「くまモン」登場10周年㊤行政主導のブランド戦略 追随許さぬ秘訣とは

熊本県のキャラクター「くまモン」が登場して10周年を迎えました。 3月12日の「誕生日」に合わせて開かれる予定だった記念イベントは、コロナウイルスの影響で軒並み延期になりました。中国や台湾などから多くの観光客が来る交流施設「くまモンスクエア」(熊本市)への登場も、見合わせています。 いわゆる「ゆるキャラ」のブームは、衰えたとも言われます。しかし、くまモンの関連商品の売上高は前年比4.8%増の1579億円。成長のペースは落ち着いていますが、8年連続で過去最高を更新しています。 キャラクターを地域振興に生かそうとした例は、全国各地にあります。しかし、未だにくまモンを超える存在は出てきません。どうして、くまモンだけ成功したのでしょうか?県庁主導のプロジェクトとしては、異例の成功を果たした陰には、10年間のしたたかな戦略の積み重ねがありました。 この記事では、10年の「くまモン戦略」を読み解くとともに、地方企業の成功の道筋を探ります。

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綿密な戦略は失敗から

「初号機」の衝撃

くまモンイメージ

 

「これも、いかがでしょうか?」

九州新幹線全線開業を翌年に控えた、2010年2月。イラストレーターの水野学さんは、

熊本県庁の戦略会議で、おもむろにくまモンのイラストを披露しました。県が依頼したのは、新幹線開業の観光キャンペーン「くまもとサプライズ」のロゴデザイン。くまモンはその「おまけ」として登場しました。

 

「くまモン」という名前は、「熊本の者(モン)」という意味で、水野さんはこの段階ですでにネーミングを決めていたそうです。

 

同席した蒲島郁夫知事と小山薫堂さん(放送作家、熊本県天草市出身)は、その場で採用を決定。年度末の余った予算で、急ごしらえの着ぐるみをつくり、イベントに投入します。

 

その際に登場したのがファンの間で伝説になっている「くまモン初号機」。

 

いまよりもずっとやせていて、今とは似ても似つかない作りです。中に入ったのは、担当の県職員。動きも素人くさく、哀愁が漂っていました。当然、子供が泣き出し、逃げ出します。

 

「このままでは、いけない」。県職員や小山薫堂さんは、綿密なPR戦略の必要性を感じ、動き出しました。

 

綿密な設定とPR戦略

banpeiyu

 

失敗を踏まえ、熊本県のチームはミッキーマウスやハローキティなどの成功例を、徹底的に研究します。

 

戦略を練る際にもっとも気を遣ったのはキャラクターの基本設定です。一見ばかばかしい内容もありますが、「夢」を売るキャラクタービジネスには不可欠なものです。

 

①クマではなく「男の子」(熊本に野生のクマはいないため)
②誕生日は「3月12日」(九州新幹線開業日に合わせました)
③年齢は不明(10周年であって、10歳ではない)
④決して着ぐるみではなく、中の人はいない(決して「正体」は見せない)

 

何より大事なのは、

 

⑤くまモンは1人(瞬間移動できるが、2体同時に現れることはない)

 

ということ。

 

イベントやステージに登場できる回数は減ってしまいますが、その分観客は「くまモン」という架空の存在に愛着を持つことができます。

 

一方で、好きなスポーツや、家族、友人などの設定はもうけませんでした。その結果、幅広い団体や企業が、利用可能になりました。

 

くまモンには「最初はやせていたが、熊本のおいしい物を食べて、メタボになった」という設定も加わりました。「初号機」の失敗を逆手にとり、熊本の産物の宣伝にもつなげる。初期の設定段階から、しゃれを効かせた上で、とてもしたたかな戦略を持っていたのです。

 

動きが速い!!

 

くまモンのショーをみて多くの人が驚くのが、動きの速さです。

2代目以降の着ぐるみは、宮崎市の「KIGURUMI.BIZ」に発注しました。丸みをおびたデザインを得意とするメーカーで、おなかがぽっこりした現在のデザインに落ち着きました。

 

着ぐるみの多くは、重い上に、胴体と手足の長さの比率が人間と異なり、動きにくいものが多いです。しかし、KIGURUMI.BIZの着ぐるみは、ちょうど手足が動きやすいように計算されており、それがくまモンのキレのある動きを生んでいます。

 

動けるからこそ、ダンスや「お姉さん」との絶妙な掛け合いで、観客を楽しませることができます。結果として、多くのイベントに呼ばれるようになりました。

 

九州新幹線が新大阪まで直通されることから、熊本県が当初力を入れていたのは関西でのキャンペーンでした。特に、蒲島知事とともに吉本新喜劇への出演したことで、一気に人気が高まり、2011年の「ゆるキャラグランプリ」の優勝につながりました。

 

ひこにゃんとくまモンと著作人格権

ひこにゃん

くまモンの登場前、最も人気があったのは滋賀県彦根市の「ひこにゃん」でした。

しかし、彦根城で行われているショーを見ればわかるのですが、動きはとても遅く、走ることもできません。踊ることも、司会者との複雑なかけあいもできず、「用途」は限られてしまいました。

 

