人的資本経営・人的資本開示とイノベーション

人材をコストではなく資本とみなし、適切に投資、企業価値の向上を目指す「人的資本経営」が近年、ホットイシューになっている。またその中で、ISO30414やコーポレートガバナンスコードの改定を契機に、上場企業を中心に「人的資本の開示」も始まっている。我々フロンティア・マネジメントにおいても、人的資本経営/人的資本開示に関する支援案件が増加しており、筆者たちも、新規事業専門家×人事専門家のタッグを組み、現在とある大手企業の人的資本経営に関連する支援を行っている。本稿では、今なぜ人的資本経営がホットなのかをイノベーションとの関係性も含めて論じつつ、人的資本開示の進め方、具体的な事例について紹介する。

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人的資本経営とは?

人的資本経営とは?

近年、人的資本経営という言葉をよく聞くようになったが、その内容を端的に説明できる方は決して多くないのではないだろうか。人的資本の概念からひも解いていこう。

従来、多くの企業では「人的資源」という言葉が使われてきた。人的資源とは、「事業を行う上で必要な労働力」であり、財務上はP/Lのコスト(人件費)と捉えられてきた。一方で「人的資本」は、人材を「事業活動における価値創造の源泉」と捉えた概念である。工場の設備(製造資本)、技術(知的資本)などと同様に、資本として人材を捉えるのである。バランスシート(B/S)で人材を捉えると言ってもよいだろう。

言葉では「源」と「本」の一文字しか違わないが、P/LからB/Sへと捉える切り口が変わるという点で、大きなパラダイムシフトと言えるのだ。

【図1】人的資本とは

このように、大前提として人材を「人的資本」として捉えた上で、その人的資本にどのように投資し、人的資本の蓄積を通じてどのように価値を生み出し、企業価値の向上につなげていくのかといった視点を持ちながら企業経営を行うことが人的資本経営である。

なぜ今、人的資本経営がホットなのか?

なぜ今、人的資本経営がホットなのか?

それでは、なぜ今、人的資本経営がホットなのか? 背景には大きな3つのメガトレンドが存在する。

【図2】人的資本経営が必要とされる3つのメガトレンド

1つ目が、無形資産が価値を生む時代への本格的な突入である。

米国S&P500の企業価値に占める無形資産の割合は既に9割に達している。日本においても、米国ほどではないが、年々企業価値に占める無形資産の割合は高まっている。そして、その無形資産の中核を占めるのが人的資本である。

経済がサービス化、無形化する中、無形な価値を生み出す源泉である人的資本への投資が企業の競争力を左右するようになってきているのである。

2つ目が、イノベーションの要請の高まりである。

最近「両利きの経営」が重要だとよく言われるが、経済の成熟化が一層進む中で持続的に企業価値を高めるためには、既存事業の深化・成長と同時に新たな事業・イノベーションの探索を常にやり続けなければならない。

これまではどこか他人事だったイノベーションに、多くの企業が真剣に向き合わないといけなくなってきたのだ。イノベーション創出の起点になるのは言うまでもなく「人」であるため、新規事業やイノベーションを生み出せる人材への投資が不可欠だ。

イノベーションの要請の高まり、それを受けたイノベーション人材への投資の必要性が、人的資本経営という概念に火をつけた大きな要因の一つと言えるだろう。

実際、筆者の一人(岩本)は、新規事業やイノベーションの企業支援を専門としているが、大手から中堅まで、「新規事業をやらないといけないのだが、新規事業のアイデアの創出、その後の事業開発を推進できる人材がいない/少ない」という声をよく聞く。

イノベーション経営と人的資本経営とは別物と捉えられがちだが、両者は、

  • イノベーション人材の獲得・開発
  • イノベーターや多様性の力を引き出し活かすためのインクルーシブ・リーダーシップ開発
  • コグニティブ・ダイバーシティ(認知的多様性)の実装

などにおいて不可分に結びついていると捉えるのが適切だろう。

【図3】人的資本経営とイノベーション経営の重なり

3つ目が、慢性的な人手不足と、それを背景としたタレント争奪戦の激化だ。

こと日本においては、少子高齢化を背景に慢性的な人手不足が深刻化しており、労働市場は売り手市場になっている。売り手市場の中で特に優秀な人材を獲得するためには、企業側の「あなたにしっかりと投資をする」「あなたという人的資本の価値を最大限引き出すような環境を用意する」といったメッセージが重要となる。

