「選択と集中」の誤算㊤ 大いなる誤訳

2020年3月1日、「経営の神様」と呼ばれたジャック・ウェルチ氏が死去しました。 1990年代後半、経済危機の最中にあった日本で、ウェルチ氏の存在はひときわ強い影響力を持ち、その言葉は「格言」として広まっていきました。しかし、最も有名な「選択と集中」という言葉に関しては、ウェルチ氏の意思が「誤訳」されて伝わっていました――。 フロンティア・マネジメントの代表取締役である松岡真宏が、機関誌「FRONTIER EYES vol.23」(2018年11月)に掲載した記事を再掲いたします。

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誤訳された「選択と集中」という福音

飛行機

 

日本で「選択と集中」という言葉は、いつ頃一般化したのだろうか。

 

この言葉が日本で定着したのは、ジャック・ウェルチという米国人の名前が広く知られるようになった時期と軌を一にしている。ウェルチは、1980~2001年の約20年にわたり、ゼネラル・エレクトリック(GE)のCEOに君臨した。優れた経営手腕から、日本のビジネスパーソンにおける人気も高い。

 

ウェルチに関する著書が、1990年代後半に日本でベストセラーとなり、「選択と集中」という言葉も一気に広まった。

 

1990年代後半と言えば、山一證券や日本長期信用銀行など、日本を代表する大手金融機関が経営破たんした時期だ。これらを契機に日本発の金融危機が起こり、日本全体で流動性が急激に低下した。

 

日本の各事業会社は、バブル時に膨らませたバランスシートを減量する必要に迫られた。だが、多くの経営者は過去の意思決定を否定できない。人間は誰しも、過去の自己否定をすることは難しいからだ。

 

そんな折、世界的なカリスマ経営者ウェルチの「選択と集中」という言葉が日本で紹介され、一大ブームとなった。

 

実は、ウェルチは「多角化をせずに、本業や祖業に集中して、それ以外を処分しろ」という意味で「選択と集中」という言葉を使っていない。むしろ彼はGEのCEO時代に、多くの多角化投資を行っている。

 

しかし、1990年代後半という特殊な局面の日本において、ウェルチの「選択と集中」という言葉は、バランスシートを圧縮させなくてはならない日本の経営者にとって、福音として“誤訳”されて流通した。

 

「カリスマ経営者のウェルチ様。あのウェルチ様が、堂々と選択と集中というお言葉をお使いになって、不採算事業を整理して、本業に特化しろとおっしゃっている。ウェルチ様の仰せのとおり、わが社も『選択と集中』

を行います」と。

 

そして、多くの悩める経営者達は、不採算事業の撤退を行い、バランスシートの圧縮を始めた。戦略転換の大きな免罪符が経営者に渡された瞬間である。

 

加えて、「選択と集中」という誤訳は、経営者にとって、新しい事業を始めるという「リスクテイク」の姿勢をも希薄化させた。そして経営者は、過去の拡大戦略を懺悔して悔い改めた。明治政府が江戸期を否定するように、終戦後の日本が戦前を否定するように。

 

揺籃機能の喪失

 

もちろん、「選択と集中」という名の下の、多角化の否定、本業への特化は、1990年代後半からの一部の日本企業にとって必要な戦略であった。

 

しかし、道教の「陰陽大局図」に見られるように、物事にはプラスとマイナスとの両面がある。陽の程度が大きければ、陰の程度も同様に大きい。

では、「選択と集中」の“陰”の部分とは何だろうか。マクロ、ミクロの両面を指摘していきたい。

 

「選択と集中」が抱えるマクロ的問題とは、日本の経営者がリスクテイクをしなくなることで、日本全体のインキュベーション(揺籃)機能が喪失されたことである。

 

おおよそ資本主義国におけるマクロ経済全体の牽引役として、新たな企業や新たな産業の創造は必須だ。

歴史的に、日本ではベンチャーキャピタル(VC)ではなく各事業会社が、新たな事業を生み出し育てることで産業の厚みを作り、経済全体を牽引してきた経緯がある。

 

実際、大手事業会社や大手商社は、その傘下に数百社単位の子会社・グループ会社を抱えていて、ある種の巨大な疑似VCとなっている。上場会社には数百あるいは1000社を超える子会社を保有している企業が少なくない。

 

しかも、「選択と集中」という言葉の影響で、既存のビジネスとのシナジーがないものは一切手を出さないという企業が増えた。しかし、実際は、各企業の全くの新規ビジネス戦略が最終的には新たな企業や産業を生み出し、日本経済に貢献している例は少なくない。

 