また、彦根市がイラストの原作者にことわらずに、しっぽを加えた新たな図案をつくったことから、民事訴訟に発展しました。原作者はひこにゃんの「座る」「跳ねる」「刀を抜く」という三つの図案の著作権を、彦根市側に譲ります。しかし、原作者には「著作人格権」があり、作品に勝手に手を加えてはならないというルールがあります。

 

裁判は和解していますが、対立の結果、ひこにゃんは新たなイラスト図案を作れず、商品展開を広げることができませんでした。

 

くまモンの著作権は契約上、すべて熊本県にあります。しかし、ひこにゃんの失敗を踏まえ、デザインした水野学さん、プロデューサーの小山薫堂さんとの関係をとても重視し、くまモンの新たな展開を検討する際は、頻繁に相談しているそうです。

 

くまモンと地域ブランド戦略

くまモン売上推移

 

ラーメン

くまモンのイラストを国内で利用する場合は、熊本企業か、熊本産農産物を使っている商品であれば、無料で使うことができます。県内に二輪車工場を抱えるホンダのように、県内に拠点を持っている企業であれば、地元企業と同様の扱いになります。※実際にくまモンの描かれた「カブ」や「モンキー」が発売されています。

 

また、通常のキャラクタービジネスと異なるのは、お菓子や飲料、ラーメンなど同じ分野で競合する商品であっても、同時に使うことができる点です。

 

関連商品の売上高に対し、1%でも利用料を取れば、相当な金額が入って来ます。しかし、あえて無料を続けることで、熊本の知名度をあげる。「損して得取れ」という戦略です。

 

新幹線開通と危機感

熊本市

 

熊本はかつて、九州最大の都市でした。そのなごりで、九州財務局や九州総合通信局、九州農政局など国の出先機関の多くが、熊本市にあります。しかし、戦後になると製造業の発達した北九州や、新幹線の終点となった福岡市に水をあけられます。

 

九州以外の人にはわかりにくいかもしれませんが、新幹線をつかえば熊本から博多まで40分前後で着くことができます。

 

熊本県は福岡県や鹿児島県、長崎県に比べ知名度が低く、新幹線開業による「ストロー効果」で買い物客の多くが福岡に流れ、「単なる通過点になってしまう」。10年前の熊本には、そんな危機感があふれていました。

 

阿蘇、天草など観光客は各地に分散。名城「熊本城」も熊本地震で被災する前は、今ほど多くの人に知られていませんでした。晩白柚、辛子レンコン、いきなり団子、熊本ラーメン、球磨焼酎など名物はありますが、全国的な知名度は今ひとつです。

 

焼酎

そこで、くまモンのイラストを無料で使ってもらうことで、くまモンの露出を増やし、熊本の統一的なイメージを生もうとしました。

 

くまモン人気が上昇するのに合わせ「熊本といえばくまモン」という「ブランド」としての存在が増していきました。

 

また、2016年4月の熊本地震後は、くまモンは復興の象徴として、避難所や仮設住宅への訪問で大活躍します。義援金や寄付金集めなどのポスターにも、くまモンのイラストが使われました。

 

支援ムードの広がりとともに、全国的な大手企業から、熊本産品を使い、売り上げの一部を被災地支援に充てるタイプの商品が相次いで発売されました。くまモンの絵柄がつくことで、一目で復興支援商品とわかります。支援商品であることは販売の強化にもつながり、熊本県としても農産物をアピールする絶好に機会にもなります。

 

2010年12月に登場したくまモン商品の第1号は、なんと「仏壇」でした。熊本市内の仏壇店の開発した「くまモン仏壇」は、漆塗りで70万円以上。2017年まで7年近くまったく売れませんでした。しかし、テレビなどの取材に加え、店頭の「くまモン仏壇」見たさに来店する客も多く、他の仏壇・仏具の売り上げに貢献したそうです。これも、「損して得取れ」の戦略でしょう。

 

まとめ

幸せ部長

くまモン成功の秘訣は、初期の失敗を素直に反省し、知名度を上げるための緻密な戦略をとったことでした。また、行政主体でありながら、小山薫堂さんといった経験豊富な「プロ」の知見を十分生かしたこと。特定の団体や目先の利益に偏らず、「地域のブランド」として育て、多くの人々の利益を追求する姿勢にありました。

 

くまモンの成功をみて、多くの自治体や地方企業がキャラクターをつくり、追随しました。

しかし、キャラの乱立を生み、かえってPR効果は薄れました。

 

福岡市がいい例ですが、各部署がばらばらにキャラクターを作った結果、30種類以上が乱立した時期がありました。それでは、統一的なブランド戦略など、できようがありません。

 

最後に、くまモンを担当する県職員と話をすると、くまモンが本当に大好きであることがわかります。

 

キャラクターの活動を支えるのは多くの労力がかかる上に、戦略も必要です。なにより、担当職員やスタッフのキャラクターへの「愛情」がなければ、架空のキャラクターが、多くの人を魅了することは難しいのではないでしょうか。

 

続き 「くまモン」登場10周年㊦ 熊本地震後の失速 海外戦略の誤算

参照 朝日新聞デジタル2016年10月22日(有料記事)

 

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