バラ色だけでない、MaaSの見通し

自動バス
ここ数年、MaaS(マース)という言葉がメディアで頻出している。「Mobility as a Service」の頭文字をとったものだ。直訳すると「サービスとしての交通」であり、ITを駆使した次世代交通システムを指す。

具体的には、ITをてこに様々な公共交通機関を疑似的な一連のサービスにし、人の移動を効率的にする仕組みのことだ。電車、バス、タクシーといった従来の交通機関に加え、ウーバーやシェアサイクルといった新しい交通手段も含め、パッケージとして消費者に提供される。

MaaSへの期待は大きい。効率的な人の移動だけでなく、交通渋滞やCO2問題の解決を期待する声もある。日本でも、政府、自動車メーカー、鉄道事業者、IT企業など、多方面からMaaSへの取り組みが始まっている。今でも、ヤフーの路線検索をすれば、地下鉄、在来線、東海道新幹線などの時刻や運賃を調べることができる。それがMaaSならば、それら公共交通機関に加え、タクシーやカーシェアなど全ての交通手段が対象となり、予約や決済もまとめてできるようになるとされている。

MaaS先進国のフィンランドでは、月額定額制も導入済だ。2017年より首都ヘルシンキで提供が始まった「Whim(ウィム)」というアプリサービスでは、消費者は目的地を入力すると、目的地までの経路と料金が提示される。それらを比較検討して最終的な交通手段を選択でき、ヘルシンキ市の全交通機関が乗り放題となるプラン(30日間で約60ユーロ)もある。

MaaSにかかる、3つの論点
渋滞

MaaSの将来はバラ色に見えるが、死角はないのだろうか。

筆者は3つの視点からMaaSの論点を指摘したい。それは、①定額制は経済学でいう外部性問題があること②MaaSが提供する情報価値が最終的に減価すること③移動時間が長くなればなるほど重要性が速度から快適さに移ることの3つだ。

「MaaSで生じる『負の外部性』」

まずは、外部性について触れたい。外部性とは、ある経済主体(個人や法人など)の行為が、市場メカニズムを通さずに他者に影響を及ぼすことを指す。例えば、あるメーカーが製造過程で汚水を垂れ流し、周辺住民に迷惑をかけている場合、このメーカーの行為は外部性(負の外部性)がある、という。

ヘルシンキのように人口密度が低い(東京都の瑞穂町と同じぐらいで1平方キロ当たり1800人程度)場所ならば外部性問題は生じにくい。日本の地方都市でも外部性を考慮する必要性は低い。MaaSは自動運転による移動も包含しており、ドライバー不足や高齢化が問題となっている地方都市では、むしろ「交通弱者向けサービス」というプラス面もある。

ただ、世界でも有数なメガロポリスである東京で定額制を始めたらどうだろう。定額制の対象が電車や地下鉄であれば、問題は比較的小さいかもしれない。しかし、定額制の対象がタクシーやカーシェアの場合は大きく異なる。道路という限られた空間を、タクシーやカーシェアの自動車が埋めていくことになる。

消費者側からすれば、定額制タクシーは追加的な支出がないので、タクシーやカーシェアを利用するインセンティブは大きい。ただそうなると、タクシー利用者らの増加によって、道路が混雑する可能性が高くなる。すると、タクシーを使ってでも早く目的地に到着したいビジネスパーソンや病人らの本来あった便益が、時間的な制約がない多くの消費者によって吸い取られていってしまう。典型的な負の外部性だ。

定額制MaaSが導入される前にもかかわらず、ニューヨークやシカゴなどの大都市では既に、道路の渋滞が悪化している。ウーバーなどのカーシェアは、自家用車の利用を減少させて、CO2問題を解決することを期待されていた。しかし、もともと地下鉄やバスを使っていた人がウーバーなどのカーシェアを使うようになったことで、むしろCO2問題は悪化している。

「反復化による価値低下 MaaSの本質とは」

下呂温泉
次に、情報価値の劣化について指摘したい。

例えば、池袋から下呂温泉に行く場合を考えてみる。初めて池袋から下呂温泉に行く人にとって、経路検索は重要だ。また、到着した下呂駅から、予約していた温泉宿までのタクシーやカーシェアの情報を事前に取得することも必須だ。

