人的資本経営と人事制度~企業はジョブ型雇用とどう向き合うべきか~

2020年に公表された「人材版伊藤レポート」を皮切りに、「人的資本経営」の重要性が日本でも提唱されている。2023年度からは、有価証券報告書に人的資本情報の開示を、金融庁が上場企業に対して義務化する検討が進んでいる。本稿では、人的資本経営における人事制度のあり方と昨今トレンドになっているジョブ型雇用についての考えを述べる。

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はじめに

はじめに

『経営戦略と連動した人材戦略の実践』が重要なテーマとなっている「人材版伊藤レポート」については、ご存じの方も多いだろう。これは、「人事部門が必ずしも経営戦略に連動した人事戦略を構築しておらず、人事部門内の閉鎖的な思考に基づいて人事制度が実践されているのではないか」という懸念が日本企業内で浸透していることを意味する。

一方で、事業戦略や経営体制などの議論には時間を惜しまないCEOやCOOといった経営者も、人材育成や人事制度の話は「人事部門が考えるべきテーマである」という位置づけをすることで、重要テーマとならない企業も少なくない。

このように「経営戦略」と「人材戦略」の間に距離が生じてきたことは、その担い手の役員と部署が異なることに加え、両者の連携がないことに起因している。

「経営戦略と連動した人材戦略の実践」が重要であることは誰もが認めるが、具体的な連携を考える前提として、なぜ両者の連携が必要なのかを本質的に考えることが重要だ。それに関連して作成した図表1は、人的資本経営全体のイメージ図である。

図表1 人的資本経営イメージ

赤点線で囲んだ領域①は、経営者や経営企画部署が主として担うテーマであり、「経営戦略」と「経営体制」が中心となる。

一方、それを実際に実行するのが各企業の全部署に所属する人材、すなわち、人的資本である。そして緑色の点線で囲んだ領域②は、人事担当役員および人事部署が担うテーマであり、「人的資本」とそれを支える「人事制度・人事」「人材育成」「企業風土」である。

各企業の人事部署は、人事制度を制定の上でそれを管理し、各部署の人材の評価や昇進・昇給を集中的に担ってきた。

また人材育成として、職能等級制度の下、一定の等級の昇進に併せた人材教育を実施してきたものの、組織風土に関しては特段の施策が実施されていない企業が一般的でだろう。

これに対して、青点線で囲んだ領域③が、人的資本経営の全体像である。この図から分かる通り、「人的資本」とそれを支える「人事制度・人事」「人材育成」「企業風土」が整備されて初めて、しっかりとした「経営体制」が構築され、企業は「経営戦略」を実践できるのである。

ここでは、「人的資本」である人材の中から「経営体制」を担うことができる経営人材が輩出されることと、「経営体制」を策定し、実践をする「経営戦略」の具体的な実行を担うのも人材であることから、その双方の意味で人材の採用と育成が企業の根幹をなしているのである。

反対に、「人的資本」を支える「人事制度・人事」「人材育成」「企業風土」は、「経営戦略」の策定ができる「経営体制」の構成員である経営者を育成することと、「経営戦略」の実践を担える人材を育成するものでなければならない。

そのような企業の目的と関連性がなく、単に他社がやっているような「人事制度・人事」「人材育成」「企業風土」の施策を何の脈絡なく個別に導入しても、企業の持続的な発展は実現できないのだ。

現在の労働市場と雇用システム

現在の労働市場と雇用システム

これまでの日本型雇用システムは、市場の拡大と労働力人口の拡大のなか、新卒一括採用を中心に据えて、長期雇用を前提としたメンバーシップ型雇用システムだった。

このシステムが適合していた労働市場は、基本的に雇用者側の企業である買い手優位の市場であり、採用活動において企業が学生を選別し、学生は企業に「就社」することが前提となっていた。

そして、学生が企業に入社後は、長期雇用を前提とした職能資格制度が採用され、年功序列になりがちな能力給に基づく給与が支給されてきた。また企業は、入社した社員を企業側の都合で必要なポストに配置転換させ、社員の希望は聴取するものの、結果的に多くの社員の希望は叶えられないまま、社員の職能を越えるような異動管理が実施されてきた。

そして、これらをつかさどる部署が人事部であり、中央集権的に人事異動と人事評価の管理業務を担ってきた。現在もこのような雇用システムを主として採用している企業は多いものと推察する。

しかしながら、人口減少・少子高齢化社会になり、労働力人口が年々減少するなか、各企業における人材不足はますます深刻化している。

また、現在の30歳以下のZ世代と言われる世代は、インターネットによる情報収集が主流であり、自己の興味ある分野をそれぞれ追求するとともに、ワークライフバランスを重視する世代でもある。

