが得られなくなるのではないか」との疑問だ。

これに関しても筆者は、投資採算性を損なう決着となったとは考えていない。まずUSスチール株式の取得価格は142億ドル(約2兆円)。USスチールの年間の粗鋼生産能力(2,300万トン)で割るとトン当たりの取得価格は600ドル(8.7万円)程度となる。過去の一般的な世界の製鉄所への投資額は10万~30万円/トンのレンジにあることから、むしろ割安と言える。

一方で、日本製鉄では、今回のNSAにおいて約110億ドル(約1兆6,000億円)の投資をコミットした。従来コミットしていた投資額が27億ドルだったので、確かに最終的に80億ドル以上が積み増された格好となる。

ただし、従来コミットしていた投資は、バイデン政権を念頭に全米鉄鋼労働組合(United Steelworkers:USW)に加入している拠点への投資に限定されていた。それに対し今回は、USスチールグループ全体への投資を開示したことから増額されたものだ。

6月18日に日本製鉄による投資家向け説明会で開示された投資の概要を見ると、既存製鉄所への投資に加えて、R&Dセンター新設、鉄鉱石鉱山・電炉設備の増強、グリーンフィールドにおける1,000万トン級の一貫製鉄所の建設、など多岐にわたっている。いずれも当初から念頭に置かれていた内容だ。

買収後に状況に応じて追加投資を実施し競争力強化を図るのは当然の戦略だ。今回はディールが成立するまで1年半の猶予期間が持てたことから、課題を洗い出して水面下で具体的な計画にまで落とし込むことができたと言える。決して、「トランプ大統領を説得するために予定していなかった新しい投資を無理やり絞り出した」わけではない。

USスチール買収の意義を改めて整理する

USスチール買収の意義を改めて整理する

次に、今回のM&Aにより得られる日本製鉄の恩恵に関して、改めて整理しよう。
筆者が1年半前の関連記事で指摘した買収意義は、

  1. 米国での地産地消体制の確保
  2. 電炉ミニミルの確保
  3. 鉄鋼資源の確保
  4. 日本製鉄単独でのM&Aであること

の4点だった。
(「日本製鉄はUSスチールの取り込みで再び鉄鋼業界のトップランナーに返り咲けるか」〈2024年2月2日配信記事〉参照)。

その後、トランプ氏が米大統領への再選を果たすなど情勢は激変した。それでも、基本的な見解は当時と変わらない。むしろ、当時よりも意義は高まっていると考えている。新たに加わったと考えられる意義は、以下の2点だ。

【新たな買収意義1】数量・価格面でトランプ政権に守られる立場に

ここ1年半の間での最も大きな外部環境変化は、返り咲きを果たしたトランプ大統領による各国への相互関税政策だろう。日本でも自動車産業をはじめ多くの企業が追加関税によりダメージを受ける可能性が高まっている。

追加関税の狙いは、言うまでもなく米国への輸入品の流入を抑え国内企業を守ることにある。特に米国において鉄鋼業は重要な位置付けにある(だからこそ今回の買収に関して「国家安全保障上の問題」という視点が前面に押し出されたわけだが)。鉄鋼業は、トランプ大統領にとって「優先して守り育てるべき産業」の一つと言える。

鉄鋼貿易に関して言えば、実は現状で米国は世界最大の鉄鋼輸入国だ(2024年の鋼材輸入量は2,886万トン)。鋼材内需の25~30%を輸入に依存している。関税政策の是非はともかく、何とか鋼材の自給率を引き上げて自国の鉄鋼産業を復活させたいというのは自然な発想だ。

輸入鋼材へ高関税を課すことで、必然的に「米国製の鋼材」の需要は底上げされることになる。特に、低迷を続けるUSスチールが、日本製鉄のノウハウを活かしコストを抑えながら高級鋼材の増産体制を整えることができれば、一気に米国内での販売量を拡大させることは可能だろう。まさに、トランプ大統領がUSスチールの増販のお膳立てをしてくれるという構図だ(別の議論として、これまで米国に輸出されていた他国の鋼材が行き場をなくして滞留することで、そのエリアの需給を乱すというリスクは存在するが)。

日本製鉄の橋本会長は、「クリーブランド・クリフスからシェアを奪い、米国でのシェアを現状の15%程度から倍増させる」とコメントしている(7月8日付日本経済新聞記事)が、充分に達成可能な目標と言えよう。

