「生存者バイアス」に惑わされるな

オーナー企業の礼賛、選択と集中への傾倒。これらは「生存者バイアス」という色眼鏡を通して物事を見るという、誤った視座によって生み出された幻だ。同じ戦略を採用して、消滅していった企業群への想いをはせ、冷静に企業分析をするクセを付ける必要がある。

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生存者バイアスとは

飛行機イメージ

生存者バイアスとは、成功した人や組織の経験や事例ばかりに着目し、多くの失敗事例を顧みない行為を指す。統計データの多くは、成功し生き残っている人(企業)のみが対象となる。倒産した企業や、戦争で生還しなかった人のデータは蓄積されないため、失敗の原因や本質が見えなくなる。

鳥は空を飛べない

クイナイメージ

コロナ禍で混迷の時代が続く。大胆な経営戦略が希求される時、サラリーマン社長は弱く、オーナー企業は強いと言われる。

好例として良く挙がるのがサントリーだ。

サントリーの経営戦略は大胆だ。
サントリーはオーナー企業だ。
オーナー企業こそが、時代を切り開き、成長を実現できる。

三段論法で考えて、これは正しいのだろうか。NHK高校講座『ロンリのちから』(Eテレ)で紹介されている三段論法を見てみよう。

登場者のマリーは礼央に向かい、

私はあなたが嫌い。
私は女子。
だから女子はあなたが嫌いなの。

と言う。礼央は「ぼくは君に嫌われている。そして女子全員に・・・。」と戸惑う。このマリーの論法は三段論法として正しくない。

同番組で事例紹介されている誤った三段論法は

ペンギンは空を飛べない。
ペンギンは鳥。
だから、鳥は空を飛べない。

というものだ。

当てはめると

サントリーは大胆な経営戦略を行える。
サントリーはオーナー企業だ。
だから、オーナー企業は大胆な経営戦略を行える。

となる。

オーナー企業はほとんど消滅する

オーナー企業の過半数は消滅する。
慶応ビジネス・スクールで、メディカル・データ・ビジョンの岩崎博之代表は「ベンチャー企業の生存率を示すデータがあります。創業から5年後は15.0%、10年後は6.3%。20年後はなんと0.3%です。」と述べた。

大企業の子会社などを除けば、ほとんどの企業は、オーナー企業として産声を上げる。そして、そのほとんどが、10~20年という時間のフィルターを通過できず、廃業、あるいは買収される。独立で生き残った、極めて少ない数のオーナー企業が元気なだけだ。

混迷の時代が来るたび、オーナー企業を再評価する論考が経済ジャーナリズムで取り上げられる。しかし、それは鳥であるペンギンの飛行能力の欠如を敷衍して、誤った三段論法で「鳥は空を飛べない」と結論付けているのと同じだ。

我々は廃業や被買収によって消滅した企業のデータを持っていない。分析することは永久にできない。

現存会社のデータだけを分析して導き出す結論とは、偏ったデータによる間違った命題だ。
偏ったデータが生み出す「生存者バイアス」に我々は気を付ける必要がある。

「100年企業」の経営者の言説を冷静に観察する

老舗イメージ

「生存者バイアス」が生み出した奇怪な経営学は、「選択と集中」だろう。
ジャック・ウェルチが発した「Focus」という言葉が、「選択と集中」と誤訳された。多角化を否定し、一つの事業への専念が良いとされた。

参考・著者過去記事
「選択と集中」の誤算㊤ 大いなる誤訳
「選択と集中」の誤算㊦ 成長へのギアチェンジ

「単一事業に専念した企業が、高い成長率と収益性を獲得している」という考え方だ。

しかし、単一事業に専念して失敗し、廃業や被買収となった企業も多いはずだ。ポートフォリオ理論で考えれば、単一事業はリスクも大きい。有り金を一頭の馬に賭ける競馬だからだ。

競馬イメージ

有り金を一頭の馬に賭けて勝利すれば、高額の配当にありつける。複数の事業ポートフォリオを持つ企業は、複数の馬に賭ける競馬だ。生き残った企業だけの数値をベースに、「選択と集中」をした企業の成果が大きく見えるのは当然だ。

