ガン・ジャンピングとは

ガン・ジャンピングとは、レースの銃声を待たずにスタートしてしまうこと。すなわち「フライング」を意味することの呼称です。

M&A取引におけるガン・ジャンピングは、M&A取引に際して要求される競争法上の事前手続きを完了した後でなければ行うことができない行為を、それ以前の時期に実施することで競争法に違反してしまうことをいいます。例えば、以下のようなケースが考えられます。

  • 合併を行うことが決まっている2つの会社が、M&Aのプロセスにおいて知った公共事業の入札情報を知ってしまう
  • 国際取引において従来競合していた2つの会社が統合することを前提に情報を相互に開示した結果、お互いの特定取引先への販売条件を知ってしまう

M&Aのプロセスで知った情報を用いて経営意思決定に介入することで、適切な競争環境が形成されなくなる懸念が生じることになります。したがって、M&Aが行われることが前提となっている場合であっても、その結実までは互いに独立した事業者として企業活動を行うことが必要です。

特に国を跨ぐクロスボーダーM&Aでは、M&Aにおいて各国競争法を司る競争当局への企業結合の届け出が各々必要となり、M&Aの結実には相当程度時間がかかります。また、国内企業同士のM&Aであっても、対象となる市場が世界に展開されている場合、各国競争当局へ必要な届出を要することとなることから、クロスボーダーM&Aと同等の注意が必要です。

国や地域を問わず、ガン・ジャンピングに関係する競争法上の規制は、大きく実体法規制と手続法規制に分けられます。

実体法規制とはカルテル規制を中心とした、競争に悪影響を実際にもたらす、もしくは潜在的にもたらしかねない行為に対する規制です。

一方で、手続法規制とは「事前届出規制」と「待機期間規制」による、M&A取引を実施する際の競争法上の手続きを定めた規制です。

実体法規制

実体法規制は入札談合や価格カルテル、市場分割等に対する規制などといったカルテルの規制を中核としています。また、カルテル規制以外にも競争者間の共同行為に対する規制や、不公正な取引方法とみなされる行為に対する規制が存在します。

例えば、以下のような状況において、実体法規制の観点から指摘されるケースがあります。

  • M&Aを前提として入札時に応札価格を示し合わす
  • 競争関係にある当事者間での資材の共同購入

実務における対策

M&A交渉は長期間にわたるケースも多く、合意に至ってから競争当局への申請を行い、終了するまで相当な時間を要します。

M&Aプロセスにおいて必要な情報を相互に開示し、適正なデューデリジェンスを行うことは必須である一方で、M&Aによって得られる相手方情報(特に競争者間の競争に影響を与える情報を「競争機微情報」と呼びます)を、誰でも見ることができる状況に置くことは好ましくありません。

M&A検討を行っている事実の情報開示範囲や、相手方情報の閲覧権限の設定など、各種の情報に重要度を設定し、知ることや見ることができるメンバーを限定することが必要です。

また、M&A取引契約においては、双方の当事者の事業活動に関する制約を定めることが一般的です。例えば、一定の範囲の行為を行う場合、相手方の事前同意を得なければならないといった制約があります。

このような制約を相手方に課す場合、ガン・ジャンピングの問題を有していないかを慎重に検討する必要があります。

手続法規制

手続法規制とは、M&A取引を実施する際の競争法上の手続きを定めた規制のことです。多くの国や地域ではM&Aにおける「事前届出規制」と「待機期間規制」を採用していますが、手続法規制はそれに違反する行為を規制しています。

事前届出制度は、一定の要件を満たすM&A取引の実施前に競争当局への届出を強制するもので、待機期間制度とは、届出対象となったM&A取引に競争当局がクリアランスを与え、待機期間が終了するまで当事者間が届出を行ったM&A取引を実施することを禁止する規制です。

企業結合規制とは

企業結合規制とは、各国の競争法に定められている、競争を制限するM&Aに係る規制のことをいい、届出・待機期間規制の前提となっています。

日本の独占禁止法では、「一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなる」企業結合を行うことは禁止されています(独禁法10条1項ほか)。