例えば、日本経済新聞社。

同社はもともと、1876年に三井物産のある一つの部署で「中外物価新報」として創刊された。その後、1941年に三井グループから独立し、果たして同社は戦後に巨大メディアグループへと発展した。

 

 

大手メディアから産まれたエアラインもある。全日本空輸(ANA)だ。

ANAのフライト名は「NH●●●」だが、これは前身の社名「日本ヘリコプター輸送(Nippon Helicopter)」の頭文字に由来している。日本ヘリコプター輸送の設立は1952年だが、そのルーツは戦前の朝日新聞航空部(報道用のヘリコプターの部署)だ。

 

日本では事業会社がベンチャー企業の誕生・育成の役割を担ってきた一方で、VCの発達が十分な状態ではない。

米国ではVCの年間調達額が6~7兆円、中国では4~5兆円と言われている。一方、日本は一桁小さい2,000億円弱と言われている。

 

米国や中国のように、いずれは日本でもVCが年間数兆円単位の調達を行うのだろうか。しかし、『ベンチャー白書』などのデータを見ても、そのような姿は見えてこない。

 

年間兆円単位でVCが資金調達できているのは、米国と中国だけである。日本は年間2,000億円を下回る推移が続いている。

 

日本だけがベンチャーが低調ということでもなく、欧州全体でも年間5,000~7,000億円程度の資金調達しかできていない。事実は、米国と中国だけが、突出してVCが大きな存在感を示しているという状態である。

 

VCが十分に機能していない日本で、この役割を担ってきたのは、日本の事業会社による新規ビジネスへの投資(リスクテイク)であった。「選択と集中」という日本的誤訳は、日本の歴史的な経済のエンジンであった、事業会社による多角化投資や新規ビジネス投資を、意図的ではないにせよ、大きく減速させた。

 

当たり外れが大きく、長期的視野に欠ける

当たり外れ

 

ミクロ視点での「選択と集中」の問題については、日本総合研究所の手塚貞治氏の論考(2008年)を参考にして論を進める。

 

手塚氏によれば、「選択と集中」には、二つの問題がある。

 

第一は、「当たり外れが大きい」という点だ。

確かに、「選択と集中」の名のもとに、一つの事業に集中して成功している企業の事例は多数見られる。しかし、その陰には、成功事例の企業数を上回るほど多くの、「選択と集中」をして失敗した企業が存在するはずだ。

 

「選択と集中」は、ポートフォリオ理論とは真逆の考え方だ。投資でいえば、特定の一つの金融商品にすべての資金をつぎ込むような戦略が「選択と集中」という考え方である。競馬に例えれば、自分が惚れ込んだ一頭が出馬する一つのレースに、持ち金の全てを賭けるような行動である。

もちろん、惚れ込んだ馬が一着でゴールすれば、配当は大きい。「選択と集中」をして見事に成功している企業の収益性が高いのは、当然といえば当然である。

「選択と集中」で成功した企業の収益性が高い、ということ自体にも手塚氏は疑問の目を向けている。「生存者偏向」と呼ばれるバイアスの論点である。

 

経営分野の調査研究は、成功して生き残った企業しか対象にできない。同様に「選択と集中」の戦略をとり、失敗して生き残れなかった企業のデータは事後的には存在しないからである。結果的に生き残っている企業のデータだけが収集されて、バイアスのかかった調査結果になるというリスクである。

 

ミクロ視点の第二の問題は、「長期的視野がない」という点である。

 

短期的に見れば、特定の得意分野に事業領域を絞り込むことで、収益性を引き上げることは可能である。しかし、長期的に見たときに、それだけで企業としての、いや組織としての成長性は確保できるのであろうか?

 

そもそも、我々は全知全能ではない。将来を作り出したり、完全に予測したりすることはできない。ユーザーをコントロールすることもできない。

 

自社が「選択と集中」という方向性で絞り込んだ事業分野の市場は、本当に予測した通りに成長するのだろうか。

 

もし市場性があるのならば、他社が参入してくる可能性はないのだろうか。あるいは、代替品や代替サービスが他社から生み出される可能性はないのだろうか。

 

複数の事業分野をターゲットにしている企業に比べて、特定の事業分野に絞り込む戦略は、リスク分散という側面では大きく劣後している。「選択と集中」と「企業・組織の長期持続性」は必ずしも親和性がない。

 

また、企業として、主力事業を固定化してしまうことで、新しい事業を生み出す可能性に蓋をしてしまうリスクも大きい。

 

▼続きはこちら
「選択と集中」の誤算㊦ 成長へのギアチェンジ

 

本稿の内容からさらに踏み込んだ分析・提言を

『持たざる経営の虚実』(松岡真宏著、日本経済新聞出版社)

にて掲載しています。是非ご一読ください。

 

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