これに関連してもう一つ、重要なポイントがある。販売価格だ。鋼材の輸入量が絞り込まれ米国内の鋼材需給がタイト化することで、鋼材価格の高止まりが想定される。

過去にも米国の鋼材価格が欧州やアジアと比較して高値を記録するケースが度々見られた。輸入依存度が高いということは、言い方を変えると、輸入鋼材を絞り込むことによる価格への影響が大きいということだ。

今後、米国以外の地域で鋼材需給の緩和により鋼材市況が下落する可能性があるため、米国だけが突出して価格上昇を続けられるかどうかは不透明だ。だが、少なくとも比較的長期間にわたって、米国はグローバルでも相対的に鋼材価格が高値を維持する可能性はある。

USスチールは、今後多額の設備投資を実施する負担は生じる。それでも一方で、米国内の高級鋼材の需要増と鋼材価格の上昇により多くの恩恵を享受できる可能性が高まっている。日本製鉄にとっては、1年半前に想定していたよりも早いスピードで投資回収が進む可能性が高まったと考えている。

【新たな買収意義2】他社からの買収・競争リスクが大きく低減

二つ目の買収意義は、米国内における競合他社との関係だ。
米国政府がUSスチールの経営の監督権を持ったことで、政府はUSスチールを「守る」立場となった。例えば、競合他社がUSスチールに低価格競争を仕掛けることは米国政府に競争を仕掛けることになる。また、USスチールを買収しようとしてアクションを仕掛けることも容易ではない。

つまり、無益な価格競争に巻き込まれるリスク、同業他社から買収にさらされるリスク、などが大きく低下したと言えよう。

以上みてきたように、いわば「日本製鉄がトランプ大統領の懐に入り込むことに成功した」ことで「米国政府の全面的なバックアップを取り付けた」ことになるのだ。

トランプ大統領は交渉の途中で気が変わったのか?

トランプ大統領は交渉の途中で気が変わったのか?

ところで、今回の買収決着に関し「反対していたトランプ大統領が一転して賛成に転じた」「日本製鉄の逆転勝利」などと報じられているが、これは正しいのだろうか?

確かにトランプ氏は、昨年初頭には、当時のバイデン大統領に先んじて本買収に反対の意向を表明した。ただしこれは、その後に予定されていた大統領選を意識(鉄鋼業界という地盤を意識)していたことに加え、米国の産業が自力で活力を取り戻すことを優先させたいとの思い(とりわけ伝統あるUSスチールに対しての強い思い)からきた発言だったと考えられる。

一方でトランプ大統領は、「政治的な意味合いの強さ」よりも「米国に利益をもたらす合理的なディールかどうか」を重んじる傾向が強い。この意味で、日本製鉄がUSスチールの再建を通じて米国へ多額の投資を実施し技術力向上に資するという今回のスキームは、当初からトランプ大統領の目指す方向と一致している。

また、トランプ大統領は、最初に交渉相手に高いボールを投げて、その後の相手の出方をうかがいながら交渉を進めていくスタイルを取る傾向が強い。まさに今各国との相互関税に関する交渉が典型的な例と言える。

日本製鉄が最後までUSスチールの100%子会社化にこだわった一方でトランプ大統領はUSスチールに対する影響力の維持にこだわった。その結果、最終的な落としどころとして、黄金株の発行で米国政府の影響力を担保したと同時に米国への多額の投資を引き出すことに成功した、との体裁を整えることで折り合ったのが実情ではないだろうか。ごく自然な流れで決着したと言えよう。

買収を成長の起点に──さらなる進化を目指す日本製鉄

日本製鉄の橋本会長は買収成立後の日本経済新聞社のインタビューで、「成長を追い求め、現状に満足しない意識改革が必要」「世界に通用するためには企業文化を変えなければいけない」などと発言している。今回の買収を足掛かりに、手綱を緩めずにさらなる進化を目指す日本製鉄の今後に期待したい。

日米の協業で製造業の新たな発展モデルへ

直近では、米国による相互関税強化の動きに代表されるように世界で保護主義の流れが加速している。もはや、よほどのニッチな分野でない限り、企業が単独で輸出を伸ばして業績を拡大するチャンスは限定的となっている。

橋本会長は2025年6月19日に実施された記者会見で、今回のディールを「日本と米国で連携した製造業の新たな発展の形」とコメントした。貿易相手国と相互利益を極大化させるスキームの一つとして、今回のM&Aはまさに新たな発展形と言えるだろう。これまで様子見をせざるを得なかった日本の鉄鋼他社のみならず、内需低迷で停滞感が漂う日本の幅広い産業で、活力を取り戻すモデルケースとしたい。

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