「生存者バイアス」の極みだ。

老舗の和菓子屋など、100年以上の社歴を持つ企業が日本ではもてはやされる。
未上場を貫、ファミリーで経営するスタイルだ。これら100年企業の経営者には、とうとうと自らの経営スタイルを開陳する人もいる。しかし、同じ経営哲学や経営戦略をした企業はごまんとある。オーナー企業はほとんど消滅する。成功確率は高くない。

「生存者バイアス」という視点を持てば、未上場やファミリー経営であること自体に、正解も不正解もない。経営における成功という関数の主要パラメータでもない。我々は「鳥は空を飛べない」という誤った三段論法に陥らないようにすべきだ。

エネルギー消費の観点から飛ぶのを止めたペンギン

ペンギンイメージ

『ロンリのちから』に戻ろう。ペンギンの話は三段論法の誤用だった。しかし、第一段の「ペンギンは空を飛べない」という命題を掘り下げてみよう。

ペンギンが空を飛べないのは、鳥だからではない。進化の結果だ。
海中の魚を食べるペンギンは、空を飛ぶというエネルギーを多く消費する行動を止めた。海中を素早く動く能力が進化した。海中に潜ることで、陸地で外敵に捕食されるリスクも減少した。

サントリーに代表される日本の優良オーナー企業も、同様だろう。オーナー企業だから優良なのではない。むしろ、オーナー企業の多くは非優良企業だ。

ペンギンが鳥として進化したように、他のオーナー企業と比較してどのように進化してきたかを分析するのが正しい視座であろう。オーナー企業とサラリーマン企業との比較は「生存者バイアス」の影響を受けた不適切な分析で、科学としての経営学にならない。

我々は常に、この手のバイアスに悩まされる。心理学では、過去を美化する「ノスタルジア・バイアス」という問題も提起されている。大ヒットした映画『三丁目の夕日』では昭和30年代が美しく情緒的に描写されている。しかし、昭和30年代とは、現在と比べて殺人は2倍、強姦は10倍、交通事故死は3倍。数字で見れば、決して戻りたくない時代だ。

『夢見るテレーズ』は芸術か、わいせつか

ピカソに「20世紀最後の巨匠」と称えられたバルテュス。
フランス人である彼は、日本人女性と再婚したこともあり、日本との縁も深い。彼は、1930年代半ばから、近所に住む10代前半の少女テレーズと知り合い、彼女をモデルにして多くの絵を描いた。

1938年に描いた『夢見るテレーズ』は、少女の白い下着が露わになり、無自覚な性の露出という官能性を持つ作品だ。この作品は発表当時から毀誉褒貶があった。有名な絵であり、ネットなどで検索してみれば、どのような絵か見ることができる。確かに、評価が難しい作品に見える。

時のフィルター

この絵画を保有している米メトロポリタン美術館には、この絵画が「わいせつ」だとして撤去を求める署名が1万人以上寄せられているという。しかし、現時点でメトロポリタン美術館側は、「一つの時代における一つの芸術」として、作品の撤去を予定していない。

日本では、一部の地方自治体や企業が、アニメの「萌え」系キャラを使ったイラストやポスターを発表し、激しい非難を浴びてたびたび炎上している。童顔で豊満な少女という記号をまとわせたことが、多くの人の不快感につながった。

時代の批判に耐えた(耐え続けている)バルテュス。あっという間に撤去を強いられた現代のアニメキャラ。

「生存者バイアス」という色眼鏡を外そう

鳥であるペンギンは空を飛べない鳥となった。オーナー企業であるサントリーは、他の(消滅していく)オーナー企業と異なり、大胆な経営で成長を続ける企業となった。幼い少女の官能性を表現したバルテュスの作品は、メトロポリタン美術館の収蔵品となった。

時間や歴史というフィルターを通過したものはみな、魅惑的で美しい。それ自体が具有する特徴や出自に成功や進化の源を探したくなるのは理解できる。しかし、「生存者バイアス」に惑わされてはいけない。

生存して輝いているものが、なぜ輝いているのか。「生存者バイアス」という色眼鏡を外して、しっかりとその源流を発見するトレッキングに出かけよう。

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