加えて、Z世代の優秀層においては、早期に自己の能力を高めてくれる職場を求め、長期雇用を前提とし、若い時代に修業しながら長期にわたって少しずつ昇進を果たしていくような職場には全く興味がない者も少なくない。

このような状況下にある現在の労働市場は、基本的に労働者側の売り手市場であり、学生が企業を選別し、学生は自己のやりたい仕事をするために企業に「就職」するのである。

このような社員に合う雇用システムは、職務を中心として採用するジョブ型雇用システムであり、新卒採用・中途採用を交えた通年採用がベースとなる。

昇進・昇給といった考え方は、年功ではなく職務等級制度をベースとした職務給である。企業は長期雇用を必ずしも想定せず、ある職務に退職や異動等で欠員が発生した場合には、中途採用にて補充する発想に立つ。また、異動は基本的には労働者本人の希望の範囲内で実施するため、人事制度の管理はライン部署による分権的管理が主流となる。

人的資本経営は、企業活動の主役である人材を中心に据えた経営である以上、今の時代における人的資本経営を考えると、主役である社員がやりがいをもって臨めるような労働環境を前提としたジョブ型雇用システムの方が適している。

一方で、これまでメンバーシップ型雇用システムを採用してきた企業においては、いまだ長期雇用を前提として育成されてきた社員が中高年に大量に存在することから、いきなり全面的なジョブ型雇用システムに移行することは難しい。

企業によっては、課長などの一定の管理職以上の役職を公募制として、部分的にジョブ型雇用制度を採り入れる企業も増えてきているが、まだ試行錯誤の段階にある企業が多い。

このようなジョブ型雇用システムの部分導入の前提には、新卒採用時から少なくとも10年間程度の期間は、若手社員に対し企業において必要な業務をバランスよく経験したゼネラリストとしての育成が望ましいとする考え方がある。そして、当該期間経過後に各社員の特性が見えてきた段階で、幹部候補(ゼネラリスト)として育成するのか、それとも専門職(スペシャリスト)として育成するのかを選別していく過程に入る企業が多いものと思われる。

人材ポートフォリオのマネジメントについて

人材ポートフォリオのマネジメントについて

人的資本経営を実践するためには、各企業が自社の人材ポートフォリオを作成し、それを各社が適切にマネジメントしていくことが重要である。

ここでいう人材ポートフォリオとは、経営戦略に基づいて配置された人的資本の構成内容を意味する。具体的には社内の「どの部署に」「どのようなスキルや特性を持った人材が」「どの程度いるか」を示すものである。

これらを適切に組み合わせてマネジメントすることで、企業価値の最大化が果たされるという考え方だ。人材ポートフォリオを作ることは、社内の人的資本を可視化し、社員それぞれの強みや弱み、キャリアの志向性を把握できるため、企業側からすれば、部署や業務の方向性に適した人材を配置することができる。

また、企業による社員教育という面からも、人材ポートフォリオによって、各社員のキャリアに合った教育機会や経験を付与することに繋げられる点がメリットだ。

一方、社員にとっても自身の強みを生かせるポジションや、自身のキャリアの希望に沿った業務に携わることができるようになるため、モチベーションアップにつながる。このため、人材ポートフォリオのマネジメントは人的資本経営で重要な要素である社員から企業へのエンゲージメント向上にもつなげることができる。

人材ポートフォリオを作成する場合、下記の図表2のように縦軸に組織成果の最大化と個人成果の最大化のいずれの要素が強いか、横軸にクリエイティブな(創造性のある)人材か、オペレーション(運営)に強い人材なのかで区分けした四象限で整理する方法が一般的である。

図表2-人材ポートフォリオマネジメント

オペレーター(左下)
定型的な業務をきちんと行うのに適した人材であり、該当する人数は多い。ライフスタイルとしては、プライベート優先の者が多い。

マネージャー(左上)
組織を運営・管理するのに適した人材であり、例えば部長、店長といった役職を円滑に務めることが得意である。ライフスタイルは仕事中心であるが、プライベートもある程度大事にする。

スペシャリスト(右下)
個人としての創造力を発揮し、価値提供を行うのに強みを持った専門人材であり、外部から中途採用する人材も多い。ライフスタイルは仕事中心であるが、個人の嗜好に応じてプライベートも重視する。この人材は、専門性を生かして他社に転職する可能性も高い。

コア人材(右上)
組織のために創造と価値提供を行う経営人材であり、企業の経営者になることができる人材である。ライフスタイルは仕事中心である。

この人材ポートフォリオは、ある時点における人材の構成内容であるが、各社員にとっては成長をする過程において、この四種類のポートフォリオの中で移動することが想定される。従来は以下の2種類のコースが一般的であった。

Aコース(ゼネラリストコース)

