松原みきさんをご存知ですか? “世界の共通認識”という幻想を考える

日本で人気の経営学者ピーター・ドラッカーは、アメリカでは研究対象でさえないという。日本でベストセラーを連発する歴史学者エマニュエル・トッドも、本国フランスでは日本ほどの認知度はない。情報の受容と浸透は各国で相当異なる。ネット社会で我々が手にする情報はグローバル化を極めている。正しい視座をどう持てばよいのだろうか。

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ドラッカー信者が多い日本

ドラッカー信者が多い日本

日本を代表する若手経営学者の一人である、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授の著書『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)を10年前に読了し、驚いたことがある。

入山氏は言う。日本で人気のピーター・ドラッカーについて、アメリカでの9年の生活で議論や話題になったことはない。アメリカの最前線の経営学者はドラッカーを読まないと。

アメリカでは、ビジネススクールの教授の大半は、ドラッカーを経営学の本とは認識していない。彼らの研究も、ドラッカーの影響は受けていないようだ。

ドラッカーの本は「名言ではあっても、科学ではない」(入山氏)のだ。アメリカのビジネススクールで「ドラッカーの勉強がしたい」と言っても怪訝な顔をされるだけらしい。

入山氏は「ハーバードビジネスレビュー(HBR)」についても厳しい評価をしている。HBRは決して経営学の「学術書」ではない、とまで言い切っている。

日本のビジネスパーソンにはドラッカーの信者が多い。アメリカの経営学に関心のある日本人の多くは、HBRに目を通す。これらは、アメリカの経営学者から見ると奇妙な現象なのだろう。

日本で有名なエマニュエル・トッド

日本で有名なエマニュエル・トッド

筆者も同様の経験がある。人口動態の観察から、旧ソ連の崩壊やトランプ政権の誕生を予言したフランスの歴史学者エマニュエル・トッド。彼の著書や論考は日本で人気だ。

当社のフランス出身の社員に対し、トッドについて尋ねてみた。トッドの出身地であるフランスでも、彼はロックスターのように有名な学者なのかと。

答えは否であった。トッドがこれほど日本で有名になっていることに、彼女は戸惑いさえ感じていた。トッドは、フランスでも知られているが、日本ほどではないと。

日本で政権交代が起こった1990年代半ば~2000年代初頭(例えば、細川政権など)。資本主義でも社会主義でもない、「第三の道」を模索する動きが活発化した。

理論的支柱はイギリスの社会学者アンソニー・ギデンズだった。日本では、『暴走する世界』(ダイヤモンド社)や『日本の新たな「第三の道」』(同)など彼の著書が広く読まれた。

当時、外資系投資銀行に勤務していた筆者は、社内懇親会でイギリス本社の役員に対してギデンズに関する議論を吹っかけてみた。返ってきた反応は「それ誰?」だった。

デビュー曲は『真夜中のドア~stay with me~』

デビュー曲は『真夜中のドア~stay with me~』

2022年7月29日の配信記事『「SDGs」に関心を寄せているのは日本企業だけ?欧米企業との違いを考える』も同じ構造だ。

SDGsは日本で異様に盛り上がっているが、欧米先進国では検索ワードの対象にすらなっていない。欧米ではSDGsへの関心は低く、むしろESGの視点が優位となっている。

1970~80年代に日本で生まれたシティポップが海外でブームになっている。2022年6月4日に日本テレビ系で放送された『世界一受けたい授業2時間SP』でも取り上げられた。

番組では、海外で人気の日本人アーティストとして、山下達郎や杏里(敬称略)などと共に「松原みき」という歌手も紹介された。筆者にはなじみのない名前だ。

アメリカのクラブ内で、曲に合わせて大勢の若者が躍っていた。彼女のデビュー曲『真夜中のドア~stay with me~』だ。これが最もクラブで盛り上がる曲の一つのようだ。

アメリカから来た情報はアメリカでの常識ではない

アメリカから来た情報はアメリカでの常識ではない

日本で有名だが本国では異なる例。その逆の例。日本と他国で情報の受容・浸透の格差は大きい。“世界の共通認識”という考え方自体、(皮肉だが)“世界の共通幻想”だ。

ネットの発達は、情報のグローバル化を進める。それは、複雑さを持つアカデミア関係から、芸能人のゴシップ関係まで森羅万象についてだ。

我々は情報の正確性を見分け、正しい視座を持つ必要がある。アメリカ発の情報は必ずしもアメリカでは常識ではない。「世界でバズっている」という枕詞も鵜呑みにはできない。

異なる視点のメディアに常に触れる。自分の意見に沿う情報のみに拘泥しない。加えて、ウェブ情報に頼らず、積極的に他者と議論する。こうした意図的努力が不可欠だ。

逆にマーケティングの視点で言えば、この種の錯覚や誤解(共通幻想)の利用が効果的だ。人々は世界の共通認識が存在すると考える傾向がある。それをどううまく使うかだ。

日本においてSDGsがこれほど短期間で浸透したのも、仕掛けた側のしたたかな戦略の勝利だ。国連が推奨する世界標準だという共通認識を植え付けた時点で勝利は決まっていた。

まとめ

今後も情報のグローバル化は進展する。各情報は、各国や各共同体で異なる受容や浸透が行われる。そして国ごと、共同体ごとに異相を伴って発展する。相似の共通認識はわずかだ。

我々には、自分が獲得した情報や論理を常に批判的に観察する精神が求められる。あえて異なる視点を取り込み、弁証法的に自らの視座を引き上げることが肝要ではなかろうか。

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