M&Aとクモとカマキリ

一部のクモやカマキリのオスは、交尾が終わるときまってメスに食べられる。 動物の生態は長い年月で合理性というフィルターで濾過され、遺伝子を次世代に伝達する確率を最大化するよう自然淘汰される。オスがメスに食べられるというクモやカマキリの交尾には、どのような合理性が内包されているのであろうか。 交尾をマッチングと言い換えてみよう。動物の遺伝子伝達方法と、企業と企業のマッチングであるM&Aには類似点も少なくない。クモやカマキリの交尾から、近年隆盛しているM&Aについて、我々はどのような示唆を見出せばよいのだろうか。

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同意の上、食べられるオス

女郎蜘蛛

人間の性の進化についての真面目な論考として、ジャレド・ダイヤモンド氏の『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか(草思社)』がある。米国の進化生物学者であるダイヤモンド氏は、『銃・病原菌・鉄(草思社)』や『昨日までの世界(日本経済新聞出版社)』など多くの著書で鋭い文明論を展開している。

ダイヤモンド氏によれば、人間以外の動物は、他の個体から隠れて交尾をしない。一夫一婦制でもない。そして、発情期や排卵期が他の異性から認識できるという特徴を持つ。人間はこの逆だ。一般的な動物とは異なる性の特色こそが、言語、芸術、書字を発展させ、文明を形作ったと彼は推論している。

同著で展開される人間の性についての論考は極めて興味深いが、本稿ではこれ以上立ち入らない。本稿で重要なのは、同著でも紹介されている、一部のクモやカマキリの性的共食いを伴う交尾の合理性と、それがM&A業界に与えるインプリケーション(示唆)だ。

「この共食いは明らかにオスの同意に基づいている。なぜならオスは自らメスに近づき、逃げようともしないからだ。それどころか、頭部や胸部を折り曲げて、メスの口元に寄せたりさえするだろう。そうすればメスに身体のほとんどをがつがつと食べ尽くされても、腹部からメスの卵に放精しつづけることができるのだ。」(ダイヤモンド氏)

オスの「合理的判断」

カマキリの卵

クモやカマキリにとって個体としての自己生存が重要な場合、上記行動は合理的ではない。しかし、自己生存ではなく、遺伝子の伝達戦略という観点からは合理的な行動となる。個体密度の低い地域に生息するクモやカマキリのオスにとって、交尾可能な状態の一匹のメスに出会えただけでも僥倖だ。このメスを逃すと別のメスに出会う可能性はほとんどない。あるいは、遭遇したとしても交尾可能な状態か保証はない。

「オスは交尾が終わってこのメスと別れても、おそらく別のメスと出会うことはないだろうから、それ以上生きていても意味がない。そこで、オスは自ら進んでメスの餌食となって、自分の遺伝子を引き継ぐ卵をより多く産んでもらうのである。(中略)このオスグモの進化の論理は道理にかなっている。」(同)

M&Aと絡めて論じる意味

同一化

動物の交尾を比喩にM&Aを議論するのは、論理の飛躍という誹りを免れないかもしれない。

しかし、創業社長が、自社株式の売却意志がありながらも、買い手候補が不在という状況に陥ることは少なくない。一方、買い手が殺到するM&A案件もある。M&A業界が、自然環境における様々な動物の交尾(マッチング)から学ぶことは少なくない。

M&Aとは、長く見積もってもここ数十年で一般化した行為である。前述したクモやカマキリを含めた動物の自然淘汰という悠久の時間軸から見れば、M&A業界の歴史など刹那に過ぎない。また、同業界におけるベスト・プラクティスも、歴史のフィルターを通った正当性を備えたものとは言うには時期尚早であろう。

自然界では、交尾の容態が画一的ではない。前述したように、他の動物とは異なり、人間は特異な性行動を行う。人間以外の動物でも、雌雄のマッチングが容易な動物と、そうでない動物では交尾方法は異なっている。M&Aはある種のマッチング行為であり、そのあり方も多種多様になるのが自然だ。

大型哺乳類のように寿命が長く、繰り返し交尾を行い、遺伝子を伝達する機会に恵まれた種。一方、“素数ゼミ”と呼ばれるセミは、13年あるいは17年という地中生活を経て、他の個体と同時に一斉に地上で成虫となり、1ー2週間という限られた地上での寿命で交尾を行う。素数年(13や17)が選ばれたのは、各個体にとって交尾の確率を上げるためと聞く。冒頭のクモやカマキリは、交尾可能なメスとの邂逅の可能性が極めて低い種の事例だ。

M&Aで相手の選択肢が多い場合、例えば、上場企業あるいは大手企業が、相応に収益を生み出している子会社を売却する事例を考えてみよう。彼らは、子会社を売却することで得られる価値(多くの場合はキャッシュ)を最大化するため、自己のためのアドバイザーを雇用するインセンティブがある。

売却先として潜在的に複数の候補が存在していると思われるので、売り手側は、自ら雇用したアドバイザーには売却価格をなるべく引き上げるよう指示を出す。買い手側は、売り手側アドバイザーと価格や条件の交渉をして(なるべく低い買収価格で)案件をまとめるため、買い手側独自のアドバイザーを雇用するインセンティブがある。

相手の見つけにくい中小企業

中小企業

このように、一般的に想起されるM&Aには売り手と買い手に別々のアドバイザーが雇用され、価格や条件など様々な交渉を行う。売り手も買い手も、其々の経済合理性を追求することが可能となっている。この環境は、大型哺乳類の交尾に類似しており、マッチングの機会や相手に恵まれている状態と言える。