また、米国ではクレイトン法(Clayton Act)により「取得の効果として、競争を実質的に滅殺し、又は独占を形成するおそれがある議決権付証券又は資産の取得を禁止しています(同法7条)。

欧州においてはEU Merger Regulationの2条3項で、「特に、支配的地位の形成又は強化の結果として、共同体市場又はその実質的部分における有効な競争を著しく阻害する企業結合」を禁止しています。

実務における対策

クロスボーダーM&Aにおいて各国競争法を意識した競争当局への届出実施は、各国競争法が個別に事前届出制度や待機期間制度を設定しているため、大変複雑です。
日本の独禁法のように、届出の実施期限は特に定めず、届出が遅れればその分M&A取引の実行が遅くなるという制度を採用している国がほとんどです。

一方で、企業結合規制の趣旨に照らして問題があり得ると当事者が判断した場合にのみ当事者が競争当局に対して任意の届出を行うこととなる任意届出制度を適用しているイギリスやシンガポール、オーストラリアといった国も存在します。

実務においては、各国の競争法を理解し、必要に応じた手続きをスケジューリング。
当局対応も含めたベストなプロセスを構築することが肝要といえます。

ガン・ジャンピングによる競争法違反が指摘された場合のリスク

ガン・ジャンピングによる違反が指摘された場合、競争当局から多額の制裁金が課されるリスクがあります。
日本の独禁法における刑事罰はさほど多額な罰金は科されませんが(事前届出義務違反では200万円以下の罰金)、欧米における制裁金が多額であることが知られており、数十億円規模の制裁金が課された事例も多数存在します。

また、罰金や制裁金までは至らなくても、競争当局からガン・ジャンピングの疑念を持たれてしまった場合、審査が長期化し、当初想定していたM&Aプロセスが想定外に長期化する恐れがあります。

加えて、当局の他にも関係する利害関係人からガン・ジャンピングにより被った損失を補填するよう損害賠償の訴訟を起こされるリスクもあります。

日本企業におけるガン・ジャンピング違反の事例

国内企業が事前届出制度の趣旨を逸脱しているとして公正取引委員会から指摘された事例として、キヤノンによる東芝メディカルシステムズの株式取得スキームに係る事例(2016年6月)があります。

本件は種類株式や無議決権株式、新株予約権を利用したものであるものの、実質的には事前届出の前にペーパーカンパニーを通じて東芝メディカルシステムズの株式をキヤノンが取得しており、事前届出がなされた段階においてはすでに一定の結合関係が形成されていたと指摘された事例です。

公正取引委員会は、「独占禁止法に基づく企業結合審査において承認を得ることを条件として最終的にキヤノンが東芝メディカルシステムズの株式を取得することとなることを前提としたスキームの一部を形成し、ペーパーカンパニーという第三者を通じてキヤノンと東芝メディカルシステムズとの間に一定の結合関係を形成されるおそれを生じさせるもの」とし、本件スキームの初期段階に届出を行わず、スキームの一部を実行したことを問題視しています。

公正取引委員会は本件を踏まえて、「今後、企業結合を計画する者が仮にこのようなスキームを採る必要があるのであれば、当該スキームの一部を実行する前に届出を行うことが求められる」と結論付け、警鐘を鳴らしています。

本件については公正取引委員会の見解やその他実務家の見解など、賛否両論ではありながら、円滑にM&Aプロセスを進める目的においては、早い段階から事前相談などの方法も活用し、競争当局の意向も踏まえたスケジューリングを行ってゆくことが必要だと考えられます。

まとめ

M&Aの増加を背景にM&Aに係る環境変化のスピードは日増しに速まっている状況です。
近年では特にM&Aにおいては各国の産業育成の思惑が交錯することが多々あり、M&Aが高い秘匿性のもとに行われている取引である一方で、複雑な関係者との調整を迅速に行わなくてはならないため、特に国外が絡む取引の場合、難易度は増している状況です。

M&A取引を円滑に推進するためには、常に各国の規制当局の動向に目を配り、余裕をもったスケジューリングのもとにガン・ジャンピングを指摘されるような手続き漏れのないように進めてゆくことが肝要といえます。

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