村上春樹さんから学ぶ経営⑦「僕より腕のたつやつはけっこういるけれど…」

今回は「ニッチ」について考えます。一般に「ニッチ」は「すきま」という意味で使用されることが多いのですが、本来ははるかに深遠な意味を持つ言葉です。それでは今月の文章です。

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僕より腕のたつやつはけっこういるけれど、僕より耳の鋭いやつはいない

本

「あなたはゆくゆく、コンサート・ピアニストとして名を成すだろうと思っていたんだけど」「音楽の世界というのは、神童の墓場なんだよ」と彼はコーヒー豆を挽きながら言った。「もちろん僕にとっても、それはすごく残念なことだったよ。ピアニストになるのをあきらめるのはね。そりゃ、がっかりしたさ。それまで積み上げてきたことが何もかも無駄に終わったんだ、という気がした。どこかに消え失せてしまいたいような気持ちにもなった。でもどう考えても、僕の耳は僕の腕より遥かに優秀だった。僕より腕のたつやつはけっこういるけれど、僕より耳の鋭いやつはいない。大学に入ってしばらくして、そのことに気づいた。そしてこう思った。二流のピアニストになるよりは、一流の調律師になったほうが僕自身のためだって」 

短編集「東京奇譚集」(新潮社)に収録された「偶然の旅人」からの引用です。
「二流のピアニストより一流の調律師」。

私は、本当にありがたいことに、20代のころから経営者に取材をする名誉に浴しました。まさに役得です。その中のお一人が電子部品の大手ロームの創業者 佐藤研一郎氏です。本連載開始時に逝去された際に氏の偉業を紹介しましたが、同氏は、大学生の時に日本トップクラスの音楽コンクールで準優勝するほどのピアニストでした。しかしながら、ピアニストでは一位になれないと判断し、ピアノに鍵をかけ、鍵を川に投げ捨てました。そして、起業し、わずか40年で営業利益1000億円の企業を作り上げたのです。

すなわち、同氏は「二流のピアニストよりは、一流の経営者」になることを、自分の生きるべき場所が「ピアノではなく電子部品」であることを冷静に見極めたのです。
佐藤氏にとっての「経営者」「電子部品」を、本来の意味でニッチと言います。

「ニッチ」の本当の意味

アゲハ蝶

一般に「ニッチ」は「すきま」という意味で使用されることが多いのですが、実ははるかに深遠な意味を持つ言葉です。
生物学者 福岡伸一先生によれば(福岡博士も村上春樹ファンであることを公言しておられます)、ニッチとはもともとは生物学の言葉で「全ての生物が守っている自分のための窪み=生物学的地位」のことなのです。
アゲハチョウの幼虫はミカン類かサンショウの葉しか、キアゲハはパセリか人参の葉しか、ジャコウアゲハはウマノスズクサという葉っぱしか食べないのだそうです。
自分の食性と違う葉っぱを食べるよりも餓死することを選択するのです。つまり、生物は自らのニッチ=自分だけの場所を見極め、「頑ななまでに自らを限定し、無益な争いを避けている」のです(以上、福岡伸一「動的平衡2 生命は自由になれるのか」、木楽舎より)。

佐藤氏の決断は小説、ドラマにできるほど見事なものですが、ニッチとは自分だけに許された場所、自分が一番輝ける場所なのです。

ニッチの見極め

企業の事例も挙げましょう。(FA産業の低迷で足元の業績は落ち込んではいるものの)世界最強の製造業の一つファナックの成功も、ニッチの見極めにあります。

良く知られているように、ファナックはもともと富士通の一事業でした。1960年代、富士通は主力事業であった通信機の次なる事業として、「コンピュータ」と「制御」の二つの分野に進出することを決定し(このような大局観を持った経営者に脱帽です。60年代にコンピュータと制御の二つを正しく言い当てています)、コンピュータ事業のトップには巨人IBMと伍して闘った伝説の天才設計者池田敏雄氏、制御事業のトップには稲葉清右衛門氏が任命されました。

稲葉氏が担当することになった制御産業には、「数値制御」と「プロセス制御」の二つがあったのですが、稲葉さんは後者から撤退し、前者に集中することにしたのです。
現在、後者は前者よりも大きな産業になっていますが、それだけに参入企業も多く、収益性はファナックには及びません。
稲葉さんの予想通りの結果になっています。この経験から「領域を絞り、それに徹することが企業経営の基本だということを学んだ」と稲葉氏は書いています。

そこで一流になれるか

調律

一方、産業界を見渡すと、多くの企業が自社のニッチでない事業に参入し、お互いに傷つけあっています。ニッチ企業同士の競争は建設的ですが、非ニッチ企業との競争は不毛です。新規事業にあたっては、成長産業というだけで参入する事例も散見されますが、本当に重要なのはその事業がニッチであるかどうかなのです。
極端に言えば、成長事業かどうかは「運」です。
内部(自社が輝けるか)は外部(産業が魅力的かどうか)に先立つのです。

ほとんどの人は調律師よりピアニストになりたい。でも誰でもなれるわけではない。筆者も越智志穂さんのように歌いたいし、勇利アルバチャコフのようなカウンターを打ちたいし、鴨居玲さんの抉るような絵を描きたい。
でも、どれも不可能。
悲しいことに、これらは私のニッチではないのです。頑張ればできるというものではありません。

個人にしろ組織にしろ、やはり向き不向きはあります。サッカーをやらせたら一流の人がボクシングで成功するとは限りません。その逆もしかり。組織でも同じでしょう。その事業において一流になれるかどうか、すなわち、その事業がニッチであるかどうかの見極めは、名経営者の条件の一つのように思います。

まとめ

もちろん、売れなくても貧しくてもピアニストであるという人生も美学。ただ、それには相当の覚悟が必要だろうと思いますし、これは個人だから許されることであり、他人の人生を預かる企業経営においては美学での判断は避けるべきと感じています。

 
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