エンゲル係数上昇の光と影~食品流通業界への示唆

昨年来の食品インフレよりも以前から、日本のエンゲル係数(家計消費支出に占める食品の割合)は構造的な上昇トレンドにある。所得増加に伴ってエンゲル係数が低下する経済成長期を経て成熟期を迎えた我が国の食品消費市場において、流通業界はどのような戦略を選択すべきであろうか。

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日本の総世帯の平均値、2022年は27.8%

日本の総世帯の平均値、2022年は27.8%

エンゲル係数は、国民生活の豊かさを示す指標(低いほど豊か)として広く知られている。

わが国においては、戦後の60%台からスタートして、経済成長と歩調を合わせて順当に低下してきたが、2000年代初頭に24%程度で底打ちして以降は上昇軌道を描き、2022年には総世帯の平均値が27.8%に達した(図解1)。

図解1_日本のエンゲル係数の長期推移(上段)と欧米4か国との比較(下段)

欧米諸国(21-23%で安定)と比べて日本のエンゲル係数は高水準だが、国ごとに社会制度や経済統計の前提が異なるため、単純比較には適さない。

エンゲル係数の算出式は、エンゲル係数=食料費÷家計支出、であり、日本全体の数値を算出する際の家計調査においては、分子の食料費に外食は含むが、分母の家計支出には見なし家賃や社会/医療保険料は含まれない。

かたや、公的医療保険制度がない米国では、医療保険料が家計消費に含まれるため、エンゲル係数は低めに算出される。

重要なのは、日本のエンゲル係数のトレンドが他国に類を見ないピッチで上昇してきたという時系列変化である。

その理由として、2022年のウクライナ危機等を端緒とした食品インフレを想起しがちだが、実際のところ、その影響は軽微だ。2021年から2022年にかけては、むしろ日本のエンゲル係数はわずかながら低下している(外食の減少で補えている)。

日本のエンゲル係数上昇は2000年代初頭からのトレンド

日本のエンゲル係数上昇は2000年代初頭からのトレンド

むしろ、日本のエンゲル係数の上昇は2000年代の初頭からの20年近くに渡るメガトレンドであり、その水準/上昇速度ともに欧米諸国には類を見ないものとなっている点が重要だ(図解1:欧米4か国の平均値は21-23%で安定)。

この20年で進展した日本社会の構造変化の全てが、エンゲル係数の押し上げ要因ばかりだったわけではない。

2019年の消費増税時には食品と新聞にだけ8%の軽減税率が適用されたし、2020年以降のコロナ禍では、割高な外食支出は削られた。

少子高齢化に伴う1世帯当たりの平均人員数の減少(≒単身者の増加)も、本来はエンゲル係数の低下要因であったはずだ。住居費や水道光熱費を他の家族とシェアできないためだ(大家族のエンゲル係数が高いことと逆の現象)。

高齢者世帯におけるエンゲル係数上昇が突出

高齢者世帯におけるエンゲル係数上昇が突出

これらの低下要因の全てを吸収したうえで、エンゲル係数を大幅な上昇に転じさせた最大の要因は、高齢者世帯の存在である。

過去20年のエンゲル係数の変化を世帯主の年齢別に見ると、高齢者世帯、とりわけ70歳以上の世帯における上昇幅(23.7%⇒28.8%)が突出していることが分かる。

もちろん、2012年以降の外国為替市場での円安トレンドが輸入食品価格を押し上げた影響も無視できないが、筆者の分析では、2002年から2022年のエンゲル係数の上昇幅(約2.3%ポイント)のうち、物価上昇で説明できる割合は約30%で、残りの約70%は高齢者世帯の増加による影響であった。

高齢者世帯においてエンゲル係数の上昇が顕著となったのは、年金収入が固定的であり、賃金や物価の上昇に追いつけない影響が大きい。

日本の年金制度には物価変動を反映して支給額を見直す「マクロ経済スライド」の仕組みが導入されているが、発動の頻度/時間差の問題に加えて、年金支給額の調整幅も(賃金上昇率と比べて)十分ではない。

高齢者世帯のエンゲル係数上昇の影響に拍車をかけたのは、全世帯数に占める高齢者世帯の構成比の大幅な上昇だ(図解2の折れ線グラフ)。

家計調査のサンプル対象世帯に占める60歳以上の比率は、2002年の39%⇒2022年には54%に上昇した(実際の高齢者世帯の構成比より家計調査のサンプルは数ポイント高めに出ているが、変化としては実態に近い)。

