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Black BerryとAmazon。両社の盛衰を分けたもの
21世紀の初頭に華々しい成長を遂げた「BlackBerry」と「Amazon」。両社の盛衰を描いた映画が2023年にそれぞれ公開された。映画を観る限り、2社には共通点が多い。しかし、前者のBlackBerryは表舞台から姿を消し、後者のAmazonはECの巨人として依然として強い光を放っている。2社を分けたものは何なのか?「起業」に創業者の狂気は必要なのか?
映画化されたBlackBerryとAmazon
海外出張時に機内で過ごす時間は映画鑑賞に最適だ。
先日搭乗したフライトで『BLACKBERRY』と『Bezos』(筆者注:Amazon創業者)の2作品を観た。
BlackBerryもAmazonも21世紀初頭に大きな成長を遂げた企業だ。
2つの作品では、両社の創業と成長(BlackBerryに関しては没落も)が描かれている。ビジネスパーソンとして参考になる部分も多い。北米という巨大市場における権益や闇を垣間見ることができる。
両社はともに、狂気と混沌が入り乱れる2000年代初頭の北米でビジネスを急拡大した。創業者は時間・能力・人脈という自らが持つすべてを注ぎ込み、創業したビジネスを愛した。そして同様に、自己をも強く愛した。
偶然と意思の融合が時代の歯車を回したのだろう。
BlackBerryでは、技術者数名の集団にリストラされた敏腕営業マンが共同CEOとして加わり、同社を世に出す金の卵が産声を上げた。
Amazonの創業者ジェフ・ベゾス(59)は、キューバ移民の養父の元で育った。ウォール街のヘッジファンドで職を得ていた彼は1994年、30歳で退職し、シアトルで起業する。
「iPhone」という隕石
おそらく日本の労働基準法の下では、BlackBerryもAmazonも生まれなかったのではないだろうか。
なぜならBlackBerryもAmazonも、「明日までに仕上げろ」というCEOの命でエンジニアたちは何度も徹夜をさせられる環境にあったのだから。
BlackBerryの成長はエンジニアたちの徹夜によって生み出されたと言っても過言ではない。
というのも、エンジニアたちが徹夜して準備した製品が、その翌日にニューヨークでのプレゼンテーションで機関投資家の関心を惹き、上市されることになったのだ。
21世紀初頭の10年、BlackBerryは無敵だった。2010年の北米スマートフォン市場におけるシェアは約40%を占めた。
しかし、アップル創業者のスティーブ・ジョブズが投下した「iPhone」という隕石によって、BlackBerryの成長は止まった。
エンジニアであるBlackBerry共同CEOのマイク・ラザリディスは、iPhone登場後も従来型BlackBerryの成功体験に拘泥したようだ。
その結果BlackBerryはシェアを失い、エンジニアたちは離職していった。
もう一人の共同CEOジム・バルシリーは、尊大な振る舞いをする経営者として映画内で表現されている。
ビジネスジェットを駆使して動く……
プロホッケーチームの買収を画策する……
さらにジムは優秀なエンジニア採用のために、多額のストックオプションを発行した。
しかし、これに違法性があり、最終的にはSEC(Securities and Exchange Commission=米国証券取引委員会)の捜査を受けてCEO辞任に追い込まれる。
社員の心身やプライベートライフに対する無関心、見苦しいまでの自己愛、創業したビジネスに対する自己投影、肥大化する自尊心と万能感……。
創業者の狂気がそこにはあった。
逆境に直面した際、成功体験(=祖業)の甘美な想い出がBlackBerryの進化を停止させたのではないだろうか。
最終的にダメ押しとなったのが、違法なストックオプションによる人員採用だった。
Amazonの前の会社名は「死体」と聞き間違えられた
雲散霧消したBlackBerryに対し、Amazonは依然としてECの成功者だ。
だが映画を観る限り、BlackBerryとAmazonの道程に決定的な差があるようには感じなかった。
ベゾスは創業の資金集めに失敗している。
恥を忍んでテキサスの養父宅に無心に行き、なんとか援助を得ると、起業の地に移動するために車も譲り受けて、自ら運転して西海岸を目指した。
創業の地をシアトルにすることも移動中に決めたようだ。最初に付けた会社名「Cadabra」も「cadaver=死体」と聞き間違えられる始末で、何度も社名変更をした。
ここまで見ると、計画的で順調な創業とは程遠い。
経営スタイルも思いつきで非計画的で、エンジニアの帰宅直前に明朝期限の業務命令をするなど、映画なので大げさな描き方かもしれないが、十分なハラスメントだろう。
妻との生活も殺伐としていたと推測できる。映画では描かれなかったが、2019年にベゾスは離婚している。そのときにベゾスの妻に譲渡されたAmazonの株式価値は350億ドル(日本円で約5兆円)にのぼった。
ベゾスは私生活だけではなく、ビジネスもジェットコースターだった。
Amazonは2000年に業績不振から約1,000人の解雇を行い、同社株式は90%もの大暴落となった。
そのような紆余曲折を経ても、Amazonは今なおECの王者と言える。
しかしBlackBerry同様、Amazonにも今後新たな挑戦者(あるいは天才)は現れるだろう。
ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で指摘したように。
創業者は幸運に感謝すべき
BlackBerryとAmazonの現在を分けたものは何だろうか?
前者にはジョブズという天才が突如現れ、後者にはまだ現れていないだけなのかもしれない。そう筆者は感じる。
Amazonの成功理由は後付けで色々議論されている。
しかし、創業して長年赤字続きの間、世間のAmazonへの評価は散々だった。2社の栄枯盛衰は紙一重ではないだろうか。
「成功するまでやり続ければ、失敗はない」
という人もいる。しかし、これは一握りの成功者によるバイアスのかかった言説だろう。時間も金も有限なのだ。
原油がもっと高騰していたら。
道路整備がなかったら。
高速料金が何倍もしていたら。
低賃金労働による物流業界が存在しなかったら。
Amazonの幸運はいくらでも挙げられる。
周囲に与えた精神的苦痛に想いを馳せて心で詫びる。
自分が得た幸運を数え上げて感謝する。
成功した創業者は、自分の戦略の成功を尊大に語る前にやることがあるのかもしれない。
経営者の狂気を礼賛する時代から「新しい創業者像が希求される時代」へ
BlackBerryもAmazonも、創業メンバーには狂気が同居していた。躁状態と言えるのではないだろうか。
他の経営者列伝の書物を読んでも、ある種の狂気が創業には付き物と書いてある場合が少なくない。
一方で、ほとんどの創業は失敗する。
創業して10年存続できる企業は10社に1社であり、失敗した創業者達の一部(あるいは多く)にも狂気があったはずだ。
創業者の狂気は創業にとって必要な部分であることは否定しない。しかし、創業者の狂気は、すべての創業の成功にとっての必要十分条件ではないだろう。
創業者の狂気(創業の昔話に頻繁に現出する)は物語としては興味深いが、現代の経営論に与える示唆はそれほどでもないと思われる。
狂気との同居がない、理性的な創業者とその経営論。
人や環境への配慮をして共生を図るような現代に適した新しい創業者像が希求される時代になっているのではないだろうか。
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