一方で、下呂温泉を気に入り、月1回のペースで行くようになった場合はどうだろうか。

経路検索による提供価値は限りなくゼロに落ちる。下呂駅に到着して一目散に温泉宿に行く日ばかりでもなく、駅周辺をぶらぶらすることもある。MaaSで下呂駅から温泉宿までのカーシェア予約といったパッケージの経路予約は、旅慣れた人ほど敬遠するものだ。

つまり、移動が1回きりの場合、パッケージ型のMaaSサービスは便利だが、移動が反復的になればなるほど、MaaSの価値は急減する。言い換えれば、消費者が移動先への経路について情報劣位にある場合のみ、MaaSは一時的に必要となる。移動行為の反復化によってMaaSの価値は逓減してしまう。つまり、家から行きつけの百貨店に行く場合など、日常生活ではMaaSは必要とされないのだ。

MaaSは、一種のバンドリング(セット販売の意味)戦略だ。特定のアプリやシステムに登録された各交通事業者のサービスをセットで販売する仕組みになる。バンドリングは供給者にとって効率が良い。対象となる商品やサービスに関して、消費者側が情報劣位で情報取得コストが高い場合にのみ、消費者にとって便益がある。消費者は情報を獲得すればするほど、バンドリングを嫌い、避けるという消費行動をとる。

学生から社会人になりたての人にとって、スーツとベルトと靴のセット販売はありがたい。しかし、50代にもなった社会人は、スーツとベルトと靴をセットで買うことはしない。情報劣位でなければ、セット販売よりは各商品を自分の自由意志で選ぶようになる。消費者が行ったことがない場所に行く場合、MaaSは便利で楽だ。しかし、何度も行くようになると、自由度の高い移動を好むようになる。

何のことはない、ここ数十年で崩壊した伝統的旅行代理店の機能のIT版こそが、MaaSの本質ではないだろうか。MaaSが一般化されれば、交通だけでなく、宿泊やレストランなど移動に伴うサービスも付帯されてくるだろう。これはとりもなおさず、脱構築された旅行代理店が仮想空間に浮かび上がってくることに過ぎないのだ。

最後に、消費者が交通手段に求めるものの変化にも触れておきたい。

従来は、交通手段の進化はスピードの進化と同値だった。古代ローマの戦闘用馬車(チャリオット)に始まり、自動車、電車、新幹線と、交通手段の進化は速度と対になっていた。しかし、スマホに代表される携帯可能な情報端末によって、交通手段に求める要素が変容している。

東京から広島への出張の例に考えてみる。

羽田から広島空港への飛行時間は1時間半程度であり、新幹線(東京駅~広島駅:約4時間)に比べて時間的には早い。しかし、携帯パソコンでの仕事という観点では評価は変わってくる。まず電車を乗り継いで羽田空港に行く。機上では不安定なWi-Fi。広島空港から市内へはバスで1時間。一方、新幹線であれば東京駅から腰を据えて仕事をすることができる。

情報社会においては、移動時間の長さと、交通手段に求める空間の快適性とは完全に比例する。地下鉄一駅の乗車ならばWi-Fiが使えないとか、混雑しているということは許容できる。しかし、移動時間が1時間、2時間、4時間と長くなればなるほど、我々は交通手段、つまり自分が移動する空間に、より高い快適さを求めるようになる。

前述したように、1回きりの遠くへの移動であればあるほど、消費者にとってMaaS的なサービスは必要になる。しかし、現在のMaaSの議論はスピードや便利さといった観点のみが前面に押し出されている。移動が長時間化すれば、重要なのは移動空間の快適さなのだ。移動空間の快適さとは、通信環境はもちろん、自分が乗車する車両の混雑度合いだったり、カーシェアで同席する第三者の属性だったりする。MaaSの議論には、こうした移動空間の快適さという観点がすっぽりと抜け落ちている。

まとめ

以上のような3つの視点が、現在のMaaSを議論するうえでスポットライトが当たっていない重要論点と考える。これらがないがしろにされれば、MaaSなるものは、とりあえず目的地に早く、安く着くことさえできれば、混雑や空間の快適さということは気にしない、という特定の消費者のためだけのサービスとして、すそ野の小さなプラットフォームになるのではないかと思われる。高付加価値型のMaaSの議論が希求されている。

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