図解2_世帯主年齢別のエンゲル係数と世帯数構成比

過去20年でエンゲル係数が低下した若年層の窮境

過去20年でエンゲル係数が低下した若年層の窮境

高齢者世帯と対照的なのは、若年層の状況だ。食品物価の上昇によって他の年齢層のエンゲル係数がおしなべて上昇しているのをよそに、29歳以下の世帯は、過去20年でエンゲル係数が低下している。

単身世帯が大多数(約4分の3)を占めるこの世代は、食品と同等かそれ以上に価格が上昇している水道光熱費や住居費の負担が重く、食費を切り詰めて家計をやりくりする姿が浮かび上がってくる(もちろん、被服や通信費も削っている)。

エンゲル係数の分析から浮かび上がってきたのは、高齢者世帯と若年世帯という人口ピラミッドの両極における窮境ぶりだ。

これを背景に、日本の食品流通業界では低価格を売りにするディスカウント業態が好調である。
「業務スーパー」、「オーケー」、「ロピア」等の低価格スーパーマーケット(SM)に加えて、イオングループの格安なPBが手に入る小商圏SMの「まいばすけっと」も首都圏を中心に急速に業容を拡大している。

欧州市場はハードディスカウント業態が席巻

欧州市場はハードディスカウント業態が席巻

国全体のエンゲル係数の平均値の上昇幅が日本ほどでなくとも、食品インフレが消費者の購買力を分断しているのは欧米諸国も同様であり、欧州ではアルディ(Aldi)やリドル(Lidl)等のドイツ発祥のハードディスカウント業態(小規模で高回転率の加工食品を中心とした小売り業態)が、ここ数年は欧州市場で広く市場シェアを伸ばしている。

高齢化率(65歳以上の人口比率)が世界で2番目に高い日本(2022年、29%)に次いで、ドイツ(22%)、フランス(21%)、イギリス(19%)等の欧州も高齢化社会に突入している。

これに加えて、上記のハードディスカウント業態を生んだドイツは長らく積極的な移民政策を採っているほか、フランスやイギリスでは若年失業率が定常的に2桁%を越えている(南欧はさらに高い)。

高齢者、移民、定職のない若年層といった低価格商品の潜在顧客を多く抱える欧州において、ここ数年は食品インフレを起爆剤にハードディスカウント業態が席巻しており、大手寡占度が高く、長期にわたって上位の顔ぶれが変わらなかった欧州各国の食品スーパーのランキングを一気に塗り替えようとしている。

エンゲル係数上昇の光の側面~資産効果による高品質食品への消費意欲

エンゲル係数上昇の光の側面~資産効果による高品質食品への消費意欲

日本のエンゲル係数の分析結果において、もうひとつ見逃せない発見がある。世界的な株式市場の好況を背景とした、保有する金融資産の多寡による消費支出力の格差だ。

図解3に示すように、日本の総世帯数を保有金融資産(純貯蓄)の3区分で見ると、過去20年で300万円未満と1,000万円以上という両極の世帯数構成比が上昇(中間層が減少)していることに加えて、エンゲル係数の上昇幅が1,000万円以上の富裕層において最大(+3.3%ポイント)となっていることが分かる。

この純貯蓄1,000万円以上のグループの中には、一定の金融資産を保有するものの所得フローは年金収入に限られる、という高齢者世帯が含まれると同時に、株価上昇によるいわゆる「資産効果(Wealth Effect)」によって、国内外のこだわりのある高品質な食品・食材を購入する消費者も包摂していると推察される。

彼らの旺盛な消費意欲に支えられ、2023年の大手百貨店における食品催事は活況を呈しており、駅ビルやショッピングモール等に入居する高価格帯の食品専門店(KALDIや成城石井が代表格)も好調だ。

ハードディスカウント業態とは対極にある高級スーパーの好調は、欧米やアジアの先進国においても同時進行している現象である。

図解3_純貯蓄保有金額別のエンゲル係数と世帯構成比

食品流通業界に訪れる対照的な事業機会

高齢化の進行と食品インフレによるエンゲル係数の上昇は、一時的な減少局面こそあれ、今後も続いていくことが予想される。これに伴い、消費者や消費行動の分断/2極化もかつてないレベルで進行する可能性があり、食品流通業界には「ハードディスカウント業態」と「こだわりの食品専門店」という対照的な事業機会が提供されるであろう。

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