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『有閑倶楽部』3000万部! 一条ゆかり氏に「天邪鬼・客観視・ニッチ」を学ぶ
日本経済新聞の『私の履歴書』。1月の伊藤忠商事会長・岡藤正広氏に続き、2月の一条ゆかり氏を毎日楽しみにしていた読者は多いのではないでしょうか。筆者は一条氏の漫画は読んだことがないのですが、その著書『同期生――「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年』(集英社新書)を10年ほど前に読み、その優秀さに感銘を受けました。そこで、今回は一条氏から学ぶべきことについて紹介します。
「りぼん」~最上最強の女性漫画誌

Wikipediaによりますと、「りぼん」は少女漫画雑誌の一つで、1993年には少女漫画誌としては史上最高の255万部を発行したとあります。同誌の成功に大きく貢献したのが上記の書籍の著者、一条ゆかり氏、もりたじゅん氏、弓月光氏であったようです。
一条氏と弓月氏が同い年、もりたじゅん氏が一つ年上、デビューも同じころ、互いに助けあい切磋琢磨しあい尊敬しあう戦友でいらっしゃるそうです。一条ゆかり氏は代表作『有閑倶楽部』だけで3000万部、弓月光氏は単行本総発行部数4000万部。驚きの部数です。
一条ゆかり氏の生い立ち
母方、父方ともにとても裕福な家系で、祖父は旧三井造船の町で「藤本組」の経営者でいらしたそうです(一条氏の本名は藤本典子さん)。父親は会社にいって座っているだけで「一カ月分の給料で、大きな家が一軒建つ」ほどの給料をもらっていたとのことですから、今でいうと年収5億~10億円といったところでしょうか。
しかし、戦争もあって藤本組は倒産、父親が全てを放蕩(ほうとう)してしまい、6畳と2畳の二間で親子8人で暮らす生活だったそうです。
そんな生い立ち紹介から始まる、書籍冒頭の下記一文はさすが一条氏、思わず噴き出してしまいます。
本論からはそれますが、このような豪快なもしくは浮世離れした人、昭和までは少なからずいらしたでしょうか。私が1月に出版した『超利益経営』(日本経済新聞出版)では、エーワン精密創業者の梅原勝彦氏を紹介しました。同氏も裕福な家庭であったのですが、父親が博打(ばくち)で散財し破綻、小学校卒業と同時に働き始めていらっしゃいます。
また、藤沢里菜棋士のおじい様でいらっしゃる藤沢秀行氏は複数の「妻」と多くの子供、アルコールが切れると手が震えるなどアルコール依存症の症状に苦しみましたが、ひとたび碁盤に向かうと鬼と化す、まさに豪快な方でした(例えば、『野垂れ死に』新潮新書、将棋のほうの棋士米長邦雄氏との共著『勝負の極北』クレスト新社など)。閑話休題。
「人が描いているものを描いてもしかたがない」天邪鬼思考

一条氏がまだデビューしたての頃、編集者に「君が一条さん? 人気あるんだってね。僕はよくわからないんけど」と言われて腹立たしく思ったそうですが、同時に、うれしくもあったそうです。この発想が凡人とは違います。
「編集者に今はこれが流行っているから、どう?と言われても描きたくない。すでに人が描いているものを描いてもしかたがない。二番煎じは嫌、「新茶」になりたい」と書いています。
産業界ではある企業が何かを始めると、ほどなくして同業も同じことをすることが散見されるように思います。セブン‐イレブンを育てた鈴木敏文氏が禁止したのは同業の店舗見学。見てしまうと模倣したくなるからです。
コンサルティング業界でもベンチマークは定番ですが、模倣につながるベンチマークは同質化、ひいては価格競争に帰結し、産業全体の収益性をさげる懸念があると言えます(念のため、過程のベンチマークは危険ですが、結果のベンチマークは必須です)。
求められていることとやりたいことをすり合わせ、自分を客観視
一番感心させられたのは「客観視」です。一条ゆかりであると同時に、一条ゆかりのプロデューサーであることを意識しているのです。
デビューして3年間は死ぬ気で働く、なんでもする。自分の適性がわからないから、多くの仕事をすることで「自分の形」がわかるようになる。
7年経ったら中堅。仕事をセーブして「これが一条ゆかりです」という仕事をできるようにならないといけない。
40年経ったら「極める」。最後は「匠」。匠とは、「こういうものを描かせたら一条ゆかりの右に出るものはいない」である境地だそうです。
当時、作家には公開されていなかった読者アンケートを出版社に頼み込み開示してもらい、自身に求められていることと、自身がやりたいことのすり合わせもしています。
文字数制約で詳細は書けませんが、10代から客観視している点に最も驚かされました。
長期的目標達成のため、逆算して考える人生設計