売り手市場の中で必要な人材を獲得・維持するために、人的資本に向き合わなければならなくなったというわけだ。

こうした3つのメガトレンドを背景に、多くの企業が人的資本経営に向き合わなければならなくなってきているわけだが、人的資本経営を実装、強化するために具体的に何から手を付けたらよいのかわからない、という経営者も少なからずいると思われる。

次項からは、人的資本経営を実装するために必要なアクション、その中でカギとなる人的資本の開示について解説していく。

人的資本経営のフェーズと“人的資本開示”の位置付け

人的資本経営のフェーズと“人的資本開示”の位置付け

“人的資本開示”について理解するためには、まず人的資本経営との関係性をひも解くことが重要だ。人的資本経営は大きく2フェーズに分けられる。

最初のフェーズは計画策定だ。このフェーズでは、経営戦略から派生した人事戦略の内容を明確にする必要がある。その上で、組織や人材がどのような状態になっているべきかを明文化し、人的資本経営の目標達成指標(KGI)を設定する。

さらに、そのKGIを定量的にトレースできる人事関連の指標(ISO30414で定義された具体的な指標はメトリクスという)を定め、現状分析を行い、重点的に注目すべきKPIを設定する。次に、計画実行フェーズでは、先述したKPIに基づいて具体的な施策を実行し、継続的な改善を行う。

【図4】人的資本経営における人的資本開示の位置付け

これらの2つのフェーズにおいて、どのように人的資本の“開示”という行為が関係してくるのかといえば、まず計画策定フェーズでは人事関連の指標を分析することによって、定量的に自社の現状を把握する。そして、計画実行フェーズでは、改善施策の実行だけでなく、社内外のステークホルダーに対して、各指標の現状と改善の打ち手の効果を開示する必要がある。このように、“人的資本開示”は、人的資本経営を推進する上での不可欠なツールと位置づけられる。

人的資本開示の現状

人的資本開示の現状

続いて、人的資本開示の現状について説明する。

欧米諸国では、投資会社や議会が適切な投資を促すために人的資本開示を求め、これらの取り組みは法制化も視野に入れられており、最近では加速度的に進められている。

また、日本国内においても、人的資本開示の促進を目的としたコーポレートガバナンスコードの改定、有価証券報告書における“人的資本・多様性に関する開示の義務化”というニュースもあり、その必要性が着実に増している。

一方で、ISO30414(人事マネジメント)はGRIやIIRC(サステナビリティに関する国際基準・ガイドライン)を基に2018年に策定された比較的新しいものであり、現段階では、例えばISO9001が義務(Requirements)であることに対して、ガイドライン(Guidelines)という位置付けに留まっている。

ISO30414は現状の管理状況の精緻さを求めるものではなく、自社がこれから人材/人的資本に対してどう向き合っていくのか、その覚悟と意志が問われている。実務の積み上げ的要素は薄く、言われたことを愚直にやれば道は開けるという感覚が染みついたオールドタイプの人事関係者にとっては、非常に難しい宿題を与えられたと感じるだろう。

人的資本開示の3つのステップとISO30414認証取得の関係

人的資本開示の3つのステップとISO30414認証取得の関係

続いて、人的資本開示と認証取得の手順について説明する。

日本国内唯一のISO30414認証機関である(株)HCプロデュースによれば、人的資本開示の定義は、「年に最低でも1回、社内外のステークホルダーに対して公式な形でレポートを行うこと」とシンプルに定義されている。

それぞれの言葉の意味を正しく確認しておこう。“ステークホルダー”とは、株主や取引先などの社外の関係者や、役員や一般職員など社内の者のことを指している。ISOに準拠する場合はメトリクスごとに開示対象が決められているが、自社独自の取り組みである場合は、その制約はない。

また、レポートという表現は、開示を受けたステークホルダーが何らかの改善アクションを取るに資するものであるべきことを含意している。もっともらしいデータをとりあえずクラウドにアップしたり、関係者に適宜口頭で伝えているだけでは、“人的資本開示”には該当しない。また、レポートの様式に厳格な定めはなく、ISO30414のメトリクス以外の独自の指標を自社で定めて開示することも何ら問題はない。