これは、従来から行われてきたメンバーシップ雇用システムで一般的に採用されている人材育成方法である。

まずは比較的定型的な業務で仕事に慣れてもらい、その後にゼネラリストとしていくつかの部署の管理職として勤務させる。その中で特に創造力とリーダーシップのある社員を選抜して、経営者に育てていく手法である。

「オペレーター」→「マネージャー」→「コア人材」

「オペレーター」→「マネージャー」→「コア人材」

Bコース(スペシャリストコース)

近年増加してきた複線型の人材育成方法として追加的に採用されてきたコースである。Aコースを主流とするも、特定の専門分野に強みと興味を持った人間を専門職として処遇していく方法である。

ここでは、スペシャリストが将来の経営陣になっていくことは想定されていない。また、このBコースは本来の意味付けとは異なり、コア人材(経営人材)には不向きと判断された人が選択するコースとして実質的に位置づけている企業も少なくないが、この点は本来の趣旨と全く異なることから問題である。

「オペレーター」→「スペシャリスト」

「オペレーター」→「スペシャリスト」

一方で、社員が自己のキャリアプランを自分で描き、自分の希望に沿った部署で仕事をするジョブ型雇用システムにおいては、従来のAコース、Bコースだけに留まらず、次のCコースをも想定する必要性がある。

Cコース(ハイブリッドコース)

このコースでは、若い時代においては自己のキャリアプランの中で興味のある仕事に従事し、その仕事の専門家として台頭することを目指す。

この場合、そのままスペシャリストとして社内で生きていく方法や、自己の専門性を武器に他社での活躍の機会を求めて転職する場合もあるが、スペシャリストから経営者を目指す優秀層も一定数存在する。

本来的な意味での専門性のある社員は優秀な場合が多く、腕を磨く時代である若手時代はそのスキルを身に着けることに自己のキャリア設計をするものの、一定の年齢(30歳代中盤)からは会社経営にも興味を持ち、経営者を目指す意欲も湧いてくるのである。

この場合、スペシャリストから経営者の準備活動として一定の役職(部長職など)を経験した上で、経営に携わるコア人材になっていくのである。

従来の専門人材(スペシャリスト)は、他の人間との接触やコミュニケーションは苦手であるが、一定の専門分野では高い能力を発揮する者というイメージが強い。

この場合、ゼネラリストとの対比で、コミュニケーションや対人関係調整力を求められる経営者には向かない人間という印象を持たれてしまう。しかしながら、これは偏見であり、真に優秀なスペシャリストの中には専門性を持った後に経営人材に必要な能力をも身に着けていくことができる者も多数存在する。

一方で、若い時代にゼネラリストとして育った人間が中高年になった後にスペシャリストになることは不可能とまで言わないものの、一般論としては難しい。ただ、スペシャリストからゼネラリストへ移る流れは十分に可能である。加えて、スペシャリストの中には、複数の分野の専門性を磨くことにより、より総合力と専門性を身に着ける人材も存在する。

「オペレーター」→「スペシャリスト」→「マネージャー」→「コア人材」

「オペレーター」→「スペシャリスト」→「マネージャー」→「コア人材」

ジョブ型雇用制度の導入にあたり、先述した通り、一定の管理職からそのような制度を部分的に導入する企業は増えてきている。

しかしながら、昨今の労働市場とそこにおける優秀な社員のマインドを考えた場合、少なくとも最初の10年間は社員が好きな部署で仕事に従事し、そこでスペシャリストとして育成することも検討すべきだ。

その後に、その専門分野で台頭した人間の中から経営を目指すようなコア人材を選別し、そういった人材には一定の管理職を経て経営者として育成していくコースが、馴染むのではないかと筆者は考える。

もちろん、専門性を早期に社員に身に着けさせることが、場合によっては早期の転職を促進させる可能性もあるが、その欠員は中途採用で補強するものと割り切るべきである。

むしろオペレーターとしての修業時代が長く継続することを嫌って、もっとやりたい仕事に早期に従事する機会を他社に求めるような転職を抑制できる可能性は十分にある。

以上から、今後のジョブ型雇用システムの導入が日本企業において浸透してきた場合、上記のCコースによる成長が主流となる時代が来る可能性は十分にあると考える。

最後に

人的資本経営は、人材を経営の中核的な要素と捉えた経営であり、人材マネジメントを巧くできる企業が、今後の持続的な企業価値拡大をもたらしていくことは間違いない。

一方で、売り手市場である労働市場を前提とした場合、社員が自己の早い成長を達成できる企業と仕事を選択する立場に立つことから、それに対応した人事制度を導入する企業でなければ生き残れないことも確かだろう。

そのために経営者は、今の若者のマインドや労働市場の状況を考えながら、アジャイルな人事制度の中でジョブ型雇用システムの導入を徐々に浸透させていくことが必要だ。

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