一条氏を読んで思い出したのは世阿弥です。世阿弥の著書『風姿花伝』は「秘すれば花なり」で知られていますが、人生の段階段階での過ごし方が説かれています。
- 幼少期:童形なれば、なにとしたるも幽玄なり。さりながら、この花はまことの花にはあらず。
- 少年期:生涯にかけて能をすてぬより外は、稽古あるべからず。
- 青年期:時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。
- 壮年期:行く先の手立てをも覚(さと)る時分なり。脇の為手(して)に花を持たせて、少な少なとすべし。
- 老年期:誠に得たりし花なるがゆえに、花は散らで残りしなり。これ、老骨に残りし花の証拠なり。
優れた人、企業は、長期的な目標があり、その達成のために逆算して考えるのだと改めて実感します。
そして、世阿弥は、上記の経過はあるものの、「命には終わりあり、能には果てあるべからず」と述べています。一条氏も、漫画道に終わりがないと感じていることが読み取れます。
「ニッチ」は経営、人生において最重要概念。今回はガラパゴスのフィンチを例に。

筆者は経営でも人生でも「ニッチ」が最重要であると考えており、本連載でも度々触れてきました。ニッチは一般には「隙間」と認知されていますが、実は極めて深遠な言葉です。
もともとは生物学の言葉で、「その生物だけに許された場所」のことなのです。私はこのことを、福岡伸一博士の書籍で読んで知り、極めて深いと感じました。産業界では「いかに競争するか」を議論していますが、人間よりはるかに長く生き延びてきた生物は「いかに競争をしないか」と考えているのです。
これまでの連載ではニッチの事例としてチョウをとりあげましたが、ガラパゴス諸島のフィンチもニッチの好事例として知られます。
南アメリカ大陸から遠く離れたガラパゴス諸島に「フィンチ」という鳥が移り住んだと言われていますが、その後がとても面白いのです(例えば、ジョナサン・ワイナー、『フィンチの嘴(くちばし)―― ガラパゴスで起きている種の変貌』〈早川書房〉)。
樹上で獲物を捕食するのに向くように長い嘴に進化したもの、地上で種子などを食べやすいように力強く短い嘴に進化したもの……もともとは同じフィンチが多くの派生種に進化したというのです。すなわち、それぞれが、移り住んだ島の環境にあわせ、また、他と競争する必要がない「ニッチ」を確立したのです。
弓月光氏は「僕は離れ小島」、「他の作家と競争しようなんてハナからおもっていない」と書いています。女性誌に連載している珍しい男性作家であったのですが、少年誌・青年誌で描くときもほかの男性作家が描いているような話を描かない、と書いています。
一条氏は、「3人はスタートは似たようなところから始めたけれど、それぞれが『私だけのもの』をつくりだした。じゅんちゃんは演歌や下町、私は外国・金持ち・悪、弓月はコメディ」と書いており、フィンチよろしく、まさにそれぞれのニッチを確立したのです。
「専門家」と「第一人者」
「りぼん」を読んだことがない筆者がなぜ一条ゆかり氏の本を読んだのか……世の中に「専門家」は多いのです。ネットでもテレビコメンテーターでも「専門家」であふれています。しかし、第一人者は少ない。正確に言えばその定義からして一人です。どんな道でも第一人者と言われる人の言葉は深いと思います。
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