一方、中小企業の売却は、そもそも相手が見つけにくい。メスを見つけられないクモやカマキリのオスと同様だ。また、M&Aにおける買い手側には、大規模でも中小規模でも最低限の資産査定コスト(買収対象の事業や企業を調査するコスト)が発生する。このため、中小企業の売却案件は買い手から敬遠されやすい傾向がある。

売り買い別々のアドバイザーではなく、双方仲介型アドバイザーの増加は、これが背景にある。欧米の教科書型のプリンシパル・エージェント理論(委託者と受託者の利害対立)で見れば、双方に別々のアドバイザーが就任するのが好ましい。しかし、欧米のアカデミアで作られた理論的正しさを、クモやカマキリのオスに押し付けるのは現実的ではなかろう。

仲介型のアドバイザーは、売り手・買い手どちらかの経済合理性のためだけに行動しない。しかし、買い手が見つかりにくい自社売却を志向する売り手側から見ると、買い手を見つけてくれるのであれば、それだけで合目的性があるのだ。事業承継型の中小企業のM&Aにおける売り手は、典型的な「クモやカマキリのオス」だ。中小企業の比率がOECD加盟国で最も高い日本は「クモやカマキリのオス」で溢れている。

売値よりも、事業承継

事業承継

売り手からすれば、多少売却価格が低くても(クモやカマキリでいえば、上半身をメスに食べられても)、事業を承継してくれる経済主体と株式売却契約を結ぶことが究極の目的だ。事業、従業員、取引先との関係が承継できる。これこそが、自らが創業して維持成長させてきた自社の遺伝子を体現するものだ。オーナーにとって、遺伝子の伝達という最終目的に比べれば、売却価格など経済条件は(その程度によるが)劣後する。

プリンシパル・エージェント理論など、事業承継を志向するオーナーの現実論からすると比較考慮にすら値しない。目の前の買い手を逃した場合の機会費用が莫大だからだ。事業承継には、売り手側のオーナーが高齢化しているという時間的な制約条件もある。売り買い別々のアドバイザーを就任させ、売り手側が高値売却を目指すのは、売却先の候補数に恵まれ、売り手側に時間的な制約が小さい場合のみとなる。

中小M&Aで求められる、仲介型アドバイザー

仲介

日本では、欧米のようなM&A先進国では売り買い片側のアドバイザーが中心で、日本だけが不動産業界のような仲介型のアドバイザーが存在するという誤解がある。シリコンバレーには、上場を間近に控えたレイトステージ(Late Stage)の未上場会社株式の既保有投資家と、新規投資家のマッチングを専門に行う企業が活躍している。情報量が極端に限られているこの取引を行うアドバイザーは専ら仲介型である。

片側アドバイザーと、中小型事業承継の仲介型アドバイザーの合理的行動は、時として一致しない。マッチングが難しい中小型事業承継では、取引価額の多寡よりもまず相手を見つけてマッチングに持っていく事の重要性が高い。マッチング自体の確率を上げるには、その分野に特化して情報収集能力に優れ、売り買い双方のそれぞれの利害調整を間に入って行う双方代理という方法も一つの選択肢である。

つまるところ、アドバイザーが片側か仲介かは、どちらかが常に正しいのではなく、産業や企業の置かれた環境や、対象企業の規模などによって決まってくる。一般的に、売買の対象となる企業や事業の規模が小さくなるほど、仲介が活躍する余地が大きい。また、対象企業・事業の保有者、潜在的な投資意欲保有者といった売買に伴う当事者情報が乏しい分野ほど、仲介型の合理性が高い。

フィー(報酬)の問題について

握手

仲介型アドバイザーの分野における問題点は、アドバイザーが売り手・買い手から受け取るフィー水準であろう。それは、仲介型アドバイザーと、売り手・買い手との情報の非対称性、特に売り手との間に生じる大きな情報の非対称性によって引き起こされる可能性である。上場企業や大企業が買い手になることもあり、その場合はアドバイザーと買い手には情報の非対称性は起こりにくい。

片側のアドバイザーが行うM&Aの多くは上場企業や大企業向けであり、何年にもわたって複数回取引が行なわれる場合が多い。これは、ゲーム理論で言えば「繰り返しゲーム」だ。繰り返し行われる業務の場合、アドバイザーと上場企業・大企業との間には情報の非対称性が小さい。お互いを裏切らない「協力型ゲーム」が均衡点(ナッシュ均衡)となり、中長期的に見て合理的なアドバイザリーフィーとなる。

一方、中小企業の株式売却など事業承継の売り側は、多くの場合は一生に一度であり、ゲーム理論で言えば「一回のみのゲーム」となる。「一回のみのゲーム」の場合、情報優位者(アドバイザー側)は劣位者(売り手側)を出し抜くことで超過利潤を得るというインセンティブが生まれやすい。アドバイザーと売り手・買い手には情報の非対称性の問題が発生しやすく、アドバイザリーフィーには超過利潤(経済学でいうレント)が生まれるリスクがある。

まとめ

起業家精神(ケインズの言うアニマル・スピリット)を持つ起業家が、中小企業として会社を設立する。それが一定の成長後、次の投資家や起業家に、適切なアドバイザーの助言で、正当な値段(と適切なアドバイザーフィー)で引き継がれるというエコシステム(生態系)が日本には必須である。そのためには、中小企業の事業承継など「一回のみのゲーム」におけるレントを防ぐため、不動産業界と同様に、報酬のガイドラインや免許・登録制など「市場の失敗」を防ぐ適切な政策が必要となろう。

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