開示のための実務的な手順はシンプルだ。どんな経営目的のために、どの人事指標を使うのかを決めることが1stステップ、正確な記録に基づき所定の方法で各指標の測定・計算をすることが2ndステップ、測定・計算された結果をどのような見せ方で開示するのかを決めるのが3rdステップである。

これら一連の開示プロセスの品質を保証するのがISO30414だ。ISO認証の取得を目指す場合の具体的なフローは下図の通りとなる。

【図5】ISO30414認証までの一般的なプロセス

このように認証までの手順はさほど複雑ではない。自社がどんな人的資本経営を目指すのか、人的資本開示がどの程度効果的に行われているのか、ということが重要視されるため、その点については自社の経営戦略に照らしてしっかり練り上げる必要がある。

人的資本開示の事例

人的資本開示の事例

さて、わが国の人的資本開示はまだ黎明期だが、いくつか取り組み事例が出てきている。本稿では、総合商社の豊田通商と双日の人的資本開示の事例を紹介する。

豊田通商は、Human Capital Report2022として人的資本の開示を行っている。同社は2022年にアジアで2社目のISO認定を受けており、ISO準拠型の模範的な開示例と言える。

レポートの前半では、同社における人的資本経営の目的やビジョンが示されており、それを踏まえた人事戦略が丁寧かつ分かり易く記述されている。

後半部分では、具体的なメトリクスが示されている。専門的かつ無機質に感じられるが、これはISO30414の項目の性質上、仕方がない。同社はこの点をカバーするために、前半でビジョナリーな内容を盛り込み読みやすくすることで、まだまだリテラシーが高いとは言えない読み手に配慮した点も、素晴らしい工夫がなされていると感じる。

続いて双日は、ISO30414の認証こそ受けてはいないものの、取り組みの独創性から、経済産業省の「人材版伊藤レポート2.0」では先進事例として取り上げられている。

「ハッソウジツ」のスローガンを掲げる同社らしく、イノベーション推進を強く意識した人的資本経営のコンセプトを打ち出しているのが特徴だ。

ISOには準拠せず、独自の人事指標(KPI)を設定して開示している点が豊田通商とは対照的だ。例えば、同社社員の挑戦や成長実感促進するためのKPIとして「チャレンジ指数」という独自の指標を設定し、チャレンジする風土の更なる醸成、その結果として次々と新たな事業を生み出すことを目指している。

こうした人的資本開示の結果、同社の人材や事業が実際にどのように変わっていくのか、要注目だ。

【図6】双日の人的資本開示内容とねらい

これら2つの事例が示すことは、ISO30414の認定取得を目指すも良し、ISOには準拠せず独自の取り組みをするも良し、目的や大義さえあれば自由度が高いというのが人的資本開示の特徴だ。

人的資本経営、人的資本開示は少なくとも現段階では自由演技である。型にはまらず、自社なりの人的資本経営、その開示の在り方を定め、人的資本経営・人的資本開示という名のブルーオーシャンに迷わず飛び込んでいただきたいと思う。

まとめ

以上、本稿では、人的資本経営とは何か、なぜ今必要とされているのか、そして人的資本経営の鍵の一つである人的資本開示について解説した。

筆者の岩本は新規事業・イノベーションの専門家、石塚は人事の専門家だが、こうした全く専門分野が異なる2人が人的資本に関する論考を書いていること自体に人的資本経営の面白さと難しさがある。

人材版伊藤レポートにも書いてあるように、人的資本経営の起点は「経営戦略と人材戦略の連結」であり、これまではどこか別物だった「事業」と「人事」を融合することが不可欠である。

人的資本経営とその開示を推進するためには、経営のリーダーシップの発揮はもちろんのこと、事業サイド、人事サイドそれぞれの深い専門性をもっている人材が検討と実行に入ること、そして、両者を橋渡しする機能が必要不可欠だ。この「橋渡し」の部分に、外部プロフェッショナルを活用する価値が多分にあると筆者たちは考えている。

人的資本経営の推進に課題があり、外部の専門家の知見や支援が必要な場合は、ぜひフロンティア・マネジメントにお問い合わせいただければ幸いである。

※本稿に関する問い合わせ先
経営執行支援部門 
マネージング・ディレクター 岩本 真行
(m.iwamoto@frontier-mgmt.com)
 アソシエイト・ディレクター 石塚 智之
(t.ishizuka@frontier-mgmt.com)

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