「M&A慣れ」への傾向と対策 ㊦売り手編

「M&A慣れ」が進んだ結果、クロージングしないM&A案件が、2019年ごろから増加しているのではないかという印象がある。後半では、売り手の立場から対策を考えたい。

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売り手側の要因

当社では、数多くのセルサイド・アドバイザリー案件を手掛けており、クロージングまで進まない、あるいは、クロージングまで行ったとしてもかなりの妥協を強いられた案件を業界での動向を含めて数多く見ている。ここでは、そういった案件の共通する事項を挙げてみたい

1 ライバル企業には売りたくない
売り手が、同業のライバル企業への売却を厳しく制限するケースが多くなっている。これは、売却対象となる企業の経営陣・従業員のモチベーションの低下を恐れることや、親会社にとっての競合他社への売却を避けてプライドを保ちたいというケースなどが該当する。

非常に重要なことであるが、 一般的に同業他社以外への売却は、非常に困難である。

同業でない企業にとっては、売却対象企業の事業は新規事業であり、(a)業界についての知識は無いことが多く、(b)事業のむずかしさについてよく理解していないことが多い。つまり「隣の芝生は青く見える」という言葉のように、なんとなく「有望そうな業界なので取り組んでみたい」ということでオークション案件に参加し、同業に比べて苦労を知らないので、1次入札の開示資料の情報だけで高めの価格を出してくるのである。こういう企業は、2次入札のインタビューや工場視察などで事業の厳しさを知って、辞退してくることが多い。

結果として、1次入札で非常にやる気を見せていた上位数社が脱落したり、価格目線を大幅に下げることで、案件が成立しなくなったり、厳しい見方をしていた同業他社の方が価格・条件面で逆転するといったことも増えている。

2 1次入札での高い利益目標
多くの買い手候補が参加するオークションでは、買い手側も案件に慣れてきていることから、1次入札を通過するため、インフォメーション・メモランダム等の事前配布資料の数字についてそのままDCF法(Discounted Cash Flow、生み出すキャッシュフローの割引現在価値で企業価値を図る手法)で割り引いてくることが増えてきている。

つまり、以前であれば「10%の売上増加は過大だから5%くらいに抑えよう」「あの工場は古いから5億円の追加投資コストは入れておかないといけない」といった、「計画を叩く」というひと手間をかけていたところ、2次入札に残るために「どうせノンバインディング・オファー(法的拘束力を持たない意向表明)なのだから、後で考えればいい」という割り切った姿勢で臨む企業も増えており、そのため1次入札での価格が高めになっていると言える。逆に、2次入札できっちりと叩くので、2次入札での価格が下がることも散見されてきている。

3 PL上の利益は出ていても…
毎年利益の出ている事業であれば、「純資産に何年か分の利益を載せたくらいの価格で売れるのではないか?」と売却益を期待する経営者は多い。ところが、売却対象となるグループ会社・事業においてはすでに事業価値の劣化が始まっており、会計上の純資産が、収益性をもとに算出される株式価値を大幅に下回る場合がある。

例えば毎年1億円の純利益を上げている会社で、純資産が20億円であった場合、どれくらいの譲渡価格が妥当であろうか?一つの例として株価収益率(PER)で見れば、東証一部でのPERの平均は2020年2月末時点で約14倍であり、これを使えば、株式価値は14億円ということで、純資産との差額▲6億円が売却損となる。

このように、事業価値や株式価値は将来の利益やキャッシュフローに重きを置いて計算されることから、過去の資金調達や内部留保の状況を反映した会計上の純資産とは関係性が低い。したがって、たとえ利益が出ている事業であっても、売却損が生じることは多々ある。

このように売り手がPLの損益を気にするあまり、事業価値/株式価値と会計上の純資産が乖離し、いつまでたっても売り手と買い手の目線が埋められないこともある。

売却するなら早く最後までやり切ったほうがいい

アドバイザリー業務を手掛ける立場からは、事業の売却を決めた場合には、最後まで売り切ったほうが結果としてよかった(あの時売っておけば傷口は浅くすんでいたはず)、と言えるケースを何度も経験している。そのため、最初から同業を含む幅広い候補先に対して、早急に売却することを第一目標に進めたほうが良いと思う。きちんとしたプロセスを踏んだ上で何社も入札してきたにもかかわらず、売り手の価格目線のほうがかなり高い場合には、売り手の目線が間違っている可能性を疑うことも必要だろう。

特に景気後退期のあいだや新型コロナウイルスなど不確実性が高まっている昨今では、事業価値が増加するよりも減少する可能性も高くなっている。売り手としては早期の最終契約の締結を目指し、最終契約を締結した案件はすみやかにクロージングさせるべきであり、価格や条件で多少の溝があるときに「落ち着いたときにもう一度やろう」とする場合には、すでにその事業の価値が大幅に劣化した場合の最悪のシナリオも視野に入れるべきであると考える。

買い手側なら最後まで慎重に

一方、買い手としては逆の立場になる。できるだけリスクを抑えるべく、契約前であれば価格や出資比率の見直しによってリスクを抑える方法を検討することが望ましいのではないか。日本企業では「一度決めた方針なので、そこには手を付けない」ということを重視する企業は多い。さらに「契約後に交渉をするなど、もってのほかである」という紳士的な姿勢を重視する人多いように思う。

しかしながら、M&A案件ではあとから自社に多大な影響を与える可能性があり、なりふり構わない姿勢でたとえ数億円であってもリスクを減らせるのであれば、交渉すべきではないかと考える。

WeWork投資の顚末

最近の印象に残った事例として、2020年4月2日に公表されたWeWorkへの投資撤回を決めたソフトバンクグループのプレスリリースを見てみたい。2019年10月に契約を締結し、公開買付けを公表していたが、複数の条件が満たされなかったことを理由に公開買付けの取りやめを公表した。プレスリリースには中止理由の一つとして下記の条件が記されていた。

新型コロナウィルス感染症に関連して、WeWorkとその事業への制約を課すこととなる、世界各国の政府による複数の新たな政策が存在していること

当然ながらコロナウイルス感染症は契約を締結した時点では認知されていなかった。契約書の中にある包括的な前提条件に引っ掛けているのだと推察するが、契約締結後であっても、投資中断を決断したという例で参考になるものだと思う。もっとも、WeWorkとしても出資取り止めは容易に認められるものではないはずで、今後の展開にも注目が集まるだろう。

まとめ

M&Aに慣れてきた昨今、売り手、買い手側双方の事情に即した対応が必要になっている。この記事が、皆様のM&Aにおける進め方の参考になれば幸いです。

参照:ソフトバンクグループリリース

▼過去記事はこちら
「M&A慣れ」への傾向と対策 ㊤買い手編

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